人間のたまる所には、必ずと言って良い程、
目には見えないゴタゴタがあったりする。
土曜日テニスでも、ちょっと色々あったが、
表面上は何事も無かったかの様に、私は振る舞っている。
つくづく思うのだが、
これがただ単に、「集まってご飯を食べよう会」なんか
だったら、私はきっともうここにはいないだろうな、と思う。
常々、嫌な思いをする位だったら、
私は一人でいる事の方を好むからだ。
そうして、
「どうして私は何もしてへんのに、
こんな嫌がらせみたいな事、しはるんやろう」とか、
「悪気ないんかもしれへんけど、
この人、人間として未熟なんやな。ま、私はもうええわ。
こんな人からは面倒臭いし離れとこ」などと思って、
しら〜っと引きこもりに入ってしまっていただろう。
果たして、私は何もしていないのかもしれないが、
私という独特な個人を鑑みる場合、私の存在自体がうざいの
かもしれないし、また、何の努力もなく自分をさっさと逃避
させてしまう自分も狡いのかもしれない。
しかし、この度はテニスがあるので、
その悪癖も出せず、ただただ心中にしかめっ面を作りつつも
土曜日になるとラケット持って、フラフラと出かけるしか無い。
まるで、弱みだか人質を取られた被害者の気持の様に、
悲劇のヒロインぶってコートへ向かう。
しかし、ふと思うのだ。
どうして、私はそんなに全ての人から好かれたいと
思うのだろうか、と。
実際、自分自身を振り返っても、私の中にさえ好きな人と
そうでない人とがいるのに、どうして自分は全ての人から
好かれなくてはならない、と思うのだろうか。
私は私である。
周囲の人に気を使ってアホな事を言うのも私だが、
それはあくまで気を使っているのだから、ある意味、
そういうひょうきんな自分を演じている部分もあるのだ。
だから、もちろん、そうでない部分の私もある。
真面目ったらしい顔をして、学問をしたり、哲学したりする
自分も確かにあるが、それを誰彼構わず見せる事はない。
それも私である。
そういう風に、私という個人の中だけとって考えても、
私の中には色々な私がいるのに、
ならば、他人に到っては、それこそ十人十色、色々な感性、
色々な好みがあって然るべきである。
その十人十色に自分を合わせ、完全に受け入れられ、
好かれようとするなんざ、傲慢の極みなのかもしれない。
私は私の思う親切で良い訳だし、
これからも、ステキな人に出会って、
「ああ、そういう優しさもあるのか」と思えば、
「自分にも出来るかなぁ」と実践すれば良い。
それで充分であって、自分が嫌がらせをした訳でもないのに、
意地悪をしたり言ったり、態度で嫌悪感を知らしめる人の事は、
そっとしておくしかないのかもしれない。
あくまでも気になるのであれば、自分から
「私、何かしましたか?すみません」と声をかけるしかない。
とにもかくにも、逃げる所から何も生まれはしないんだな、と、
今頃になって私はそれをテニスを通して学んでいるのだ。
不思議である。
本当はテニスを学んでいる筈なのに、
私はテニスを通して、今頃、
人間関係のノウハウを学んでいるのだ。
他人から見れば、テニスをしている様にしか見えないだろう。
でも、一番私が学んでいる事は「人間関係のあり方」なのだ。
また、リリー・フランキーの
『東京タワー、オカンと僕と、時々オトン』を読んだ。
それはもうその内容に泣きましたけれど、
しかし、私はそこから全く別の事を学んでいる。
リリーさんはそれなりにその業界でも一目を置かれる存在だと
私なんかは、ある意味敬意を抱いているのだが、
今までは、
「ええよなぁ。才能のある人は、ほんまに羨ましい」と、
どちらかと言うと、そういう感じで彼の事を見ていた様に感じる。
「エロジジィでもなんでもええやんけ。
それで飯喰ってけるって事は、才能や!」と思っていたのだ。
だが、あの本を読んで、雷に打たれた様に、
そんな私の考えは間違いであった事に気がついたのだ。
もちろん、リリーさんには才能もあったろう。
だが、その才能で飯を喰ってけるまでに、
彼は一体努力の塊のような人でもあったのだ。
なんでもやる。なんでもなんでもやる。
どんな時にも、やりたくない時でも、ムカつく時でも、
激しい怒りにかられる時でも、
彼は人からバカみたいに言われた仕事をやるのだ。
しかも、一生懸命にやるのだ。
私はどうだろう?
そんなに偉くもないのに、
「人間性を傷つけられるなんて事、耐えられない」とか言い、
「自分のお腹で思ってる事と違う事をやるなんて、
そんなの二重人格みたいで嫌だ」なんて思い、
ああ・・・、バカみたい。
てめぇはただのお子ちゃまなんだよ、死ね!!!と、
自分で自分に100回位突っ込まずにはいられなかった。
私はつくづく甘い人間だ。
そら、何にも私の人生には起らん筈だ。
物事には常に本質がある。
しかも、サブタイトルみたいに、その一等本質の裏側に、
まるで隠れる様にして、それとはまた別の、
しかし、私自身をアッと言わせる様な本質が様々にある。
目を眩まされてはいけない。
心を研ぎすませば、私の足りない所を告発する何かが、
必ず頭をもたげる。
本当に頑張ろう。
今、ちょっとしんどいんやけど、頑張ろう。
心が疲弊してるんやけど、頑張ろう。
じゃ、リジィ子、先ずは立ち上がって
掃除をするのじゃーーーーーーーーーーーーーー!!!
先ずは、そこから?
ええ、そこから。
すれば、運気も向いて来るゾエ。

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