今日、こちら時間正午の飛行機で、
お預かり中の子供が日本へ帰った。
長いようで、振り返ってみると、短い滞在だった。
14歳という多感な年頃に様々な違いのある物に
触れるのは良い事だし、これから先の彼の人生に
それらが何らかの変化をもたらす事もあるのかもしれないが、
もちろん、14年と7ヶ月という短いようで膨大な時間の
中で育まれた「彼」という物が劇的に変化する事もなく、
彼は帰国の途についたのは言うまでもない事である。
私は徹底的に彼のフォスター・マムと化して躾に専念した。
全く何の躊躇も遠慮もなく、怒鳴りつけるし、叱りつける。
「朝の挨拶をしなさい」
「ありがとう、は?」
「そういう時はごめんなさい、でしょ?」から始まって、
「口答えはするな」
「はい、と返事は一度で良い」
「大人をもっと尊重しろ」に渡り、
最後には、
「人と話す時には目と目を見て話せ!」と言った。
今の彼をこの窮地に追い込んだのは誰だ?と思って
お預かりした。しかし、それが彼自身である事に、
私が気づくのに時間はさほどいらなかった。
1週間と数日ではっきりとしたし、
その兆しは預かったその日の内に起っていた様にも思う。
最終日、ふとした事から私はまた怒り狂った。
ちょっと学校の事を聞いたら、途端にむくれて、
そっぽを向き、大人を大人と思わない態度に出たからだ。
そうして、私が話している間、それがいかにもつまらない事
だという風に、彼は本を取り出して、私の話しにいい加減に
相づちを打ちながら、ジッと見入りだした。
読むのではない、ただ見ているのだ。
「あんたな、私、今あんたに話してんねんやろ。
なんで、本を見てるねん」
すると、彼は本を放り出して、顔を横に向けたまま、
口にこそ出さないが、しかし、態度で巧妙に
「ほら、聞いてやってるんだから、早く話せよ」と言った。
私は言った。
「あんたは誰と話してんねん」
彼はこっちを見ずに「リジィ子さんでしょ」と大柄に言った。
私は大きく息を吸い込むと、大声で、
「人と話す時にはその相手の顔を見ろ!他人と話す時の
それが態度か!人が話してるねん、その人間の目を見ろや!」
と言った。こっちを向いた彼の顔は、怒りの為なのか、
それとも、私への憎悪の為なのか、ただの恐怖の為なのか、
いやに青ざめて、ほとんど土気色に近かった。
「あんた、自分の都合の悪い話になったら、いつでもそういう
態度しとったんやろ!悪いけどな、うちではそれは通用せんで」
「子供を育てる」とはどういう事なのだろう。
理由や経緯はどうであれ、子供を産んだ瞬間から人は
「親」という生き物になり、「子供を育てる」という行為に
自ずと移行していく。しかし、その言葉の意味は
本当はなんなのだろう。
怪我をさせずに大きくする。
大切に大きくする。
健康な子になって欲しい。
優しい子になって欲しい。
子供の名をつける辺り迄は、親はまだ無欲でいられる。
子供誕生という輝かしい事柄の上に、
辺りは希望と喜びで満ち満ちているからだ。
だが、そのよるべない萎びた様な腕を差し出してる
小さな「赤ちゃん」と呼ばれる生き物は、
実に恐ろしい勢いと早さで「大人」と呼ばれる生き物へと
止まる事なき行進をその時すでに始めているのだ。
何度も言うが、
「子供を育てる」とはイコール「大人を育てる」に
他ならない。子供はいずれあなたと同じ大人になるのだ、と
いう観念無しに、決して達成される事のない行為と言っても、
過言ではない。
私は嘘偽りなく言うが、
4回とも分娩台の上で、「さぁ!大人育てが始まる!」と
産まれた子供を見ながら決心したものだ。
その時から始まる赤ちゃんとの生活は、
この天下に類を見ない子供嫌いの私でさえ、
もう一度したい!と思う程甘く、まろやかな経験だった。
しかし、そこから大人育ては始まっている、という事は、
頭の隅のどこかに必ず小さな楔のように凝り固まっていた。
親は果たして、子供に提供するばかりの立場なのか。
よくよく考えてみなければならない。
子供に提供出来る物は、習い事なのかきれいな洋服なのか、
美味しいご飯なのか?
一番大切なのは、きちんとした躾と他人を思いやれる心と
そうして、「あなたも家庭(家族)の一員で、
あなたが私(親)に提供できる事もあるのよ」と自覚させる
事にあると私は信じている。
あなたの子供があなたの言う事を一度で聞かなければ、
あなたの行動を考えてみなければいけない。
もしかしたら、その子供はとても納得したがリやさんで、
どうしてあなたがそういう事を言うのか、その理由を
知りたがっているだけかもしれない。
その時には、どうしてそうなのか、しっかりと話して
やらねばならない。その時点で、泣いたり喚いたりするなら、
あなたは自分の行動のあり方を考えてみなければならない。
それは、子供が小さい内にする事であって、
14歳にも15歳にもなってする事ではない。
口がきける位に大きくなって、人前であなたの事を
子供が辱めるような事があったなら、
あなたは自分の行動を考えてみる方が良い。
笑っている場合ではない。
よく考えてみる方が良い。
子供が14歳にも15歳にもなって、心を悩ますよりも、
もっと早い内に悩んで解決してしまう方が良い。
子供は産めば産む程、その十人十色さに驚いてしまう。
同じ親からどうしてこうも違う人間が出て来るのか、
私は戸惑いを隠せない事しきりである。
だが、あなたにその異色の人を育てる力があるから、
その子が来たのだと思い、また、
その子その子がどういう大人になって欲しいのか、
その人間性のビジョンを具体的に高く掲げ、
楽しみつつ、真剣に、厳しく、愛情を持って、
沢山の叱咤と沢山のキスとハグで、
あなたの欠点長所全てを持って嘘偽りのない姿で
全心全力全霊でして育て上げねばならない、
それが親という者の仕事である。
子供はキスとハグだけでも育たない、
叱咤だけでも決して育たない、その微妙なバランスこそが
物を言うのだ。
私の長女は21歳になった。
長男は15歳である。次男も13歳になるし、次女も11歳に
もうすぐなろうとしている。
中には子育てももう終わりよね、と言う人もあるかもしれないが、
親という仕事に本当に終わりがあるのかな、と、
私は、何度も何度も怒られ嫌な思いをしたにも関わらず、
何度も何度も私達を振り返りつつセキュリティゲートの向こうへ
行ってしまった彼の姿を見ながら深く考えてしまった。
子育てって、本当に難しい。
最初からティーンネイジャーの姿形、あの口の達者さで
産まれてくれたなら、どんなに楽だったかしら、と
私は、ふと、そんな事を思ったりしていたのである。
頑張れ、Y。
しかし、君の年齢では誰のせいにも、もう出来ない。
君が君と向合って、その山を登るしかないのだから。

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