昨日、夕方から海へ出かけた。
時間は7時過ぎ。
ここはサマータイムだから、まだまだ夕方の風情である。
しかし、8時を過ぎた頃、太陽が水平線に沈もうとした。
オレンジ色のまるで桃饅頭のような太陽が、
ゆるゆると水平線の5センチ上に浮かんでいたが、
ちょいとよそ見をしてもう一度太陽のあった場所を見ると、
もう太陽はなかった。
その桃饅頭の様な太陽の残した、まるで葛きりのような
薄い透明な光の輪だけが、うすく水平線の向こうに
その母体と同じな弧を描いて残っているだけだった。
そうして、目を見張る私の前で、その白く透明な光の輪も
どんどんと海の中に引き込まれてしまった。
辺りは一面、トワイライトに包まれ、
丁度昼と夜との境目の透き通ったような蒼の空と
薄い薄いピーチシャーベットのようなオレンジが
海と空との境目を曖昧にしていた。
遠くには、ルノワールのフランスの海岸を描いた絵の様な、
夏草の生い茂った崖がどこまでも続き、その先には
ヨーロッパの海の家のような大きな家が、
人の気配もなく静かに鎮座していた。
かもめが幾群れもその屋根から海のような空を
同じ方向へ渡って行く。
私は考えていた。
その太陽の沈む時間の早さを考えていた。
それは、地球の回る時間の早さでもあった。
その地球を回る早さは、毎日が流れて行く早さでもあった。
私の知らない所で、私の生まれ落ちたその日も、
延々と太陽はここでこうやって海の中に沈んだ訳だ。
私が生きて来たこの毎日毎日を、
淡々と太陽は海の中に沈んだ訳だ。
人生は、つくづく、長くない。
たとえ、100歳まで生きる事が叶ったとしても、
きっと、「長い人生だった」とは言わないだろう。
私は、なんてその地球の自転を無駄に過ごして来たのか。
私が私一人にフォーカス出来た日々を
なんと我が侭に過ごして来たのか。
一緒に行った次男が言った。
「思ったよりも、ずっと早く太陽が沈んだからびっくりした」
私が言った。
「それが一日の時間の流れの早さだよ。
ボヤボヤしてたら、アッと言う間に人生が終っちゃう」
次男は楽しそうに声を上げて笑った。
私はふふふと低く静かに笑った。
私もこれからの一日一日は無駄にせずに生きよう。
そして、この人達が私のような圧倒的な後悔に目を眩ます事の
ないように、愛して導いて行かなければ。
ただ自分の決め事を黙々とする自然の摂理。
そこから、私達の学ぶ事はなんと多いのだろう。

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