さて、ここの所、本当の本当にお気楽な事ばかりを、
それも写真付きで超呑気に書いていたんだが、
感謝祭も無事に終わって、
長いお休みも消化した所で、
実はどうしても書いておきたい事があったので、
それを今日は書こうと思う。
ここ数カ月間、悲しいなぁ〜、と思う事が多々あった。
その内の一つなのだが。
ひと月程前になるが、
東京に住んでいる我が長女と電話で話していた時の事。
その当時は、ザカルウィ一味に拘束された香田証正さんが
斬殺されたというニュースが報道されて数日経った頃だった。
私が娘に、「本当にかわいそうだったよねぇ」と言うと、
娘が、「やっぱりお母さんもそう思うよねぇ?」と言う。
「うん。そりゃ、色々な疑問もあるけれど、
私はそういう風に一番最後には思うよねぇ」と言うと、
ちょっと娘は悲しそうに、
「でもねぇ、今の日本の私くらいの年代の人は、
そういう風には思わないんよ。
こんな時にあんな所へ行くから自分が悪い、で終わりなんよ」と言う。
へぇー、と私は思った。
香田証正さんの事を私は全く知らない。
友達でも、知り合いでも何でもないから、
どうして、この不穏な時期に、あそこへ行かなければいけなかったのか、
はっきり言って、私には全くわからない。
彼よりも数年長く生きて来た人間として、
正直に、「アホやなぁ、なんでこんな時に行ったん?」と
とてもとても残念に思う気持ちはある。
だけど、その反面、彼が決して面白半分に行ったのでは
ない事を直感的に感じるし、
その、私には稚拙に思える若さ故に、
今、この時期のイラクを見ておかないといけない、と
そういう風に感じたのかもしれない、とも、これはあくまで
私の想像だが、そういう風にも思う。
だけど、悪いのはザカルウィ一味であって、
決して殺された香田さんではないじゃないか!と腹立たしい。
そうやって、物事をあやふやにして、
物事の善悪を極めて曖昧にし、摺り替えてしまう事が私は嫌いだ。
ザカルウィ達は本当は知っているはずだ。
一般人を誘拐して、拘束して、そして殺しても、
決してその人達の国が動くことがない、と知っているはずだ。
あんな声明はこけおどしであって、
本当の目的は、自分達の顕示欲を満たす事だけだろうが。
そうやって、自分の目的を、それも私からしたらしょうもない
自己満足を満たす為だけに、何人もの罪のない人間を殺して、
そうして、何故に殺された人間が一言でも「悪い」と
言われなければいけないのか、
それはあまりにも不透明ではないか。
私は、どうして日本人はそういう風になってしまったんかね?と
とても悲しい。
アメリカ人ならどうしたかな、と考えると、
絶対に私の娘が悲しがったような事言わないよな、と断言できる。
一緒にその事を悲しむ事があったとしても、
絶対に「そんな時にあんな場所にいる方が悪いのよね」とは言わない。
そんな邪悪な権力に屈するような発言はしない。
時として、こんなに田舎な、保守的な土地に住っていると、
このユタ人達の愛国心には、正直、
うんざりさせられる事もある。
だけど、日本人の愛国心のなさにはもっとうんざりする。
自分の国の、若い人間が殺されたのだ。
もっと悲しんだって罰はあたらないはずだ。
そうやってドライに、金銭がどれだけかかったとか、
たとえそれが浅はかなものであったとしても
人の志を面倒くさがって、
簡単に「非常識だ」とくくってしまえば、
その国の未来なんてたかが知れている。
そんな発言を国会でするような大人で溢れかえっているのなら、
その国は痩せて、乾いて、どんどん縮んでしまうだろう。
私は娘が「悲しい、かわいそうだった」と言えるのが嬉しい。
だって、同じ日本人じゃない。
別に血がつながっている訳じゃないけど、
同じ土地に住って、おはしを使ってご飯を食べて、
日本語という文化を持っていた人間が一人殺されたんだよ。
そうして、
やっぱり、私は悲しいし、かわいそうだった、と思うのである。
恐かったよねぇ、ゆっくり安んでね、と思うのである。

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