昨日の夜、突然、願書提出していた大学の一つから電話があった。
それはLDSが経営している学校なのだが、
それがこう言うのだ。
「我々にはルールがあり、あなたの様にLDSでありながら、
教会に出席していない不活発会員である場合、願書を出してもらっても
その場で入学拒否をするんだけど、ぼん、あなたは特別なケースとして
もし今ここで教会へ定期的に出席しても良い、と返事するなら、
願書受付を考えようと思うのだけど」。
ぼんはほんの5秒も考える間もなく、
「ああ、別に行っても良い」と返答したようだ。
が、電話を切ってから、途端に嫌になったようだ。
そして、
「なんだかBYU(その学校の名)、やだなぁ。
たとえ入学の許可が下りても、行っていいものかどうか、考えてしまう」とか
「本当の本当はユタにあるBYUには行きたくない」だのと言い出した。
「じゃあ、なんで、『YES』なんて言ったのよ。その場でdeclineしてもらえば
良かったじゃん」と私が言うと、
「そうだけど、でも、オプションは多く残っている方が良いと思って」。
だから、情け容赦なく、
「じゃ、自分でそういう風に決定したんだから、しのこの言うなよ」と突き放した。
が、ぼんの不安、不平、不満は絶え間なく沸き起こる様で、
延々と言葉がこぼれる。
「例えば、もしアクセプトされても、きっとキックアウトされるに違いない。
あんなに一つの価値観しか認めない場所で、僕はむかついて議論をするか、
それを我慢するなら気が狂ってしまうと思う」
「そりゃね、昔は子供だったから『ふーん』で終わったけれど、
今じゃ僕には僕の信念があるんだから、『ふーん』なんかでは終わらないよ」
「ああ、嫌だなぁ、本当に嫌だなぁ」
私は、しかし、冷たくぼんに言う。
「キックアウトされたっていいじゃない。帰ってくる所がここにあるんだから。
キックアウトされたら帰ってくればいいのよ。だけどね、どうしてあんなに
狭量で同一の価値観の元、あそこに住まう人が生きて行かねばならないのか、
と言うと、あの人達にはLDSのとっても厳しいルールがあるからなのよ。
そのルールに従って生きようとすれば、自ずとああいう風になってしまうのよ。
それは何も、LDSだけに限らないのよ。あなたが慈悲の心を持たなけりゃ。
そうでなければ、あなたも何らLDSの中の嫌な人達と変わらない事になるんだよ」
だが、もちろん、ぼんの心の霧は晴れはしない。
そりゃそうだ。だって、たったの18歳だもの。
私なんか45歳になりなんとするけれど、それでも、1200キロという距離を
隔てていればこうも言えるけれど、またそこへ戻った時に同じ事を
言えるとは到底思えない。
そして、賢明にも、いや単にそこまで考えが
及ばなかっただけの事なんだろうけれど、彼は私に
「ママだったらどうする?どう思う?」とは聞かなかった。
だから言わなかったけれど。
でも。
でも、私の見地から言えば、
「なんてしょーもない学校なんだろう。
さっさと拒否ってくれれば良かったのに。何が特別なケースだ」である。
いくらLDSの学校だとは言え、まさか教会員で教会へ行っていなければ
即効拒絶するとは考えだにしなかった。
非教会員には普通の学校と同じ様に考慮するのに、ね。
教会員でありながら教会へ行かない人間は無能なクズとでも言いたげだな、
と感じられた。教会へ行っている無慈悲な人間のせいで
教会へ行かなくなったのにね、と薄ら笑いさえ唇にのぼる。
そんな訳だから、私個人の意見としては、
「ぼんよ。そんなしょうもない所にオプションなんか求めるな。
本当にうちの息子をなんだと思ってるんだ。こっちからお前の様な学校は
願い下げなんだよ」と思っている。
なんだか、その電話内容で、ふつふつとユタでの辛い生活が
走馬灯の様に脳裏を走ったわ。
しかしながら、ぼんの人生は私の人生ではない。
ぼんがオプションとして残したい、と言うのであれば、致し方なし。
仮にぼんが「やっぱりそこへ行きます」と言えば、それもまた致し方無し。
自分で選んで、自分でその責任を取るしかないのだ。
ただただ、私は、もし、万が一、億万の一の場合に備えて、
某かの理由で息子が帰って来た時の為に、そっと彼の背後で
両腕広げて『帰って来られる場所』を設けてやるだけだ。
LDS、およびそれが経営する大学については言いたい事が山ほどある。
しかし、そこはプライベートスクールな訳だし、
その人達の意思のままに色々な事を決めても良い自由がこの国では
保証されている。だから、私はそこには言及しない。
だが、一言だけ言わせてもらうならば、
「そういう事を電話してくるんだったら、活発な教会員の息子娘だけの
学校にすれば良かったのにね」だね。
どうか、どうか、息子には別の道が用意されています様に。
母親としての、ささやかな祈りだ。

5