2016/11/3

『OKU NO HOSOMICHI』 第22回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986OKU NOHOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

第22回「ある日森の中、出会ったもの・・・それはクマさん〜後編」
(出羽街道中山越、宮城県。1991年、夏)」

副島 勇夫(国語科)

 確実にこの山のどこかにいる。それも近くに。そのことが実感された。私は必死に歌った。なぜか「巨人の星」。(私は巨人が嫌いだ。バリバリの阪神ファンだ。だが、なぜか「六甲おろし」ではなかった。)だが今の50歳代以上は、この歌で力が湧くのだ。

 道は相変わらず細い。上空にはのどかな青い空が見える。左右は深い森。何本あるかわからないほどの木。そして低木、雑草が密生している。幅2メートルの道の左右はそんな茂みだ。少し開けた所にクマの通り道の例の休憩所がある。案内板の終わりに「宮城県」と記されている。のんきなものだ。足早に通り過ぎる。のんびりしてはいられない。道はうねうねと蛇行している。小走りに近い速さで急ぐ。デイパックも捨てて走りたい気持ちだった。直径2センチ、長さ40センチぐらいの木の棒を拾った。これが何の役に立つのか。でも何かを握っていたい心境だった。

 それから5分ほどして不意に私の右手の離れた木立の中で「ドーン」という重低音がした。それほど大きな音ではない。もちろん猟銃の音でもない。わたしは足がすくんだ。続いて前方の右の方で、「バキッ」という音がした。ある程度の太さの物が折れた。決して小動物ではない。足元をへビがシュルシュルとすり抜けていく。

 この際、ヘビなんて可愛いものだ。私は急いだ。泣きそうだった。歌うことも叫ぶことも忘れていた。喉はカラカラだった。私は急いだが足がもつれていた。「バキッ、バキッ」音は大きくなる。ガサガサと茂みを分ける音がする。とうとう恐れていた時が来たのだ。そして、私の前方10〜15メートルの右の茂みから黒い毛の塊がのっそりと出た。道を横切ろうとしていたその目が私を捕らえた。目が合ってしまった。動きが止まった。

 体の高さは座った状態で1メートルぐらい。大人のクマではないようだ。「グウッ」とか「フオッ」というような声が聞こえる。こちらを向いてクマの動きが完全に止まった。私は顔をひきつらせ、首の後ろの辺りが硬直し、下半身と上半身が別人のものであるかのようにギクシャクと後ずさりをした。そして、気がつくと口をあけて笑みを浮かべていた。

 そう笑っていたのだ。なぜか、思わず時計を見た。11時20分だった。空は相変わらず雲一つなかった。烏の声がする。私以外のものはすべてのどかだった。だが私の前には「ツキノワグマ」がいた。私はいろいろなことを思った。いや正確には1つのことだけを考えた。どうするか。引き返すか。その時は走るのか、そっと歩くのか。しかし、足が言うことをきかない。棒立ちのままだ。クマは「ムグッ」「フー」と声を発してこちらを見ている。

 私は覚悟を決めクマをにらみつけた。心の中で数えた。1、2、3、4、5。そしておじいちゃんの教えの通り、少し目をそらした。その教えでいけばクマは逃げてくれるはずだった。私は視線を戻した。クマは…クマは同じ場所にいた。それどころか1歩前に出た。私はもう一目散にクマとは反対方向に走ろうと決めた。逃げ道はない。

 おじいちゃんのいる所までに追いつかれたらおしまいだった。また、おじいちゃんの所まで走り着いたとしても、その後どうなるかわからなかった。1、2の3で走り出そうとしたその時、クマの進行方向が変わった。左の茂みの方へ行く。何事もなかったようにガサガサと入っていく。掻き分け、踏み分けるような音がしばらく続き、そして途絶えた。私はクマが目の前にいた時とは別の恐怖を感じた。そして何やら叫びながら手にしていた棒を振り回し走った。クマのいた辺りを通り過ぎ国道47号線を目指し走った。次第に道が開けていく。森林の深さが、密度が低くなり空が大きく開けた。半泣きだった。

 ハァハァと息を切らして走った。道幅が広がり、出口が近いと感じられた。ポッキーの箱が落ちている。山中で感じていた重苦しさがなくなり、人気(ひとけ)が感じられる。ようやく私は走るのをやめ歩いた。どこからか車の音がする。国道は近い。私は握りしめていた棒を捨て、大きく息をついた。

 助かった。所詮は、ひ弱な現代人だ。守られていなければ生きていけない。そんなことを思った。林道の出口が近づいた。遠くに国道のアスファルトと白いガードレールが見える。5才ぐらいの女の子と父親らしき人が捕虫網を手にしてこちらへ歩いてくる。私は聞かれもしないのに少し得意気に言った。「さっき、この奥でクマが出ました。」するとそのお父さんは笑いながら言った。「そうですか。私も昔よく見ました。実家がこの辺りで、久し振りの帰省です。」落ち着いている。私は妙に悔しかった。

 国道に出るとギラギラとした日差しに一面の青空。500メートルほど前方の道路脇に大きな白い看板。横書きで「ようこそ山形県へ」。いろんなことがあった宮城県を抜ける。ここは東北のまん中。いよいよ「奥の細道」の旅で初めて日本海に面した県に入る。

 次回は第23回「対決!花笠音頭 VS 六甲おろし」(立石寺、最上川、山形県。1993年、夏)です。

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