娘がmixiの日記で戯けた事を書いていた。
で、喝を入れた訳だが、
なんせ気が小さいので、書いた後、
「傷ついたかしら」と、そればかり気にしていた。
しかし、気の小さい者の常として、
虚勢を張りたがるのが我ながら悲しい性で、
わざわざ朝食を貪っている長女を捕まえて、
「あんたな、あんまし甘い事を言うとったらあかんで」と、
二重に喝を入れてみたりする。
が、長女はあれ、きっと3回目くらいの人生経験者に
違いなく、私なんかよりはずっと人間が出来ているので、
そんな母親の喝にも素直に「おおきに」と言えてしまう。
所で、娘はどんな戯けた事を言ったというのだろうか?
なんでも、世の中上手く行かないな、と感じるのだと言う。
その理由は、思い通りに行く事が少ないから、らしい。
親の立場として、
「何を言うとおねぇーーーーーんっっっっっ!」と
思ったりして、また、その通りに言ってしまう私だが、
しかし、そう言う自分の記憶の引き出しからは、
娘と全く同じ事を言う自分が20年若い姿で現れる。
それは、ちっともセピア色に褪せる事もなく、
まるでついこの間の事のようにあでやかな『私』だ。
20年前の私は、振り返ってみるに、
まさしく自分をアンラッキーな人間だと信じていた。
生きて行く事に自信がないのだ。
どういう風にしたら、自分が幸せになるのか、
全く分らなかった。
世はバブルで湧き立っていると言うから、
その頃の流行だったボディコンシャスの洋服に身を包んで、
ハイヒールを履きこなして勢いのある風を装っているが、
その実、自分がどこに向かって行けば良いのか、
心の中では常に途方に暮れていたのだ。
そうして、ただ世の中に抵抗するかの様に、
長かった髪をバカみたいに短く切ったりした。
ワンレンが町中に溢れる世界で、
私は後ろから見ると男の子に間違われる程に
短く髪を刈り込んで、それが「私だ!」と思っていたけど、
本当はやるせない思いをそこへぶつけてみただけの事だ。
それが、そんな若い自分が、娘と重なって揺れている。
一体、いつ頃から、思い通りに行かない人生と
上手く付き合って行く方法を見つけたのだろうか?
あの頃、あんなにイライラと内から溢れた行き場のない
ドロドロした思いは、いつ頃から私を導く光だと、
そんな風に思える様になったのだろうか。
上手く行かない人生は、上手く行かないと思うと悲しい。
時には、「なんで上手い事行かへんの!」と言って、
憂さを晴らす事は大切だけど、
そこから鬱の世界へ入って行く事はあってはならない。
思った通りに行かない人生からしか、
人間は多くの事を学べない。
思った通りに行かない人生を乗り切るには、
知恵と工夫とたゆまぬ努力しかないじゃないか。
知恵と工夫とたゆまぬ努力が、
人生の色々を教えてくれるのだ。
なんと、楽しい。
それを知らない私だったからこそ、
若い私は、イライラと鬱々と日々を生きていたに違いない。
ゆらゆらと娘と重なっていた私は、
嘘の様に細くて、白くて、きれいで、少年の様だったけど、
常に不機嫌で、閉ざされて、希望を嘲笑っている様な女だった。
そんな私は、冬の夕暮れ、一軒の古いアパートのドアの前に
何度も何度も立った事がある。
西日しか当たらないアパートのドアはオレンジに
染まって、半ば怒った様な私は、そこに住んでいた頃に
戻りたい、戻ってやり直したい、と思っているのだ。
自分もオレンジの中に溶け込みながら、思っているのだ。
私は、心の中で、娘に言う。
「そういう風になったら、あかんで。
上手い事いかんのは、自分のせいもあるねんで。
もちろん、自分のせいでない事もある。
そやけど、人間はその与えられた場所で、
精一杯生きて行くしかないねん。
精一杯努力をしたら、上手い事いかん人生も、
思った通りにいかん人生も、納得できる。
納得できるかどうか、
私が成長できたかどうか、それが人生では一番大切やねんで」
娘は若い。
私も若かった。
「若さ」は、「そんなんでは不十分や」と言うのかもしれない。
だけど、いずれ、こんなアホで情けなかった私も、
その人生の本当の凄さを知る様になったのだ。
きっと、娘もその事を分る時が来る。
私と同じにはならんでね。
でも、あんたの事やから、私よりはきっと早うに
その絡繰りに到達にするに違いない。
お互い、
「人生は美しかったよね」と言える様になろう。
そうしようや、な?

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