この所、なんだか「やる気」が起きず、
本当にダラダラとしている。
どこにも行きたくない、
なっんにもしたくない、という感じ。
脳みそのやる気度が大いに下がっている。
つくづく、私って主婦に向いてないなぁ、と思う。
かと言って、勤め人にも向いていない。
ま、どちらも、何の努力もせずに、
「向いていない」と断言する辺で、
人間おかしいと自分でも思うのだけど。
さて、そんなにダラダラと自分のやる気のなさ、
才能のなさを嘆いてる時は、読書で現実逃避をしている私。
最近の読書傾向である。
1週間に一度のNewsweekは欠かさず読んでおります。
My Turn Essayとその週の目玉だけは、必ず読みます。
で、先々週だったかのMy Turn Essay は、
突然、自分の奥さんを噛んだ最愛のドーベルマンの男の子を
始末せねばならなかった人の話で、
泣きに泣きました。今、こうやって書いていても、
涙が出る。今週号では、40歳からこそ脳みそが
その価値を発揮する科学的データに基づいた特集記事を読んで、
「頑張らんとあかんな」と漠然と思いました。
あくまでも、漠然と・・・なのですが。
「1リットルの涙」「命のハードル」を読んだ事は、
先にも書いたので割愛。
「やすし・きよしと過ごした日々」という、
やすきよが絶頂期にいた時のマネージャーだった人の話を
読む。これが、思いの他、面白く、
また考えさせられる物だった。
大阪における吉本という会社の役割、影響力から、
今や、その大阪芸人が東京へと移って行く主な理由と共に、
一世を風靡したやすし・きよしの素顔に迫る。
なんだか、私はもう死んでしまったやっさんの人生は、
大阪の縮図のような気がしてならなかった。
よく、大阪で「惜しい芸人さんを亡くしたで」とやっさんの
事を残念がる人が多いが、この著者は、
もし今生きていたら、「ただの酒飲みの酔っぱらいのおっさん」
やったと一刀両断である。だが、私もそう思う。
死んで彼は春団治を凌ぐとも言われる大阪の愛すべき
芸人として神格化されたのだと思う。
死んでこそ、やっさんは大阪の華になったんやな。
本当に素晴らしい芸人さんです。天才です。
こうやって、死んでも尚現在形で語られる人は、
あんまりおらんやろ、と。
「the Da Vinci Code」を読んでいる。
これは、まだ途中。
英語なので、日本語の本が入って来ると、
ついついそっちを先に読んでしまうから、進みが早くない。
だけど、これがやっぱり面白いのだなぁー。
今、15章位にいるのだが、ドキドキハラハラ。
寝る前に15分から20分読もうと思うのに、
今では話に興が乗ってきて、ついつい次、次、と思って、
寝るのが遅くなってしまう程。
映画になる前に読んでしまいたいな。
そうして、また映画をこき下ろす。
「やっぱり、原作よねぇ〜〜〜」と。
これ、皆さん、私、分かってやってるのです。
ま、趣味の悪い趣味って感じやね。
最後に、あるタレントが「1リットルの涙」を読んだ
感想を言っているのを読んで。
20歳そこそこの彼は、その本を読んで、
「僕もいい加減に生きてきた訳ではないし、
それなりに頑張って生きてきたけど・・・」云々と、
彼なりの感想を述べるのだが、
私は、その上記の部分を読んで、頭をガツンと殴られた
ような気がした。
20歳でそう言いきれてしまうのは、
もちろん、若さというアロガントな部分も多分に含んでいる、
とは思うけれど、でも、すごい事だな、と思うのだ。
芸能界という厳しい世界で、それなりの結果を
長く下積みをしつつ結果を残す人、というのは、
若くても言う事が違う。自分よりも数倍、人生を堪能しながら
生きているのだな、とこの人の倍も生きてきた私は、
ショックを受けてしまう。
ああ、私はこうは言えない。と。
で、昨日から、なんだか私は、
このタレントを思い出して、
「あの人、時差のある日本の今頃も働いてるで。
あんたも、あの人の10分の1やねんから、働き」と、
内心で言い聞かせて、のろのろとやらねばあかん事をやっている。
手始めにやったのは、トールの絵の具の整理。
144本もあって、自分でも驚いた。
その上、まだ今日8本位追加しようと思ってるんやから、
これ、アッと言う間に200本位行くで。
人間、自分のそれ程好きな事は仕事にせんほうが良いと言う。
ならば、トールはうってつけ。
これ、もう真剣に仕事にしようかな・・・、と情けなく思う。
ああ!なんか、私のやりたい事って何なんやろう?
八方塞がりやな、と焦っている。
ま、そういう時は、本でも読んで・・・
あっかんやぁ〜〜〜ん!
堂々巡りやな。

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