一昨日に起こった脱線事故。
昨日、実を言うと、ニュースに噛り付いて
続報を、続報を、と情報入手に一生懸命だった。
昨日も、この事について書きたいなぁ、と思ったけれど、
なんだか頭の中がグルグルしていて、
まとまりがつかないので、止めにした。
かと言って、今日もそんなにまとまりがつかないのだけれど。
今朝、6時半に起きて、フジのニュースを見た。
今日、ここは27日の水曜日なんだけど、
その日本時間の水曜日の夕方頃にやっているニュースを、
朝の6時半から流してくれるのだ。
それに、yukoさんという方が、教えて下さった、
大阪庶民なら・・・、いや、関西庶民と言うべきか、
誰でも知っている「ありがとう浜村淳です」という
ラジオの長寿番組がネット配信しているラジオも聞いた。
それで、段々と、JR西日本について、
お怒り瞬間湯沸かし器の私は、ドタマに来始めておるんである。
JR西は列車の遅れを防ぐ為に、
な、な、なんと!1秒単位で遅れを報告させていたと言う。
私は、日本に住んでいる時、どこの電車でも、
電車が遅れて来る、なんて事は考えた事もなかった。
バスは、道路の混み具合が影響するから、
遅れる事もあろう、だが、電車の線路に渋滞はない!
なので、電車は定刻に来て当たり前、という風に思っていた。
そうして、実にそんな私の期待を裏切る事なく、
私が日本に住んでいた32年間の間に、
実際に電車が遅れた、という記憶はほとんどない。
それを、私は至極当然に考えていたし、
別に不思議にも何とも感じなかった。
だけれど、外国に住むようになって、
もうそれは、それはいい加減な事のオンパレードに、
最初は頭に来ていたのだが、
それが段々と慣れに転じてくると、
人間というのは元来こういうもので、
日本のサービスそのものには、それを防ぐ為に
弛まない、地道な努力があってこそなんだろうな、と
おぼろげに考え始めていた。
考え始めてはいたが、だが、「1秒毎」というのには驚いた。
そんなん、人間じゃないやん?機械やん。
機械でも、今時のコンピューター内臓なんていうものだったら
どうなんかは知らんけど、ちょっと旧式やったら
すぐに狂いが出てくるような正確さやで。
それを人間に求めるなんて、本当に驚く。
そうして、JRは国鉄だったのに、今は国鉄でない。
なので、運転士の運転ミスは、途端に給料に反映もされるだろう。
私は、こんな重大な悲惨な事故を起こした運転士に
責任がない、とは思わないけれど、
23歳という年齢で、自分の事ばかりに意識が集中し、
乗客の安全よりも己が身の上優先という具合になったのも、
ある意味頷けるような気がしてしまうのだ。
しかも、運転士になって11ヶ月。
車やったら、若葉マークがまだついている頃だ。
あの比較的簡単だと思われる車の運転でさえ、
私は若葉マークの頃、色々と大変やったし、
まわりのドライバーにも迷惑旋盤甚だしかったと思う。
そういう意味では、気の毒にも思う。
だけれど、運転士になる過程で、乗客の安全第一というのが
すっぽ抜けに指導されていたとは思い難い。
若いという事はこういう事なのかもしれないけれど、
運転士になるという事は、乗客に対して自分が
どういう立場に立つのか、という事をもっと真摯に
謙って考えていたならば、と、その責任からは
死んでも逃れられないのだとも思う。
そうして、嘘の報告。
40mが8mで報告されていた。
42歳にもなった車掌が、運転士がそう言ったから、
(ま、年は関係ないねんけど、つい同じジェネなんで)
「しょうがないな、そうしようか」という事になったらしいが、
どないやねん、アホかぁ、恥を知れ、恥を!と言いたい。
そこで、40mで報告をしていたからと言って、
この事故が起こらなかったという事にはならないとは
思うけれど、
「あんた、自分が起こした事の責任は、
きちんと自分で取らないとあかんねんで」と言っていたなら、
どうなってたかなぁ、と思わずにいられない。
運転士と車掌の共同責任体制なのかどうなのかは、
私は与り知らぬ分野だけれど、
乗客として、私にとって運転士と車掌は二人で一組、
それはビューティー・ペアのような存在だった。
駅に到着すれば、それは駅員を交えたトリオとなる。
そういう風に考えてる人ってのはいないのか、私だけなのか?
「急がば回れ」という言葉があるが、
あの言葉は本当だと思う。
遅れを取り戻す為とは言え、規定に添っていれば・・・、
と思わずにいられない。
それを運転士に促すのが車掌の仕事だとしても、
なかなか難しい事なのだと思う。
切羽詰った人間の心に、時として、忠告は届き難い。
虚偽の報告をした車掌はアホンダラァやと思うけれど、
だが、全責任を彼に押し付ける事はできはしないのだ。
JR西の記者会見の模様もテレビで見た。
で、ここで私は憤る!瞬間湯沸かし器登場である。
車掌が県警から事情聴取を受けている事を報告した矢先に、
それは推測だった、とか、なんとかかんとか。
「今後の捜査に影響するような事は・・・云々」
それがよ、何の調査もする前から、
「脱線は置き石が原因濃厚」みたいな発表をしたりして。
あんた、車掌が事情聴取を受けてるかどうかの真偽を
はっきりさせる事と、「置き石原因説」を発表するのと
どっちが「今後の捜査に」関与しやすいねん!?
と、テレビ画面に詰め寄ってしまった。
「このっ!!!、卑怯者っ!!!」
言うとくけどな、国民はそんなアホちゃうで。
あんたらのヤラシサはすぐに見抜けるねん。
こんな大事故を起こしてしまって、
今更その態度はないやろうが。
「自分で起こした事の責任は、
自分で取らないとあかんねんで」と誰か言うたってくれ。
そこには、
「これはね、運転士が個人で起こした事故であってね、
私らもねぇ、こんなん困ってるんですわ」という、
なんか大きな勘違いが見え見えなんである。
その解釈は、悪いけれど、
日本という土壌では成り立たないのだよ、JR西日本!
昨晩のアメリカのニュースでは、
運転士の責任は問われずに、その上司の責任が
問われている、と半ば不可思議そうに報道していた。
アメリカは個人主義の国なので、
上のような解釈も成り立たない、と言えば嘘になる。
例えば、どこかの店に行って、何かの不都合について文句を
すると、店の店員は、
「そんなの私に言われたって困る。
私はここで働いてる
だけ(!)なんだから」と、すぐに言う。
日本でなら、「働いている」=「共同責任者の一人」という
意識が働いているので、すぐに謝罪するなり、
なんなり、その不都合の解明に乗り出すだろう。
そういう国なので、どうして運転士の責任が問われない
のか、ある意味不思議で不思議でたまらないのだろう。
日本でだって、運転士の責任は問われるさ。
だけど、上司もそのまた上司も、そのまたまた上司も、
そうして会社全体の責任も問われるのが日本なのだ。
それに、今回は、その運転士自身、生存している可能性が
極めて低いのも原因しているのは否めない。
とにかく、犠牲者の方達のニュースは涙なしには、
読めない、聞けない。心が痛い。
ご遺族の方々には、かけられる言葉が見つからない。
テレビでは、どこへもぶつけられない怒りを心の内に抱えて、
佇み、涙し、立ち竦む方達の姿を見て、
本当に言葉が出なかった。
過失で亡くなる、という事は、
亡くなるべくして亡くなったとは誰も思わない。
そのいるべき人がいない空間、どうやって埋めて行くのか?
考えるだけで、頭がクラクラする。
これが、うちの家族の一人だったら?
そう、考えずにいられない。
だから、余計にJR西日本ののらりくらりに映る姿は
瞬間湯沸かし器の温度を激しく上げる。
どうか、鉄道に限らず、多くの人々に関るのがお仕事の
企業の方々。国の法だけで安心せず、
自らの判断も充分に生かして、人々の安全に努めて下さい。
この事故も、安い出費で防げた可能性もある、と言われています。
どうか、どうか、常に最悪の場合も想定して、
人々の安全に努めて下さい。
それが、延いては、次の事故を防ぐ事になり、
経済の安定へも繋がるように思います。

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