小説、書いてます。
ノロノロ書いては、嫌になってほっぽらかし、
また忘れた頃に気がついて、
恐る恐るファイルを開けては、その前に閉じた時に
感じた程悪い出来ではないのに胸を撫で下ろしながら、
信じられない事に書き続けているのだ。
「これは、ファーストドラフトよ」と言っているが、
長くなればなる程推敲する時の事がうざったくなってしまう。
だから、なるだけ推敲せずとも良い様に・・・、と、
最近では4、5ページ書くと読み直して、おかしな所、
辻褄の合わない所はないか、と目を通し、
「そうでもないな」と思ったら、
「ええい、ままよ!行っちまえ!」と次のストーリー展開へと
駒を進める様になっている。
思えば、今と同じ位を書き貯めた所で、
前のファイルはファイルその物がぶっ壊れてしまったが、
あれで良かったなぁ、と思ってしまう。
もう一度練り直し、不必要な部分は削ぎ落せたからだが、
でも、今も本当の本当は、不必要だらけなんだろうな、と
恐ろしく思っている。
書いている時って、まぁ、うぬぼれもきついし、
気持ちも高揚しているから、不必要な事を書き足し過ぎるのだ。
後で読むと、バッサバッサと落したくなる言葉のゴミで
結構一杯だったりする。
この小説、家族には誰一人として読ませていない。
家族は私がくだらない小説を書いていると知っているが、
内容の『な』の字も知らないのである。
だが、家族以外にこの小説を書いている人は五万といる。
今、ここでこの散乱文を読んでいるあなたも、
それを知っている一人であるが、
とにかく近しい人達はみんな知っているのである。
だから、私を見て、そういう書き物の話しや、
本の話しになると、思い出した様に、
「あ。そうそう。リジィ子さん、小説の方はどう?」と
聞いて来るのである。
私はそうがどういう訳か、死ぬ程恥ずかしいのである。
お願いだから、私の家族の前でその話しはしないでくれ、と
強く強く思っている。
だが、そこまで私自身の空気を読めない人間は、
「なんですか、リジィ子さんの青春時代のお話が
ベースになってるんですって」とか、そんな事まで言って来る。
お願いだから、やめて下さい、と祈る様な気持ちになる。
私の書いているのは、確かに、私が多感な時期に感じた事を
書いているのであるが、一部を除いては全て架空である。
軸となるテーマが青春時代を今振り返って思う事で、
出て来る人間、お話の流れ、起る事は全部ほとんど架空だ。
どうしても読みたいから言う友人に、
第一章だけコピーして送ったのだが、それを読んで、
その人は、「あれって、本当にあった事?」と
私の家族の前で言った。
「あれがああなって、これがこうなったでしょ?
あれって、本当の事?」
と、家族の前で言った。
・・・ってっめぇーーー!一回死んで来ぉーーーい!!!
と、思ったのは言うまでもない。
私の書いた物を全部丁寧に読んでくれているのは、
今の所、アンドリューさん一人である。
書き上げた物は、幾らか溜まった所で、順次送っている。
その妻の知恵離ちゃんも読んでくれている。
その二人とは、こちらへ遊びに来てもらった時に、
存分に私の小説についても話しをしたが、
決して家族の前で、そんな事細かい事を言ったりはされない。
そんなの暗黙の了解だ、とばかりにされない。
その上で、色々とこう思った、ああ思った、
という事だけは教えてくれる。
本当にありがたい事だ。
そこで意外な事を二人が言ったのだが、
私の書く小説が思っていた物と全然違うらしい。
どんなもんを私が書く様に二人は思っていたんかしら、と
私の方が不思議がっていると、
「だって、ブログのエッセイがあんな感じやろ?
そやから、あんな感じの物を書くんやと思ってた」と言われた。
・・・そうかぁ。そういうイメージやったんや。
だが、悪いが、私の小説は、暗い(爆
私的には所々ユーモアも交えてるつもりだが、
このブログのおちゃらけぶり、お気楽ぶりを鑑みると、
そんなユーモアは消し炭の様にさえ映るらしいから、
自分でも驚きである。
いやぁ〜、第三者の目、というのは本当に大切ですな。
かと言って、私の小説のスタイルというのは、
当分、この感じで行くと思うんだよなぁ。
自分では結構面白いなぁ、と思うし、
それは何より思い入れがあるからに違いが無い事間違いなし
なんだけど、それにしても、こうやって1ページ、1ページを
書き進める事に私は私自身に驚嘆するのだ。
自分が小説を書く事なんて、絶対にない、と思っていた。
そんな事、できへん、と思っていたのだ。
だが、どうにかこうにかやっていて、
頭の中にはそのほとんどが形になっていて、
もう、出来上がるのを待っているのである。
人間、何事も諦めたらあかんな、とつくづく思う。
したいんやったら、やってみたらええ。
それなりに道は開けるし、
それでご飯を食うて行く事は叶わへんとしても、
やってみる事は必ず私やあなたに何か以前いは無かったもんを
もたらす事になるのだ。
それは、小さな自信やったり、そんな事より、
私を私という等身大で愛する事やったりするのだ。
ま。
そんな事をボラボラ考えながら、
ちょっとずつ書いて行っておりますーーー。
出来上がったら、誰か買ってね>エエエェェェッッッ!?

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