昨日のお昼過ぎ、子供を迎えに行く車の中で、
ベネズエラ国大統領の国連での演説の一節を聞いた。
その前に、ニュースキャスターが、
「ベネズエラのチャベス大統領は合衆国とブッシュ大統領を
強く批判しました」と言っていたので、
「へぇ〜」と呑気に聞いていたら、
あまりの強烈さにびっくりしてしまった。
ベネズエラ大統領の演説はスペイン語でされたのだが
(もしかしたら、ポルトガル語だったかもしれない)、
それを女性の同時通訳者がそのままに訳すので、
余計に強烈に思えたのかもしれない。
「昨日、ここには悪魔が来ました。
ここに悪魔がやって来たのです。
そうして、悪魔はここで私と同じ様に演説をしました。
まだここには悪魔の臭いが残っています」
悪魔である。悪魔。
ものごっついなぁ、と驚愕である。
その夜のニュースもその事で持ち切りだった。
確かに、今のアメリカの独断ぶりは目に余るものがあるが、
まさか『悪魔』呼ばわりされるとは、
この毒舌を自負する私でさえ思いもつかない事だった。
「猿くらいにしといたら良かったのにな」と言うと、
夫が、「動物愛護協会から『一緒にすな!』って
それはそれでクレームが入るやろ」
「あ、そか」
「『悪魔』やったら、誰も何も言うてけえへんわ」
この話しを子供達にすると、
どういう訳か子供達は大笑いの上に大喜びだった。
長女は、
「そこまで言ってくれて、どうもありがとうって感じ。
胸がすくわー」と言ったし、
息子達は、
「世界中からそういう風に思われてるって知っとけ」
と、大変に冷たい感想を述べた。
私は、一人で「ううーむ」を首を捻る。
しかも、前日の合衆国大統領の演説は、予定時間を
6分もオーバーする物だったらしいが、
このベネズエラ大統領の演説はそれを上回る9分オーバー。
しかし、終った後には拍手喝采で、スタンディングオベイション
だったというから、これまた驚きである。
常々、このお猿の大統領のアホさ加減には嫌気が
さしてはいたし、きっと世界中で嫌われている、と
思っていたけれど、まさか『悪魔』と呼ばれているのを
他の国人達が拍手して喜ぶ程嫌われているとは思っても
みなかった。なんだかんだ言っても、
所詮、私も自国の内からこの合衆国を見ているにすぎなかった
のだと、少々ショックでさえある。
この演説を聞いた合衆国の政府関係筋は激怒したらしいが、
他国のマスコミがインタビューで、
「でも、他の国々の人達から拍手が鳴り止まなかった事に
ついては何も思わないのか?自分達を省みる点もあるのでは
ないか」と質問されてさえいる。
その質問にその役人がどういう風に答えたのかは失念したが、
それにしたって、私が望む様な、人間的にしおらしい物で
無かった事だけは確かである。
立場上、そんな事言えなかっただろうし、
アメリカ人という気質を考える時にも、
どうしたって言えないだろうな、とは思うけれど。
アナン議長が言う様に、しかし、アメリカは確かに
テロ対策という名目の為に人権を軽視し過ぎたきらいはある。
この間、日本の9・11特集番組を借りて来て観たが、
アメリカは報復と国民の安全という大義名分の前に、
実に一般民間人のアフガニスタンやイラクの人達を、
あのテロで亡くした人々の20倍殺してしまっていると言う。
その上、アメリカの兵士だけで、とうとうテロで亡くなった
人の数を越える兵士が亡くなってしまっているとも言う。
『悪魔』かぁ、と私はしばし考える。
ブッシュの選びとそれを指示した人々。
ユタにいる時には、町中の人達が戦争に思想的に加担している
のを肌で感じさえした。
しかし、『悪魔』かぁ、と考える。
冷静になればなる程、哀しいけれど、そう呼ばれても、
致し方ないのかもしれない、とも思えてくる。
ただ、思いも寄らない形容に私は驚いただけなのかもしれない。
そうして、つくづく思う。
人間だって国だって、同じだな、と思う。
アメリカはイラクの人々の為だと言って、
虚偽の理由を掲げてかの国を侵攻、侵略したが、
だが、どんなにフセインが非情であっても、
どんなに政権がその国の人民の為になっていなくても、
自国の人間にそれを打破する力の無い限り、
それは何の意味もなさず、恨みしか生まないのではないか、と。
そうして、何度も書いたし、これからも書くのだが、
結局犠牲になるのは、罪のない民間人では悪魔呼ばわりされも
誰も何も文句を言えた義理ではないじゃないか。
それに、ブッシュのグリーディーな願望も、
その死に行く人々、逝ってしまった人々の影にチラチラと
ちらついて決して消える事のない炎の様じゃないか。
『悪魔』ねぇ・・・、と口の中で言ってみる。
すると、突然私の前で世界は二つに分かれて、
その集団の大きさは
形をどんどん変えるのが見えたような気がした。
いつの間にか、合衆国は孤立して世界の浮き島に
なるんじゃないのか。
『悪魔』が牛耳る国のなれの果て。
もう、私が子供の頃に感じた合衆国の偉大さは、微塵もない。

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