2017/7/15

『OKU NO HOSOMICHI』 第34回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986 OKU NOHOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

第34回「夢の日付(那谷寺・永平寺 石川県・福井県 2003年夏)」

国語科 副島勇夫

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 私はテレビの「巨人対横浜」戦を見続けていた。ここが大阪なら、阪神戦は必ず放映されているのだが、石川県小松市では、某放送局の全国ネットが約束されたチームの試合しか観ることができなかった。今ではその放送局でさえ、地上波での巨人戦を見限っているが。

 そこで仕方なく、時折映し出される「他球場の試合経過」をひたすら待っていたのだ。前半戦終了時点で優勝までのマジック46。2位ヤクルトとのゲーム差は15。阪神ファン歴20年の私にとって、この差はセーフティーリードではなかった。8月には「死のロード」か待っている。昨日の後半戦初戦は守護神ウィリアムズか抑えきれず、急きょ、安藤が投げ、辛くも逃げ切った。

 そして7月29日。私は1年ぶりに「奥の細道」を歩く旅に帰ってきた。石川県小松市。ヤンキースの松井の育った街だ。テレビでは巨人戦。「他球場の経過」でアナウンサーが、どこか嬉しそうに阪神の苦戦を告げていた。8回裏に追いつくが、9回に久保田が2点取られ敗戦。3安打の1点。勝利の方程式は微妙に崩れ始めていた。

 翌日、私は今日の目的地「那谷寺(なたでら)」を目指し歩き始めた。野球のことを考えながら歩くのは初めてだった。なにしろ前回の優勝は2003年の18年前、当時大学の4年生だった。だから、この旅はその翌年から始まっているのだ。秋までというより、夏の時点で阪神のシーズンは終わっているのが常であった。あと1歩だった1992年も夏の段階ではまだ混戦で、どうせダメだろうと思っていたのだ。

 昨日は負けたものの、私は「優勝」の文字が現実味を持つ喜びで足取りも軽かった。しばらく歩くと前方に巨大な白いドームが田畑のなかにあった。その違和感のかたまりのような「小松ドーム」では地元のバレーボールか何かの試合かあるようで、ユニホームやジャージ姿の中学生が自転車でやって来ていた。広大な駐車場には数台しか車はない。何に使うのか、維持して行けるのだろうか。競技場、道路、トンネル、様々な施設。確かにそれぞれの地元では何かほしいだろう。よそを意識すれば、満足できないだろう。しかしこういった日本中の無駄を集めれば、もう少しましなことができたはずだ。真夏の青空の下、真っ白なドームか空しかった。

 天気は晴れ。まだ旅の2日目なので快調に歩く。温泉のホテル群を横に見ながら、10時30分に今日の第1の目的地「那谷寺」に到着。ここは真言宗の寺で、境内には山、川、谷と自然が凝縮され、中でも灰白色の凝灰岩からなる小さな丘といった感じの「遊仙境」は印象的だ。正面から見ると、モンスターが口を開けたような形の岩山は登ることができ、私も中に入って足下に注意しながら、登り降りした。

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 下の池の前では、数人の人がこちらを見ている。登ってきそうだったので、先を急ぐことにした。本殿「大悲閣」はそれらしい木造の建物が実は拝殿で、本殿はその奥の岩窟の中にあり、薄暗く不気味な感じであった。本殿脇の小さなトンネルを抜け、見学コースに従うと、次は三重塔、眺めのよい橋を渡り展望台へ、ここからは遊仙境がよく見える。先ほどの家族連れが登っている。階段を下りると芭蕉句碑、鐘楼、神社まである。何でもありの、かつては旅人によって語り広められた一大施設だったのだろう。表現は不適切だが、楽しかった。堪能した。

 「フォト蔵」より

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 寺の前で名物「那谷寺そば」を食べ、次の目的地、山中温泉を目指す。途中、山代温泉を通過。予約をしていなかったか、何とかなるだろうと、少しあやしくなりだした天気の下、歩いているとポツリポツリと雨。午後2時30分に山中温泉に到着したが、あいにく宿はどこも満室。仕方なく小雨の中、8キロ先の大聖寺を目指すことにした。

 山中温泉は以前訪れたことがあり、もともと見物するつもりはあまりなかった。傘を差しながら歩く。大聖寺まで歩くと今日は33キロ歩くことになる。ややオーバーペース。明日は少し距離を抑えないと、まめができるか足か痛むだろう。小雨はとうとう本降りになる。午後5時30分、大聖寺に到着。宿に入り、夜は阪神戦をスポーツニュースで観る。4対0をおいつかれ、延長で辛くも久慈のサヨナラヒッ卜。やはり危ない。外は土砂降り。雷もなっている。

 ところが、翌日は晴れ。芭蕉が滞在した全昌寺を訪れ、1時間ほど見物し、かつての加賀の国と越前の国の境である吉崎を目指した。集落と集落の間は道路だけ、ほとんど人にも会わない。

 途中、福井県に入る。1時間30分ほど歩くと北潟湖に面した小さな公園があった。木陰に涼しげなベンチ。木の葉の揺れる音。穏やかな水音。木漏れ日。引き寄せられるようにベンチで少し横になった。いつのまにか眠っていたようだ。夢まで見た。心地よかった。昨日は少し歩きすぎた。今日はのんびり歩こう。

 横になったまま青い空を眺め、水音を聞いていた。それから湖に面した道を歩いていくと、水面を何かが飛び跳ねている。水面を上に向かって50センチかそれ以上跳んでいる。魚だ。あちらこちらでひっきりなしに跳んでいる。それが面白くて、ここでも時間を過ごしてしまった。

 その後、次第に道は山の中に入り、炎天下の道中となる。暑い。日焼けか辛くなりそうだった。午後4時頃、芦原温泉到着。日焼けのため、湯船に入れない。これも毎年のことだ。この日、阪神は60勝目。井川12勝。マジック41とする。

 翌日は丸岡を経由して、松岡の天龍寺、その後、山の方へ近づいていくだらだらとした道を進み、午後6時頃、永平寺に到着する。見物は明日にして宿に入る。この日はBSの放送で阪神戦があり、久しぶりに観戦。伊良部10勝目。マジック39。本当に優勝できるかも。まだ信じられない。このころの阪神ファンは臆病なのだ。90年代の暗黒時代、5位か最下位に慣れていたのだ。

 朝から永平寺を参拝する。曹洞宗の本山、永平寺は1244年の開山。下界とは隔離された荘厳な杉木立に囲まれた修行のための寺である。参拝の前に大広間で諸注意がある。時間も早く、天候も悪かったため、私1人がその話を聞いていた。気が引き締まった。それまでの物見遊山的な姿勢を戒められた感じだった。

 筆者撮影

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 国語の教科書によく採り上げられている作品に「とんかつ」というのがある。中学を卒業して、この永平寺に修行僧として入る少年と母親の交流の話だ。永平寺に入ると基本的には修行が終わるまで、この中で生活するのだ。10万坪の境内の中に大小70棟余りの建物、そこで生活する200名以上の僧達。全てを包む樹齢600年の杉の大木。静かな中に読経の太くよく通る声が朗々と響く。こういう生き方もあるのだ。この道を選んだ10代の少年達。現代日本社会の軽さとは対極の生き方。降り止まぬ雨を眺めながら、涙ぐみそうになる自分は甘いと感じていた。

 今夏の旅は、永平寺の感動を薄れさせないためにも、ここまでとした。来年は永平寺から敦賀、その翌年はいよいよ敦賀から「奥の細道」結びの地、岐阜県大垣に到着する。

 1986年から始めたこの旅も2005年の夏に20年がかりで完結する予定だ。この年、阪神タイガースは9月15日に18年ぶりのセントラルーリーグ優勝を決め、星野仙一監督が言った「夢に日付を書く」ことができた。大学時代に友人と約束したことから始まった私の小さな夢「奥の細道を歩く」も、そろそろ日付を書く日が近づいてきたようだ。阪神が優勝した日。おそらく永平寺はいつもと変わることのない静けさを保っていたことだろう。当日、甲子園を場内一周するV戦士達を見ながら、私はそんなことを考えていた。

次回は第35回、「クマの恐怖再び 長い長いトンネルの話 福井県 2004年夏)」です。



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