次男のガールフレンドは中国人の女の子だ。
別にすっごく美人とかそういうのではないけど、
でも、私は『知的美人だ』と思っている。
すごく頭が良い上にスポーツも万能、また、
中国人らしく、もの凄くはっきりと物申す女の子である。
次男はそこがもの凄く気に入っているらしい。
だけど、そうやってズケズケ物を言うにもかかわらず、
心はとても繊細なのだ。
先日、英語の課題でとても悪い点を取って次男が帰って来た。
36点満点で23点。教師は
「親のサインをもらって来なさい」と同じ様な点数の子供達に
指示を出した様だが、その課題、本当に面白くない上に
もの凄く難しかったらしく、クラスの2/3が
次男と同じ様な結果であったらしい。
そこには珍しく、次男のガールフレンドも含まれていた。
彼女は途端にブルーになる。
「ねぇ、ケイたろー、あなたのママはこんな点数を見たら
なんて言うの?すっごく怒る?」
「なんで?なんで悪い点数を取ったら怒るの?
そりゃconcernはするけど、そんな事で怒らないよ」
「いいなぁ。うちは二人とも怒るんだよ。ママは最初から
話しのわからない人間だからどっちみち怒るんだけど、
ダッドは普段ナイスなのに、点数の事となると人が変わるんだよね」
「そうなんだぁ・・・」
「・・・私、見せないと思う。サイン真似して先生に返す」
「・・・・・」
他にもこんな事があった。
日曜日の昼過ぎに買い物に出かけて戻って来ると、
建物の下でケイたろが彼女と立ち話をしていた。
私が手を振ると、ケイたろが嬉しそうに手を振る。
それにつられて、彼女もそっと手を振ったから、
私も彼女に向かって手を振っておいた。
それから彼女は突然不安になって、
「ねぇ、ケイたろ、怒られない?ママに怒られない?」
私が側へ行って、
「家に上がって話をすれば?なんでこんな所で立ち話してるの?」と
言うと、彼女は次男と二人になった時に
「ね?後で叱られない?私が来た事で怒らない?」と
更に不安になっていたと言う。
次男は「意味がわからん。なんでそんな事で怒るねん」と言うと、
「だって、うちのママだったら怒るからさ」
「ええー!?こんな事で?」びっくりしたのは次男だった。
「ねぇねぇ、じゃ、ケイたろのダッドやママはいつ怒るの?」
「うーんとねぇ、ママは怒ったらすっごく恐いけど、
僕が人間としておかしい事をしない限りはそんなに怒らない。
ダッドも基本同じだねぇ」
「何、それ?ま、でも、良いわねぇー」
それから、映画館への送り迎えをしても私達親が怒らないと
言って彼女は感激し、映画の後にお茶をしている間、
一度も『帰って来いコール』がないと言っては彼女は驚嘆し、
それを一々聞く度になんだか私は自分の子供時代を思い出して、
「可愛そうだなぁ」と思ったりする。
中国の人達にとって、勉強が出来る出来ないは命に関わる
問題のようだ。それ以外の事は、二の次、三の次に回される。
ユタに住んでいる時にも数人の中国の人達を知っていたけれど、
「うちの子供は○○○大学の数学のテストにパスしたのよ」と
小学校3年生の子供を取り上げてよく言っていた。
そして、ここにやって来て、ユタよりもはるかに多い
中国人に会ったけれど、どのお子さんも出来ない、という事がない。
それはもう、驚く程にお出来になるお子さんばかりである。
テニス、水泳、ピアノ、バイオリンもガシガシ出来るし、
その上、数学なんか、もう中学校でなんかやる事ないから、
高校まで出向いて授業を受ける、なんて子供がワシワシいる。
それぞれの家庭によって、もちろん、色々だけど、
でも、絶対に放任なんて事はない。
勉強の事を初めとして、すっごく厳しい。
でも、親を疎んじつつも、その期待に答えたいが為に
精一杯生きている彼らを見ていると、
この子供達の楽しい子供時間は本当にあったのかな、と
心が痛くなってしまう。
人の価値は千差万別だ。
私は子供時代を振り返った時、我が子には出来るだけ沢山、
家族として過ごした幸福の時間を笑って思い出し、
彼らの子供達に語って聞かせる事が出来る様になって欲しいと
願っている。それは、健全な人の一生を全うするに、
かけがえのない宝となり力となる、と知っているからだ。
でも、安泰な生活のみを子供達に望む人もいる。
各国で繰り広げられる一連の北京オリンピック、トーチリレーを
巡る騒動を見ていると、中国人達の他の価値観を受け入れない、
モノな思想を眼前につきつけられたようで、
それはまた、ここで出会った必死に生きる中国人達と重なって、
なんとも言えない気持ちなる。
こんなんでいいのか?
本当にこんなので、北京オリンピックは成功するのか?
モスクワの時よりも、西側が出席するだけ後味が悪くならないのか?
全然関係がない様でいて、私は次男のガールフレンドの悲哀と、
それらの問題が根っこ所で複雑に絡み合っているような、
そんな気がしてならない。
ガールフレンドには子供とは言え、彼女の人生がある。
チベットにはチベットとしての生き方がある。
オリンピックもまた、力でねじ伏せられる様な会になりはしないのか。
正直、全然ウキウキしない2008年のオリンピックだ。

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