昨日、第2回目のバイオロジークイズがあり、
問題ページ3枚にぎっちり・・・、という、
クイズという括りでは割り切れない想いが残るクイズを
受けて、またもや撃沈しつつ帰って来たリジィ子です。
その為に今週末は忙し、忙し。
とにかく、復習、復習、復習。
ちっとも日常的な単語は覚えないが、生物学的単語は覚える。
グローサリーに行っても、全く使えない単語ばかり。
そんな事はさておき。
バイオロジーの中間テストは、映画を見てそれについて
教授から指示された事柄3点を盛り込んで、
ページ3枚のエッセイを書く事だ。
なので、3月の末までにそのお題の映画、
『An Inconvenient Truth』を観ておかねばならない。
それで、Netflixで借りて来たので、昨日、そのさわりだけ
ちょこっと観たのだけど。
私はバイオロジーを取るまで理科は大嫌いだ、と思っていた。
実際、子供の頃は、理科たる物に何の興味もなかった。
中学校から生物とか化学とか物理と、理科と一括りだったものが
スペシィフィックに枝分かれしたが、
そうなるともっともっと嫌いだなぁ、と思った。
文系頭の私が化学、物理は嫌いであったとしても、
生物はまだなんとかなったのかもしれないと思うのに
なんともならなかったのは、
今、大学のぶ厚い教科書を手にしながら思うに、
きっと教科書の作り手に、無駄排除意識が徹底していて、
学術的な事のみに的を絞り過ぎ、生物に対する愛が
こちらにまで届かないのが大きな原因だったような気がしてならない。
学問は単なる上の学校へ行く為のチケットのような日本と、
学問が最初から学問としての意味を追求するアメリカとでは、
とうの初めから勝負が決まっているのと同じで、
もちろん、私が加齢したと言うのも大きな理由だろうが、
当時の私に『理科』を愛する事なんて到底できなかった。
ここに来て、最初は「必須だから」という理由で取ったバイオロジー、
すごく私にとっては難しい言葉の連続だが、
それをえっちらおっちら乗り越えて「理解」に辿り着くと、
涙が出る程「なんてステキな学問なんだ!」と、
その最初の第一歩しか知らないのに思えてしまう。
昨晩、歯を磨きながらその『An Inconvenient Truth』を
観ていると、先ず、ゴアさんが優しい容貌とは裏腹に
バイオロジー用語を連発するのが、一々理解できる事が嬉しかった。
そして、最初に流れる自然の映像。
もう、それだけで涙が出た。
宇宙から見た地球の写真。
それは、私も子供の頃から幾度となく見て来たありふれた写真だけど、
それが全く違って見えるのに驚いた。
美しい。あまりにも美しすぎる。薄いガスに覆われて、
それが神秘を増す青い星。それが地球だ。
泣けるじゃないか。
その青い星が地球。私達の唯一無二なる星、地球だ。
Rusty Scheweickartの言葉、
『Only the biosphere, whole and home of life.』という言葉が
思い出され、またまた泣ける。
"On that small blue-and-white planet below is everything that means anything to you. National boundaries and human artifacts no longer seem real.
Only the biosphere, whole and home of life."
全文をもう一度口の中で呟いたら、もう号泣である。
とてもエモーショナルだ。
でも、それ位に私達が何気なく対応している日々の事柄は、
奇跡で神秘で実に美しい事柄なのだ。
そのbeautyに私達は個人としてどうやって関わって行くのか?
それが、これから生きて行くhuman beingsという種の
地球が続く限りの課題なんじゃないだろうか。
この事を思うと、
私は撃沈したクイズも成績もグズグズの英語も何もかも
取るに足りない下らない事だと感じられる。
そんな事より、この事を知る事が出来て、
私の空を見上げる事のかけがいの無さを知れた事が何より嬉しい。
もう、生物をメイジャーにしようか、と血迷う程である。
・・・もちろん、そんな暴挙には絶対出ませんけれど。

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