ゲイパレードのついでにタイタニック展。
1900年代の終わりに、ほぼ90年ぶりに
現代の技術の結晶とも言うべき潜水艦によって
引き揚げられたタイタニックの遺品が、
ゲイパレードをやっている通りから地下鉄で一駅
行った所でやっている、と言うので観に行った。
しかし、高い。
大人一人が22ドル、子供も15ドル。
本当に見る価値があるのか?と、一瞬悩んだのだが、
折角来たのだし、と、清水の舞台から飛び降りたつもりで
チケットを購入。
「5ドルで音声もつけるけど」と窓口のおばちゃんに
言われたが、「いりません」と即答で断る。
チケットを貰って、緞帳のような幕の向こうから
始まっている展覧会へ入って行こうとすると、
その手前に別のおばちゃんがいて、
「チケットと引き換えにボーディングパスをあげますからね」
と言う。なんの事やろう?と思っていると、
チケットを私の手から受け取ると、それと引き換えに
ハガキ大のボーディングパスと書かれた紙をくれた。
「後ろに当時、本当にタイタニックに乗船した人の
名前が書いてあります。その人のバックグランドも
書いてあるので、それを読んでその人になりきって
中に入って下さい。会場の最後に、あなたが死んだか
生き残ったのかがわかるようになっています」
な、な、なんだってーーーーー!!!
嫌だなぁ〜、そんな当たるも八卦、当たらぬも八卦みたいな
もん、人に渡さんといて欲しいわぁ〜。
すぐ物事に感化されやすい私は、その人が生きてたか
死んでたかで、自分の人生にまで影響するかのような
気持ちになってしもうた。かなひぃ〜〜〜。
きっと、その人の霊が私に憑依したかもしれん!!!
さて、展覧会は非常によく出来ていた。
22ドルも払った価値は充分にあったと思う。
海の底に長い長い時間沈んでいたと言うのに、
驚く程そのままの形を留めている物もあり、
なんだか不思議な気持ちになった。
あまりにも美しいので、それが海の底で眠っていた事を
忘れてしまう。
タイタニックという船の豪華さから、
引き揚げ当時はどんな宝石貴金属類が上がって来るか
わからない、とロマンをかき立てられた人も多かったようだが、
上がって来たのは、洋服や船の中で使っていた食器類、
誰かの眼鏡、等等等、実にありふれた物ばかりだったようだ。
宝石も、金も銀もなかったが、
しかし、人骨もまたなかったのが不思議な気がする。
キッチンの棚からその羅列のまま海底の砂に
行儀よく並んだ皿達、ほとんど欠ける事なくその模様の
鮮やかさまでもが当時のままに上がって来た
ファーストクラスの皿やカップ。
当時の原型を未だに伝える洋服。
だが、人はいない。長い時間をかけて、海の生物と
その潮の流れの中に、人は居なくなってしまったのだろうか。
それこそが人の行く末の様な、
人という物がそもそも、そんな儚い存在なのだ。
また、タイタニックのスミス船長の話しには感銘を受けた。
確固とした命令を言下に下せるのに、
非常に温厚で口数も少なく、穏やかな人だった、と記録には
ある。タイタニックを持っていた船会社の常連達の中には、
スミス船長が指揮を取る船にしか乗らない人も沢山いたと言う。
本当は、1911年に定年退職する事が決まっていたのに、
タイタニックの就航にはぜひスミス船長で、という要望に
答える形で乗船する事になったらしい。
沈まない船という絶対的な触れ込みで水に浮かんだ船の
最初で最後の航海で、永遠にその船と一体になって
しまったのだ。これぞ船長。男の中の男。
涙が出そうだった。
ご家族には、この航海が終ったら退職して、
楽しく過ごそうと言いおいて出かけられたらしい。
それを思うと、本当に残念でたまらない。
所で、そのボーディングパスの乗客だが、
私の名前はA夫人、小さな子供と二人でアメリカへ先に
渡り、生活のメドをつけたご主人の元へ行く為、
イギリスから船に乗った人だった。
乗船した客室はサードクラス。つまり、三等室。
一番下のクラスの客室で、それより下はもうない。
ちなみに、うちの旦那も三等室の客。
映画タイタニックが爆発的にヒットした時、
亡くなったのは三等室の乗客がほとんどだったと聞いて
いたので、なんだかどんよりとした気持ちになる。
だが、その反面、これで生き残っていたら私もまた強運の
持主になるような気もする。アホな私である。
と、ふと見ると、ぶしゅぶしゅだけ二等船室の客である。
・・・なんなんだかなぁ。
最後には、乗客の名前が全て客室ごとに、
更にその中で生き残った者と亡くなった者とを分けて
リストアップされていた。
旦那と二人、ぶしゅぶしゅそっちのけで三等室の前に
立ちすくみ、お互いに自分の名前を探すのに忙しい。
「あった、あった、あった!僕、生きとった!」
くそ。ぶーは生き残っておったか。
あの男、元々何かと調子が良いと思っておったが、
ここでもそうであったか。
と、更に目を凝らしていると、
「あった!私も生き残ってた!やった〜!」
何かの占いで私は中年以降から調子が良い、と書いてあったが、
フッフッフ、どうやらその通りになって来てるようである。
私の名前もあったぞよぉ〜〜〜!
もちろん、二等船室の客であったぶしゅっこも生き残っていた。
そこで、ふと疑問が。
「あんな、僕、思うねんけど、やっぱりこれって、
展覧会観に来てくれたお客さんの気持ちを慮って、
生き残った人ばっかりの
ボーディングパスを渡してるのと違う?」
と、ぶーが言う。
「ああ・・・、そうかもねぇ・・・」と、
私が答えようと思ったその時、ぶーのすぐ隣に立っていた
女の人が・・・、
「I died・・・・・・・・・・」>渡すのね、やっぱり。
これまた、色々と考えさせられる遺品展だった。
ゲイパレードと言い、タイタニックと言い、
なんてこの日は盛りだくさんな一日。
ゲイのお祭りに来ていたゲイの人達の様に、
自分に甘える事なく努力して、又、正直に生きて、
そうして、タイタニックの人達のように、例え大事故の間に
生き残ったとしても人間、いつか消えて行くのだから、
と肝に銘じて生きて行こう。
そんな風に思った41歳の夏の始まり・・・である。

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