今さっき、今朝アップしたエントリを読み返して、
早速エラそうに、「こうしないとダメだ」的な事を書いているのを見て、
「この人はダメだな、死ぬまでダメだな」と爆笑してしまった。
むかつくけど、愛嬌のある私。>エ?
と、いう事にしておこう。
さて。
お昼前頃に、そんなどうだって良い戯けたこだわりについてとくとくと
書いた直後くらいに、久しぶりにfacebookへ行くと、
友人のお姉さんの訃報が載っていた。
そのお姉さんに直接私は会った事はないけれど、
とても活発な人らしく、体を鍛えて、美容にも気をつけ、
過去何度も「ミセス・ユニバース」に出場し、ミセス・アリゾナに
輝いた事もあるし、ミセス・ユニバースアメリカ代表(準だったかも)にも
輝いた事のある様な人だった。それに才能豊かで子供向けの童話を
何冊か出版し、私が思うに、最も『死』から遠い所にいる、と
思っていた人の訃報だった。
とてもショックだった。
あまりにも驚いて、何かの間違いかもしれない、とも思い、
友人の奥さんに電話すると、
「間違いなく、彼女の事なのよ」と今際の詳細を話してくれた。
一昨年の暮れに足にしびれる様な痛みがする、と言って、病院に行ったら、
なんと、肺ガンだった。足の痺れはガンが腰骨に転移した為の痛みだったのだ。
それから生きる為の治療としてキモセラピーが始まったのだが、
キモはガン細胞をやっつける代わりに、正常細胞にも影響する。
それで、途端にガタガタと体の調子が一気に悪くなってしまった、という。
最後、とうとう意識不明になったので、家族の了解の元、
命を少しでも長らえさせる為に就けていた管や器械がはずされた。
医者は「はずせば30分から1時間の内に亡くなるだろう」という予想を
していたけれど、なんと彼女はそれから3日も生きた。
日頃からスピニングや自転車で鍛えていた心臓は、
あくまでも死ぬ事を拒んだのだという。
意識がなくなった後も、正常な人間と同じビートで打つ心臓。
家族として生きながらえてくれるのは嬉しい事だけれど、
でも、それはガンを克服した姿に望む事であって、
この際まで苦しそうに呼吸する彼女にそれを望むのは酷すぎて出来なかった、という。
私が電話で話した友人にとっては、彼女は義理にあたる訳で、
それでも同じ感情を味わったと言う。
そして、
「リジィちゃん、人間の体って、本当に良く出来てるのよ。
そんなちょっとやそっとで死なない様に出来てるの。
それが、でも、果てる時にはああいう風に、淘汰される様に逝くんだ、
って私、初めて見たのよ。凄く、凄く、怖かった」と。
親しい人、近しい人の死を間近に見ると、
私はつくづく、
「人間は生かされている生き物なんだな」と思う。
つくづく思う。
そして、それを忘れるのの早さを思い知る。
私は何度もそれを思って、その都度忘れ、日常の些細な事で文句を言い、
悩み、その上、まるで私の人生の生き死にまで自分の力で采配を
揮っている様な物の言い方をする。
「リジィちゃん、私達もね、まだまだ死なないと思っても、
今まで生きたと同じ年数だけ生きたら90歳越えるのよ。
それって、お義姉さんと同じで、いつ何時そういう事が起こっても、
何の不思議もないって事よ。だから、リジィちゃん、やりたい事を
一杯やらないといけないわ。したい事を思う存分やらないと。
きっと、自分の思う通りに生きたとしても、最後にはあれもしたかった、
これもしたかったって思うんだろうから」と友人は言った。
そうなのかもしれない。
それは何も、浮かれポンチに楽しい事だけではないだろう。
人によって違うかもしれないけれど、やりたい事は、少々苦しい事も
入るかもしれない。
未来の自分の為にやりたい事をやる。
でも、そこに「明日、人生が終わりになってもやりたいか?」と
聞いてみてもいいかもしれない。明日は極端でも、半年後、1年後に
命の期限が来ていてもやりたいのか?と。
それでもやりたい事は本物なんだろうな。
友人のお姉さんはたったの55歳になったばかりだった。
もう意識がなくなってしまった時、
家族達は皆で彼女の側に集まって、彼女が言い返せないのを良い事に、
さんざん彼女の思い出話をして泣きながら笑った、という。
結局、彼女の人生は大成功だったのではないだろうか。
と、私は思わずにいられない。
私が死ぬ時、私の側で子供達には大笑いをして欲しい。
私の過去の失敗や、言動で大笑いをして欲しい。
めそめそと泣かれるだけより、その方が私は良い。
だから、私の中で友人のお姉さんの人生は、二重丸の花丸なのだ。
ご冥福を祈ります。

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