原麻めぐみさんの所の長女、ペコちゃんが
今月3歳になった。
その模様をブログ(は、
こちら)で読ませて頂いた。
この間生まれた、と思っていたのに、
他所様のお子さんの成長の早さにはただただ驚くばかりだ。
それと同時に、自分の子供達の3歳の時は
どんなだったんだろうか、とふと思い出したりもする。
人間、生まれてからの2,3年は破竹の勢いの成長期。
それは第二次成長期の凄さよりも、もっと凄いと思うのだ。
まるで軟体動物のような新生児から、たった365日で
感情豊かな人間様へ昇格している。
その次の365日では、個人差はあるものの、
しかし、すっかり言葉での意思疎通が簡単になっている。
その次の365日で、私は私の可愛い人達が
大人への階段へしっかり足をかけている事を思い知って、
なんだかちょっとセンチメンタルな気持ちになったりしたのだ。
3歳の誕生日で思い出深いのはケイたろの誕生日だ。
どういう訳か、私はその日の彼の着ていた物から、
その日私達二人が何をしたのか、
お誕生日のメニューに何をこしらえたのか、
どういうケーキを焼いたのか、克明に記憶している。
ケイたろは言葉の早い人だったので、
3歳になった当日、『さしすせそ』が『たちつてと』に
変わってしまう事を除いては、すっかり会話の達人になっていた。
彼は、お兄ちゃんのぼんと色違いだけどお揃い柄のボタンダウンの
ネルシャツを来て、黒色のズボンに紺色のスェットを着せられた。
髪は生まれてから一度も切った事がなく、
お耳の上にクルクルと和毛がカールしていてこの上なく好もしい。
午前中はお家を掃除し、二人で献立を決めて、
お昼過ぎにぼん君を幼稚園へお迎えに。
1歳になったばかりのぶしゅぶしゅをストローラに乗せて、
1.4キロの道のりをブラブラと歩いて行った。
軒先のみかんの木にはほんのり色づいたみかんがなっていたのに、
ケイたろは『チューリップ』や『ぶんぶんぶん』を歌うのだ。
そうして、『きれいだな』で終る最後を必ず、『きれいがな』と
歌うのが何度聞いてもかわいらしかった。
3時過ぎに6年生だった愛が帰って来ると、
私とケイたろはバスに乗って大森のダイエーまでお買い物に出かける。
「ママ〜、ケイたん、積み木買っていいのぉ〜?」と
バスの中で何度も聞いていたっけな。
大森のダイエーではちゃんと私が着ていたシャツの裾を掴んで
どこまでもついて来た。
お会計を済ませた所でトイレに行きたくなったので、
連れて行くと、用を足した後に、
「シャツをちゃんとズボンにいれてね」と難しい顔で言ったりした。
その後、2階のおもちゃ屋さんへ移動して、
プレゼントのおもちゃを選んだ。
バスの中で言っていた通り、積み木一筋。
何種類もある積み木セットの中から、
持ち手のついたカードボードボックスに入った、
ヨーロッパ、それも北欧だったと思う、製の積み木を選んだ。
「ケイたん、これがいいのぉ〜」
それからまたバスに乗って家まで帰った。
「バスの中ではお静かにね?」と言っておくと、
「ケイたん、おちずかにできるのよぉ」と言って、積み木の箱を
お膝に抱いて、私の隣にいつまでも静かに座っていたのだ。
後で乗り込んで来たおばさんに、
「ほんとうに良い子ねぇ」と感心されると、
「ケイたん、3たいになったんだよ」とそっと教えてあげて、
そのおばさんには「それはおめでとう!」と言って頂いた。
家に帰ってから、私はレタスとチェダーチーズのサラダ、
マカロニのサラダ、手作りのディナーロール、チキンのもも肉を
あぶったもの、野菜のクリームスープを大急ぎで作った。
ケーキはいちごのショートケーキとザッハトルテの2種類焼いた。
ケーキをお皿に切り分けて、乗せてあげると、
ケイたろは何度も何度も
「食べていいのぉ〜?食べていいのぉ〜?」と私に聞いた。
その時の私は、ケイたろの3歳はその時だけ、
と頭の中で理解しているつもりだったが、
今にしてみると、
私の心の方は、なんだか、
この日々がずっとずっと永遠に続くかの様に
錯覚していたのだと思い知る。
私はいつまでも31歳で、子供達はいつまでも手が掛かって、
それはそれは幸せで、私は子供と家庭の事のみに
心を砕いていれば良い素晴らしい年月。
私にはついこの間のように思えるケイたろの3歳のお誕生日も、
しかし、なんと11年も前の話しだ。
なんだって年月が流れるというのは
無慈悲で当たり前な事実なんだろうか。
私は42歳になって、あの時ほど元気ではなく、
子供達の誕生日にたったひとつのケーキを焼くにもヒイヒイ言い、
どうやって手作りパンから2ホールのケーキまで
作れたのか、自分のやった事ではない事のように思い出す。
そしてもっと大変な事には、
私の手をギュッと握って離さなかったあの3歳の小さな掌は、
今では私の手を容易に離れ、そして私の掌から彼の第一関節が
ニョッキリ顔を出す程に大きくなった。
何も掌の話しだけではない。
足だって私より何センチも大きく、
身長もすでに170センチ近くニョキニョキ伸びている。
『さしすせそ』の『たちつてと』は永遠に戻らず、
あの妹と同じと言われた声は、すっかり静かな落ち着いた、
しかもそれとは似ても似つかない低い声になってしまった。
小さな子供との生活は、思っていた以上に真珠のようだ。
本当の真珠のように、その一粒一粒を糸に通して、
首から下げていられたらどんなに良いだろう、と思う。
そうして、私は次の11年後にまた、16歳の長男や
14歳の次男、12歳の次女を思い出しては、
感傷的に物思い、自分の更なる体力、知力の衰えを
嘆くに違いない。
その時、めぐみさんちのペコちゃんも14歳である。
どうか、もう二度と帰らないこの日々を、
心ゆくまで楽しめます様に。
ペコちゃんの更なる健やかな成長を願うと共に、
私はペコちゃんのダディとマミーのWonder Yearsをも
願わずにはいられないのである。

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