今頃なんですが、今日は味噌作りの日です。
もうお豆やら麹はひと月程前に購入していたのにも関わらず、
だらだらと先延ばしにしていたのを、
「こりゃ、いつまで経っても埒があかん」と思い至り、
昨晩ようやっとお豆を浸水したのである。
先延ばし、というと、いかにもその事が常々心の中にあり、
それが日常を蝕んでいたかの様な響きをもっているが、
私の場合は、「すっかり忘れ去っていた」と言う方が的を得ている。
それが、一昨日のLady Gagaのコンサートへ向かう車中、
同乗していた一人が
「今使っている味噌は10センチ四方角の容れ物に入って
$13程する魚沼さんコシヒカリの味噌なんです」と言ったのを聞いて、
はたと自分の味噌作りの事を思い出した訳だ。
あの人がその話しをしなければ、私はもしかしたら永遠に味噌作りの事は
覚えていなかった事にしていたかもしれない。
しかしながら、世の中には色々な人がいるものだ。
経済的な観念というのは、個人個人によってこれ程までに大きく変わるのか、と
しみじみ思ってしまう。一体、$13ドルの味噌、多分、500gに満たぬ程の
物、どういう味がするのだろうか。
興味はあるが、自分で買ってまで食してみようとは思わない。
が、その友人は私がマッサージに$60を支払うのを信じられない、と言う。
しかし、その人はうなぎに8000円払えるし、500gのパスタの箱に
$5払えるのだと言う。
私は8000円のうなぎを食べるのか、6000円のマッサージを受けるのか、
と問われれば、迷わず、「マッサージ」だ。
四国で食べた天然うなぎはタダだったしな。とか、
コスコのパスタは500gの袋がたっくさん入って$7位だったよな。とか、
考えてしまう。
かなり味噌作りの話しから逸れてしまった。
味噌の作り方には諸説あれど、今回、私は暮しの手帖の仕込み方を参考にしてみた。
お豆は圧力鍋で煮ると早いが、どうしても味が落ちてしまう。
でも、多少の味の違いなんて誰がわかるんだ、米じゃあるまいし。と、
思うので、断然圧力鍋で煮る事を考えたが、
なにせ、乾燥している時点で2キロ近くのお豆だから、
とてもじゃないが圧力鍋一つでは賄えない。
なので、仕方なく、涙をのんで、我家で考えうる最も大きな鍋二つを
動員して普通に3〜5時間かけて煮る事にした。
だが、味噌作りの一大イベントは、ほぼこの大豆を煮る所で終わる。
後は手順に従ってつぶしたり、混ぜたり、たたきつけたり、で、
いとも簡単にアッと言う間に終わる。
それを思うと、ああ、圧力鍋、使いたかったなぁ。
半日で終わるじゃん。
と、嘆きつつも、お豆さん、ただ今ストーブトップの上にて
だらだらぐつぐつと煮られております。
今日は雨模様。
とっても雨模様。
ま、他にやる事もないので、気長に煮炊きしつつ、数独でもやって過ごします。
お天気のせいか、心もなんだかグズグズな今日この頃。
時々、人生が嫌になる。
本当に人生って美しいんだろうか、と考える。
生きるって苦しい事の方が多い。
そういう話しを誰かとしたい、誰かに聞いてみたい、と思うけれど、
そういう相手もおらず、、、てか、おらんか、そんな事考えられる暇な人、、、
時々泣きたくなる。泣かないですけどね。
でも、やらねばならぬ事はそういう気持ちからしばし人を救ってくれる。
しばし、雑事にとらわれる事で、心をそちらに向ける事で、
しばらくは救われる。
今朝は味噌作りに救われております。

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