とうとうやって来た、とうとうこの日が。
今日はDとBが心の底から楽しみにしていた中学訪問である。
DとBが日本の中学を訪問したいと思ったのは、
少なからず、大人が聞くとつまらないと思える期待が
あっての事だが、それでも、アメリカの中学へ通う人間が、
日本の中学の現状を知っておくのは、
決して悪い事ではない。
それは、うちの息子達にも言える事であって、
特に、この9月から中学校へ上がるケイたろぴんには
よくよくその違いたるものを理解して、
新しい学校生活を心して送ってもらいたい、という気持ちもある。
そもそも、DとBが何故そこまで中学訪問を熱望したかと言うと、
それには2年前、広島の小学校で体験入学させてもらった
息子達の経験談が底に横たわっている事は否めない。
広島の子供達は皆、とても人懐っこく、ただアメリカから来たという
だけで、生粋の日本人の息子達を取り囲み、
ありとあらゆる質問をしたらしい。
その経験をアメリカに帰ってから友人達に話すと、
皆が皆、こぞって「僕もそういう経験をしてみたい」と
言った・・・、とはついこの間も書いたばかりの事である。
果たして、DとBは小学生とは違って、それなりに大人に
なりつつある中学生に同じように扱ってもらえるのか?
うちの長男なんかは、お願いだからキャーキャー取り囲んで
やって欲しいと、訪日前に祈る程であったのだが・・・。
まず、その結果から言うと、もの凄い反響であった事には
間違いがない。だが、DとBが経験した「キャーキャー」は、
うちの息子達が経験した類いの「キャーキャー」ではなく、
いささか趣きが違っていた事は火を見るよりも明らかである。
息子達のは、「アメリカってどんなとこ?」という好奇心を
埋めるべくの「キャーキャー」であったが、
DとBにもたらされた「キャーキャー』は、
ジャニおたが発する類いの「キャーキャー」で、
休み時間に控え室へ戻ってくると、
その部屋の前の廊下は黄色い声の女学生で溢れるのであった。
それはもう、もの凄い「キャーキャー」である。
DとBが勘違いをするのも時間の問題、という位に凄い。
トイレへ行こうものなら、女の子の群れが後ろを付いて回り、
どこかへ姿をくらましても、女子の黄色い声がする方に
必ず奴らはいる訳で、ま、保護者としては、
どこへ行ったかが一目瞭然に理解できたので、
楽は楽であったが、それにしても私の想像を絶する
雄叫びの連続であった。
「写真を撮って下さい」
「どうしてこの学校に来たのですか」
「どうしてY(←姪っ子の名)のクラスにいるんですか」
「サインして下さい」
「メールアドレス教えて下さい」などなどなどなど・・・!
この子らはアイドルかえっ!?というもてなしぶりであった。
だが、そういう取り巻きが大の苦手な長男は、
しかも、今回は自分には一切関係なく、
ただ単に自分がDとBと一緒にいる、という理由だけで
取り囲まれるという理不尽さを伴うものであったりするしで、
訪日前には彼らの為にこの状況を祈ってやったにも拘らず、
大変にご機嫌斜めで、ある一定の時間が過ぎると、
「もう帰ろう」「もう十分に見学した」「帰っていいか」を
連発し始めた。だが、この世の春を大満喫中のDとBが
帰ろうなどと言う筈もなく、
結局、10時頃から中学校へ行って、帰って来たのは
午後5時半を大きく回ってからであった。
さて、肝心の中学校見学の方であるが、
その中学校、私が中学生の頃にはもう存在していたようで、
アメリカの近代的建物に慣れ親しんだ目には、
あまりの老築化に目もあてられないような惨状を呈していた。
別に汚いとか、臭いとか、そういう事ではなく、
ただもうもう、とにかく古い感じが否めないのだ。
特に、調理実習室なんか、昭和50年代そのままという感じで、
もうちょっとどうにかならんのかな、と首をかしげる程である。
理科実験室も、私の中学又は高校時代を難なく思い出せる程の
年代物で、教育その物の古さを感じてしまう。
授業風景も、30年前と何ら変化がなく、
今の大人びた子供達には、なんだか無理があるのではないか、と
ゆとり教育とかなんとか言う前に、抜本的な改正が早急に
必要なんでないのか、の思いを再度新たにした。
そんな中、生徒に向けたカウンセリング・ルームというのが、
私の時代にはなかった物として、学校に存在していた。
その部屋の中で、案内役をして下さった教頭先生が、
「アメリカにこういう部屋はありますか?」と問われるのに、
はて?こういう部屋はなかったんじゃないのか、と思ってしまう。
学校に心理学者は一人必ずいるが、
確か、日本で言う所の保健室とてないような気がする。
子供に確認してみると、やはり「ない」という返事。
「ないですねぇ」と答えると、
教頭は、「どうして?不登校児とかどうするのですか?」と聞く。
私は、「だって、不登校児という言葉もないし、存在もないですから」と
答えるより仕方がなかった。その返答に対して、驚愕を隠せなかったのは
教頭で、「どうしてかしら?何が違うのかしら?」を連発されていた。
どうしてかしら?何が違うのかしら?
うーむ、難しい事だが、あえて言うなら、国民性の違いかもしれない。
たちの悪いからかいはアメリカにも現存するが、
日本のように陰気この上ない虐めは存在しない。
重箱の隅をつつく程に管理教育な日本だが、
日本人が見たら発狂しそうな程ダラダラいい加減なアメリカである。
教育だって、考え方の根本が違う。
オールマイティに広い知識を要求する日本に対して、
クリティカルな考え方を養おうとするアメリカ。
読書という課題を強く要求せずに活字離れを嘆く日本と
どこまでも「読めてなんぼは書けてなんぼですから!」と
読書に力を注ぐアメリカ。
違う所はいっぱいある。だけど、一番違う所は、
他人と自分を比較しないって事じゃないかしら?
そうして、暑い中、放課後のクラブ活動まで丹念に
見学して回った私達、
「お願いだから帰りましょう」とDとBに懇願して、
帰路についたのである。
が、そうやって帰る道々、ふと後ろを振り返ると、
かわいい中学1年くらいの女の子が3人ついて来ている。
何事か、と思っていると、つつつと3人近寄って来て、
かわいい声で「写真を一緒に撮って下さい」と言う。
DとB、おおにやけである。
その上、「メールアドレスも教えて下さい」とも言う。
良かったねぇ、D君、B君、願いが叶って。
この日の事を忘れずに、世界の友好に情熱を注げるような、
そんなアメリカ人になってくれたまえ。
おばちゃんは、それを心から願っているよ。

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