結婚して子供が生まれた頃、親から、
「もう結婚して子供もいるんだから、そんな恰好はやめなさい」と
言われた事がある。
あれから26年以上の月日が経つが、
未だにその真意が全くわからない。
結婚する。子供を産む。
それによって、私のidentityの何が変わると言うのだろうか。
もちろん、私は周囲の影響を受ける凡人であるからにして、
色々と少しずつ変化して行くのだが、
でも、何も結婚したから、子供を産んだから、と言って、
私のtasteをそれが理由で変える必要は全くない、と思っている。
「変えろ」というのが、その時の真意であるのだとすれば。
そんな訳で、生まれ落ちてから46年もの月日が経つ、と言うのに、
未だ、なんだか落ち着きなく生きている様な気がしないでもない。
大人になった部分もあるんだろうが、良い意味でも、そして悪い意味でも
なんだか物心ついた頃とそれ程変わっていない部分もある様な気がする。
気がする。ではなく、部分がある、と断定してしまった方が、
余程、正直なのだが。
ですがね、それは楽しい日々でもある訳ですよ。
友人の知人が私と同じ46歳でいらっしゃるらしい。
その友人がその人に
「Lady Gagaのコンサートに行った」と話したら、
「僕もすっごく好きなんだけど、僕みたいな年なんか行けないよね」と
おっしゃったらしい。
「なんで?」と、もちろん、思う。
「私、行ったやん。行ってしもうたやん。あかんかったん?」と、心内で思う。
その心内の言葉の裏側には、
「しょうもないなぁ。何を言うて欲しいんやろ。『いやー、若く見えますよ!
行けますよ!』とでも言うて欲しいんやろか」と、大きく上から目線の
阿呆にしっくさったような真意が、、、それこそ真意があるに他ならない。
そのお友達のお知り合いの方が、本当にどういう意味を持ってして
その言葉を発したのか。その言葉のままなのか。それとも他に意味を隠していらしたのか。
そんな事は知りようもないし、知りたいと思っても永遠に知りようもなかろうし、
そもそもあんまり知りたくないし、でも、同年代がそういう言葉を口に
するんだ、という事が私にとっては大きなショックだった。
「その人、老けて見えるの?」
「ううん、そんな事ない、むしろ、若く見える」
ううーむ、そうか。なのに、何故?
『若く見える』という事は、努力と言う程のものでもないかもしれないが、
しかし、それなりに自分に気を使って生きて来た人に違いない。
仕事もしているし、他所様の目にも晒されているにちがいないでしょ。
それが、何故、そんな言葉を口にする必要がおありになったのか。
ま、一生接点を持つ事のない方のあれこれを詮索しても致し方ないが、
しかしながら、精神の老い、というのは、そういう所から来るに違いない、
と、私は断定的に思う事にした。
幾つになったって、自分の好きな物は好きだと言えば良いじゃない。
幾つになったって、見たい物は見れば良いし、
Lady Gagaのコンサートだって行けば良いじゃん。
他人なんか、関係ないじゃん。これが仕事場だったら気にすれば良いかも
しれないけれど、でも、Lady GagaはLady Gagaじゃん。
46歳だって、96歳だって行きたけりゃ行けば良いじゃん。
誰もあなたが46歳である事に注意なんか払わないよ。
だってみんなLady Gagaを見てるんじゃん。
つまんねーなー。と、思う。
もう、そんな46歳の私のテンションの下がる事、
同じ46歳が言うなよなー、と思う。
いっそ、会ってみたい、その人に。
そして、いっそ、一緒にLady Gaga行ってみたい、その人と。
でもって、ふと思う。
その私の友人は、その知人に向かってきっと必ず、確かに、言ったに違いない。
「ええー、大丈夫っすよ。一緒に行ったうちの一人、真剣に46歳でしたっすよ」。
そうよー、46歳よー。
でも、ぜぇっんぜん、楽しい46歳なんだから。
時間も年月も色んな事も私の感性を変える事なんかできないのよー。
だって、私は私で年取ったって、私は私なんだから。
だから、ちょー楽しい46歳なんだから。
・・・行った時はまだ45歳だったんだけどさー、ははは。

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