2016/8/23

『OKU NO HOSOMICHI』 第12回   国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986 OKU NO HOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

国語科 副島勇夫

第12回「水平線・仙台七夕恐怖の中華料理店〜前編(岩沼、福島県、仙台、宮城県)」

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 これは30年ほど前に実際に起こったことである。事情があって、ホテルの名前だけはふせたけれど、それ以外は事実だ。(村上春樹の『レキシントンの幽霊』風に書きだしてみました。)

 この手の怪談話は、信じてくれない人の方が圧倒的に多いけれど、この「奥の細道」の旅では、4〜5回はあった。

 チェックインして、部屋につき扉を開けただけで、そのただならぬ雰囲気に、フロントに戻りチェックアウトしたホテルもあったぐらいだ。まあ、信じていただけない方も、読みものとしておつきあいください。

 この話はいつもの長さだと4回分になるので、前後編としては長くなるが、終わりまで読んでいただけたら幸いだ。それでは本編に入ります。

 目の前に置かれたガラスのコップの水が揺れている。そのコップをテーブルに運んで来た店員の女性が2度ばかり振り返りながら戻ってゆく。厨房から、ちらちらとこちら見ている2人の男性。何事かひそひそと話している。

 私は周りをぐるりと見回した。

 きれいとは言えない普通の中華料理屋。××時計店寄贈と記された鏡。そこにうぶかしげな私の顔が映っている。数字だけのカレンダー。古時計が午後7時20分を示している。火の用心を呼びかける酒井法子(まさかこの時はあんなことになるなんて、当時はトップアイドルだった)のポスター。他に客はいない。

 (「これは何のマネや?何を見てるんや?何が見えるんや?)

 冗談か。からかわれているのか。それとも……。目の前のテーブルのこちらと向かいにそれぞれ置かれた2つのコップの水がやはりまだ揺れている。

 仙台七夕は通常の1か月遅れの8月上旬に行われ、今週から観光客が訪れる。街の到るところに巨大な七夕飾りが掛けられ、一番町通り、中央通りといった繁華街のアーケードでは写真のような飾りを掻き分けながら歩くことになる。

 青森のねぶた祭り、山形の花笠祭り、秋田の笠灯など「動」のイメージが強い東北の夏祭りの中で唯一「静」の趣きのある祭りだ。

 1988年の夏、私は七夕祭りの頃に仙台に到着するように、この年の出発地点である福島県福島市を歩き始めた。4日目の8月4日、仙台を目前にして私は寄り道をすることにした。広げた地図の現在位置の3センチ右に太平洋が広がっていたからだ。

 東京から本州内陸を北上してきた「奥の細道」の旅も3年目にしてようやく「海」を見ることになるのだ。今寄り道をしなくても2日後には、海の名勝地である松島に到着する予定ではあったが、地図に広がる青いスペースが私を呼んでいた。二の倉海岸。海が見たいと思った。海を見ながら2時間ぐらい何もしない。きっと賛沢な休憩だろう。決まりだ。海に行く。

 2メートルほどの高さの防波堤の向こうには太平洋があるはずだ。その高さのために二の倉海岸は数十メートルの近さにいても姿を見せない。灰色のコンクリートの壁が青い空の下半分を切りとり目の前に立ちはだかっている。その向こうから微かに、見えない海の音だけが聞こえてくる。

 防波堤の階段を1段、2段と登る。少しずつ頭上の青空が近く感じられ、風が顔に斜め上から吹いてくる。3段、4段そして5段目。目に入るものは一変した。それは何かがパーンとはじけたような変化だった。

 水平線。青い海と青い空。

 その境目の暖昧な空のような海から白い波がやって来る。島も船もない。視界を遮るものは何一つない。狭い須磨の海を見慣れた者を圧倒するこの広がり。遊泳禁止区域の看板がある。邪魔な海水浴客もほとんどいない。親子連れが数組。5、6才の少女が砂浜で波を追う。

 寄り道は正解だった。水平線は本当に丸味を帯び、雄大という言葉では言い尽くすことのできない凄味というか、圧倒的なエネルギーを海は私に見せつけていた。予定されていたことだったが、予定していなくとも2時間、ただ海だけを眺め、防波堤のコンクリートに座っていたことだろう。

 話を元に戻そう。これはあくまでも寄り道だったのだから。

 翌日、私は仙台に到着した。七夕祭りの賑わいで宿はどこも満室だった。ようやく見つけたオフィス街のビジネスホテルの部屋に荷物を置き夕食を食べに出た。オフィス街の夜は昼間の活気がどこかに吸い込まれたかのように暗く閑散としている。

 一番近い所にと見つけた中華料理店は、赤と黄色のひさしがついたどこにでもありそうな店だった。店内はがらんとして誰もいない。残業のサラリーマンぐらいしか来ないのだろう。注文をとりに女性の店員が、お盆に水の入ったコップを乗せてやって来る。

 私は周りを見回した。客は私1人。お盆に乗せられたコップはなぜか2つ。その2つが私の目の前と向かいの席に置かれた。「コトン」と小さな音が響いた。テレビのニュースが小さな音で聞こえている。店員が注文を聞く。

 「タンメンとギョーザ」

 彼女はまだテーブルの傍らに立っている。(なぜ待ってるんや?)「それだけです」「はい」という会話の後、彼女は2度ほど振り返りながら厨房の奥に消えた。コップの水はその間ずっとゆらゆらと揺れていた。……後編につづく

次回は第13回「仙台七夕恐怖の中華料理店〜後編(仙台、宮城県 1988年夏)」です。

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