最近になって、昭和天皇が靖国にA級戦犯を合祀している事に
ついてのお気持ちやら、開戦についてどの様な
見解をお持ちあそばされたかの見解が
巷に流れ、人々の間でもちきりになっている。
今から18年位昔、私は大阪でOLをしていた。
その頃、一緒に働いていた私の先輩に、
在日韓国人の人がいらした。
普段は日本名を名乗っていらっしゃったし、
こちらで産まれた方なので、私達との違和感なんて
微塵も感じずにお付き合いをさせて貰っていた。
所がある日の事、会社からの帰り、
梅田の地下街を歩きながら、戦争と天皇陛下の事に
話しが及んだ。どうしてその話になったのか、
どういう風に話しが展開したのかは、もう全く覚えていない。
だが、私が、
「でもな、天皇陛下は戦争したなかってん。
それを勝手に東条がやってんやろ?
めっちゃ怒ってんてよ、開戦の時。そやからな、
天皇陛下はどっちかって言うたら、可愛そうやと思うわ」
と言ったのに対し、いつもは楽しいおちゃらけ満載の
年上の彼女が、いつになくピリリとした口調で、
「そら、ちゃうで。天皇は天皇や。
自分の命を賭しても、自分は戦争反対や思てたんやったら、
戦争止めんとあかんかったやろ。
そんなん、誰の責任にもできへんで。
それが上に立つもんやろ?」と言った。
私は昭和天皇の事が大好きだったのだが、
彼女のあまりの潔い口のきき方に、何も言い返す事が
出来なかった。いつもは忘れていた在日韓国人という彼女の
本当の姿を見た様な気持ちになって、
私はドギマギし、自分は本当にお気楽な日本人なんだ、と
通勤帰りの人達でごった返す地下街のモザイクの様な
コンクリートの床をジッと見つめて、ただ一言、
「うん・・・、そうかもしれんなぁ」とだけ言った。
そうして、最近の昭和天皇の今頃になって現れたお言葉の
数々は、私にあの時の彼女のキッと私を見据えた
丸い二重まぶたの茶色い目や、真っ白な肌にピンク色に
塗られた唇を思い出させるのだ。
そして、それらの古い記憶は、
彼女の言葉はその通りだった、と
私にちょっと哀しいような雰囲気で認めさせてしまう。
今尚、特別な存在として語られる事の多い裕仁の、
それは人間としての深い表れなのだ、と、
私は今頃になって感慨深く思ってしまう。
もちろん、残念な情けない気持ちもあるが、
しかし、神と位置づけられ崇められながらも、
その実は裸の王様の如くに扱われた人間としての彼の
哀しみや無念さえも感じられてしまうのだ。
裸の王様は、裸である事を知らなかったが、
そのほとんどの時間を裸である事を知っていた神・裕仁は
そのなす術を知らずにどういう気持ちであったのか、
凡人の私にはその全てを量る事さえできない、と思う。
彼の決定によって、大きく人生を左右された方々は、
そんな人間・裕仁の事を赦す事は難しいだろう。
私が、その18年前の彼女の立場なら、
赦す赦さないは別としても、その当時の私のような
思いを抱く事は無理な相談だったろうとも思う。
だが、反面、私が裕仁の立場であれば、
もっともっと言い訳もしたかったかもしれない。
私はその彼女に出会う迄、天皇陛下の事をそういう観点で
見ている人がいる、なんていう事実知りもしなかったが、
彼はずっとずっとずっと知っていたのだろう。
だが、そのほとんどを黙って過ごし、その上、自分の代で
自分が子供の頃から絶対的として安堵していたヒエラルキーが
形を崩した頃から、死ぬ迄後悔という味を下の上で
苦く転がしていたに違いない、と思うのだ。
私は、昭和天皇がそうであっても、
まるで頑固者のように、愛する事をやめる事ができない。
今、この「ああ、残念だなぁ」と思う史書が出て来ても、
やっぱり「好きだなぁ」と思うのだ。
私にとって、昭和天皇が神であった事はない。
昭和天皇は人間・裕仁であり続けた。
ただ、私が大人になって、人間・裕仁の人間としての弱さを
深く理解しただけのような気がするのだ。
だから、私の中で、昭和天皇の思いは
やっぱり「あり」であったりするし、
私にとっては、共感したいと思う事柄であったりするのだ。
変よね。

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