昨日の午前中に、ぶーがプロバイダに引っ越しの旨を
通達したら、ネットが再開出来るまでに、
2business daysもかかると言われた。
私達の引っ越しはmemorial day week endだから、
結局、来週の水曜日以降の復活となる。
「えっらい長い事繋がれへんのや」
なので、本当に今日で最後、
今からもう一つだけ書いてお休みしようと思う。
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昨晩、久方ぶりに日本語のニュースを観た。
アメリカに来てから、あんまりテレビを観なくなった。
結構面白い番組もあるのだが、
あのコマーシャル時間の長さに私は閉口してしまうのと、
来た当初の「一体何を言ってるのか全然わからへん」が
未だに尾を引いていて、
テレビのスィッチを点けるまでにうんと時間がかかる。
だが、カリフォルニアに来てからは、
毎朝7時からと毎晩11時半からと土日の夜8時から、
日本語の放送がローカルチャンネルで楽しめるようになった。
最初の内は、物珍しさもあって、
ちょくちょく観ていたが、最近はそれからも遠ざかっている。
が、昨晩は、何の気無しにテレビを点けて、
たまたま時間が午後11時半だったので、
そのままチャンネルを合わせて、日本語のニュースを観たのだ。
しかし、ニュースはどうやら最新ではないらしく、
日本のその前の晩だかにやったNHKニュースを編集した物が
再放送されている、という感じである。
それにしても、と思う。
日本語って、なんて分りやすい言葉なんだろうかね、と。
日本滞在中も思っていたが、
テレビを観ていて、勘に頼らない時間の流れとは、
なんと心地良いものなのだろうか、とつくづく思う。
言葉の端々まではっきりくっきりと理解できる。
そこには一点のシミも曇もないのである。
その上、何か他の事をしていても、理解出来てしまう。
どうやら耳の聴覚も格段に研ぎすまされたかの様である。
なんだか聖徳太子にでもなったかのようだ。
そうして、次に驚くのが、なんてなんて小さい子を
巻き添えにした事件事故が、
今や日本では多いのだろう、という嘆きであった。
秋田県での連続子供殺し、佐賀県のひき逃げ、
夕刊を取りに出た子供のマンションから転落死事故。
被害に遭ったご遺族、ご家族の事を思うと、
今更ながら言葉はないし、
心中察して余りある、という思いである。
特に、秋田、佐賀の事件について思うのは、
犯人の凶悪性もさることながら、
警察の手ぬるいお役所仕事的捜査方法である。
私の友人のかおるちゃんが彼女のブログ「族・10年日記」の
中にも書いていたが、もちろん、犯人が一番悪いし、
それこそ人間じゃない、私も「鬼」だと思う。
しかし、それを捕まえてもらうべく依頼し、信頼を寄せるべき
警察がこの程度では、警察バッシングされても、
誰も文句を言えないのではないか、と思ってしまう。
私は知らなかったのだが、
そのかおるちゃんのエントリに寄ると、
佐賀県のひき逃げ事故に遭った男の子を見つけ出したのは、
彼自身の高校生になるお兄ちゃんだったらしいではないか。
私は朝日.コムの中で、発見時間の「午前1時40分」という
記述になんだか変な違和感を覚えていた。
高校生と言えば、うちの長男と同じ年頃ではないか。
それが暗い山中をよくぞ、と、発見出来た事を喜ぶと同時に、
なんて辛い再会だったのではないか、とその心を思って
複雑極まりない思いにかられた。
警察の言う事を鵜呑みにして、午後8時で捜査を打ち切って
いたなら、今も意識不明の状態でいる男の子の命は、
意識不明どころか、ろうそくの火と同じに立ち消えに
なっていたに違いない、と思うのである。
その他にも、警察のバッシングの材料となる事は多々ある。
秋田県の児童殺害の事件にしても、
その数日前に、その男の子の家の3件隣の女の子も
遺体で発見されていた、と言うではないか。
女の子のお母さんは事件の可能性を示唆したが、
警察側は呑気に事故の一言で片付けていた、と言う。
これは結果論だが、しかし、母親の気持ちを宥める、という
それ位の気持ちでさえも、事件の可能性を否定せずに
捜査を続けていたなら、二人目の犠牲者は
出なかったかもしれない、とは言えないだろうか。
全ては結果論である。
警察とて、いい加減な気持ちで物事に当たっていたとは
当然言えないのだが、しかし、被害者の側の気持ちで
考えると、その立ち回りにイライラ感が募るのも
否定できない事実なんだろうな、と思う。
ただ、今のマスコミがやっているように、
闇雲にバッシングを繰り返す事はおかしいとも思う。
それは、ただ便乗しておもしろおかしく、
自分の訳のわからん欲求不満を解消すべく意地悪をする
意地クソの悪いガキのような態度に映らない事もない。
だけれど、正しい批判もまた大切なのだと思う。
犯人に一度接触しておきながら、
それを取り逃がすという大失態をやっておきながら、
「それは結果論だ」とうす笑み浮かべて正当性を主張した
副署長の顔は忘れられない。私には到底、それが全うに
正当だったとは思われない。
万が一を想定し、その場を動かないで、と現場を確保し、
人を呼ぶなら手分けをしつつ・・・、と動くのが当然だろう。
そこに、青色の前が潰れたトラックがあったのなら、
それを目の当たりにしているのなら、尚更だったのではないか。
人が一人、生きるか死ぬかで頑張っている、と言うのに。
余りにものお役所言動には怒りさえ込み上がる。
しかし、本当に悪い事をする人間が増えた。
昔も極悪非道な悪者はいたが、
でも、それは日常の普通の人達の中に、
まるで突然変異の生物のようにいた、と思われた。
が、今は違うな、と思う。
普通の人が二つの顔を持っている、としか思えない。
あまりにも簡単に、
あまりにもどうでも良い、長い人生においてそれ程影響を
与えない事を理由に人を殺め過ぎる、と思う。
国が健全でなくなっているのかもしれない。
子供達は夢が見れない。
大人になる事が子供の内から冒険ではなくなった。
学校は灰色に染まり、
その学校にさえ行けない子供達が溢れている。
そうして、子供が子供を殺したり、
子供のままの大人が横行し、人を殺す。
日本がどんどん悪くなっている。
私が日本に住んでいた9年前、子供を外へ遊びに出すのに、
全く躊躇がなかった。
外で遊んでいる子が夕方に帰って来るのは当然の成り行きの
1つだった。だが、今、果たして、私は子供だけで外へ
遊びにだせるだろうか?
絶対に無理だな、と思う。
今や、その当然の成り行きは
当然ではなくなってしまったのだから。
10年一昔、と言うけれど、
10年って、本当に早い様で長い年月なんだな、と
そんな風に変貌して行く我が母国をぼんやり見つめつつ、
心が痛い私である。

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