ついこの前にも書いた、と思うけれど、
私は人付き合いにかなり淡白な方だ。
でも、先日、韓国人の友人KとInterpersonal Speechの教科書が
いかに良いのかを話していた時に、
認知症発症を未然に防ぐ薬があるんだけど、
それは、どんなに他人ともめようとも、嫌な思いをしようとも、
他人と関わる事だけが唯一のそれなんだって。
と、教科書に書いてあったよね、という話しになった。
そう。
教科書にそういう風に書いてあるのだ。
そして、私は遠い目になって、「めんどくせーよなぁー」と
思いながらも、認知症にはなりたくないから、
やっぱり他人と向合ってちゃんと付き合うしかないんだよな、と
まるで諦め気分で思うのだ。
良い気分でいる。幸福な気分でいる。穏やかな気分でいる。
そういう事が健康には大切なんだ、と思うけれど、
でも、体が『苦しい経験』の果てに末端まで毛細血管を延ばして、
そしてより健康になるんだとすれば、
心とて他人との摩擦を経験する事で、心そのものが健康になるのかな。
そんな風に思ったり。
実を言うと、そんな人付き合い苦手な私にとって、テニスが
とても有効的な役割を果たしている。
そもそも、テニスは個人競技に極めて近い存在でありながら、
他のグループ競技と同じく、一人では決してできないスポーツだ。
特に、私の様にダブルスを専門にやっていると、
最低3人、できれば4人はいないと成り立たない。
そして、欲を言えば、8人とか12人とか人が集まると、
色々な人とプレイが出来て、より面白くなる。
だが、その反面、それだけの人間が集まる、という事は、
気が合って、うんと仲良しのお友達も出来れば、
その反対に「何を考えとんねん、ええ年こいて」と思う様な
人との出会いもある訳だ。
もう数年前になるけれど、テニスの出来不出来で人を見る人と
出会った時なんか、今でも度下手な私はその時なんか
必ずもっと度の上に超が3つ付いてもまだ足らない程の度下手で
あった訳で、そりゃあもう、ひどい扱いを受けた事もある。
それもきっと、ここに書きなぐったと思うんだけど。
ま、そういう風な事が普通の生活で起ったならば、
私はすぐに「その人とは出会わなかった事にしよう」と
決意したと思うし、多分、今でもそうすると思う。
だけど、そこにテニスが介在したからそう出来なかったのだ。
そいつの事は大嫌い。
そんな奴、私の方が人間疑っちゃう。
そして、私の方が「お前、人間失格」のレッテルを張っちゃう。
が、でも、テニスがあるんだよな、そんな奴との間に。
すると、「致し方なし」とテニスをやりたいが為だけに、
不器用ながらもその場に居続け、その人との関係も、
心に傷を負いながらも真っ向勝負をし続ける事になるのだ。
そして、数年が過ぎ。
今はその人とも良き関係を築いておりますよ、ホホホ。
ええーーーっっっ!それって、凄い事なんですよ、私にとっては!
逃げず、顔を背けず、そして関係いつの間にか改善。
まさしくテニス様々なのだ。
で、最近では奥様テニスの方で色々とある。
新しく入って来た人で、何でも仕切りたがる人がいる。
そして、何年もそういう風であった事、それがある意味で
伝統になり、私達古株が大切に守っている事を、
意味が分かっていないから勝手に「辞めましょう」と指示出しし、
ちょっと奥様達の間がザワザワと騒がしくなった事があった。
私は他の事にはダランダランでやる気無しの軟体動物のようだが、
テニスには実にストイックに取り組んでいる。
そして、ほら、元々A型の勝手神経質だから、
「こうだからね」と思い込んだ物は、もう絶対に「こうだから」
なのだ。そこに一ミリの狂いも違いもあってはならない。
だから、その人に対して、
「今度から絶対にそういう事はしないで下さいね」と、
面と向かって言う事になる。
厳しいのだ。怖いのだ。
普通生活の時の様に、
「めんどくせぇー、どだってもう、いっか」にはならないのだ。
テニスの時だけ、軟体動物から脊椎動物に変身するのだ。
本当の事を告白するなら、私はその人の事が嫌いだ。
テニスがなければ、出会いもしなかっただろうし、
もちろん、付き合いどころか、口をきく事さえなかったと思う。
だけど、そこにテニスがあるから、パートナーとして
尊重もしなければいけないし、良いショットがあれば、
「ナイス・ショーットッ!」と声もかけるのだ。
そんな事、普通の生活で私がすると思う?
そんな事、する機会を自ら、普通の生活で私が作ると思う?
絶対にないよねぇ。ないよねぇ。ないのよ。
スポーツは何でもそうなのかもしれないけれど、
でも、私にとってテニスは、ラケットでボールを上手に
打つ事以上の事柄を教えてくれる大切な存在なのだ。
相変わらず、普通の生活ではそんなに変化はないけれど、
とにかく嫌な相手からコート上だけでも逃げない、
とにかく関わってみる、という事を強い、
自分の本当の弱さと向合わせてくれる貴重で大切な事柄なのだ。
で、実はネットリとどこまでも執念深いのに、
「リジィ子はさっぱりしてるね」とか言われている。
いやいやいや、嫌いな奴の事は嫌いやし、そういう奴がした事、
そういう奴にされた事はA型の上に巳年という運命も加わって、
ずーーーっときっと未来永劫覚えていると思うのだが、
そこにテニスがあるから、テニスの為に、
「そんな事、ありましたっけ〜、ルララ〜」を装えるのだ。
でも、装っているだけだけどね、本当に。
そういう風に、今、私はテニスのお陰で認知症を未然に
防ぐ事もさせて頂いている。
だが、思うに、本当に人付き合いって難しい。
昨日も私は面と向かって「絶対にするな」と言ったから、
そしてその相手の性質上、相手はきっと自分を深く反省する事も
ないだろうから、私を憎むだろうし、
「なんであの人にそこまで言われないといけないの」と
きっと思っているだろうし、もしかしたら、私が居るから、という
理由でもう来なくなるかもしれない。
でも、いいのだ。
と、これ程までに潔く思えるのも、スポーツを通しての事。
本当に良い勉強をさせて貰っておます。
はい。

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