高校生の時は、自転車通学だった。
私の住んでいる所は丘の上。
学校はそれを下って平地を少し進んで、
また丘を上がった天辺にあった。
徒歩で学校まで行くと、40分以上かかったのを覚えている。
その上、バスなどの交通機関が当時は全くなく、
ものすっごく中途半端な感じの距離だったのだ。
そんな訳で、必然的に自転車が通学の手段となった。
ブレザーに箱ヒダのスカート、白のカッターシャツに
えんじ色のネクタイ。そのいでたちで自転車を漕ぐのだ。
忘れもしないが、高校生活最初の朝、
えっちらおっちら学校に着いたら、30分位かかっていた。
思わず、「徒歩とそれ程の違いがない・・・」と愕然とした。
雨の日が最悪で、どんな土砂降りでも雨合羽を着て、
自転車で通学する。視界が利かなくなる上に、
裾が開かない様に中途半端にファスナーがついているのだが、
そのファスナー部分から水がしみ込んでスカートの前方、
大方が濡れてしまう。
もちろん、靴、靴下は目も当てられない状況で、
ぐっしょりとどこまでも限りなく濡れそぼってしまうのだ。
私は芸術では美術を選択していたから、
時々、大きなキャンバスを運んだりもしなけりゃならない。
水色の大きなゴミ袋にそれを入れて、
右手でハンドルを操りながら、左手でキャンバスを持って
自転車をこぐ。私が親なら、危なくてそんな事絶対に
させない、と思うが、当時の親は皆、呑気呑気。
周り中、そんなのがワラワラと自転車をこいでいた。
が、そういう画材を運ぶ日に限って雨だったりすると、
苦悩は一気に増す。視界利かない。自転車酔っぱらい並みに
ユラユラしている。足下、スカートずぶ濡れ。
「もう、遅刻したっていいや」と、何度も何度も
自転車を止めては休みながら学校へ行った事もある。
が、3年通うとそんな今にして思うと地獄的自転車通学絵図も、
ヒジョーーーーーに当たり前な事となり、
色々と対策を練るようになる。
そうして、自転車技術も非常に磨き抜かれて、
一気に通学時間も短縮する事となる。
雨の日の予備靴下は当然の事、
雨の日濡れ対策にタオルを常備。
冬に一番困るのは手がどうしようもない位にかじかんで、
一時間目の授業に差し支える程なのだが、
それも手袋を何重にもして装着する事で問題解決。
通学路も吟味に吟味を重ね、住宅地の中を縫って走行する。
自転車走行時は躊躇は禁物。行ける!と思った隙間は
その瞬間に突っ込め。
もちろん、下り坂はノーブレーキである。
時には、下りながらこぐ事さえした。
すると、30分近くかかっていた通学時間が
卒業時には7分になっていた。
下り坂、平坦な道の平均速度は20キロ程だったと思われる。
何故なら、単車を抜いて行くのだから。
思わず、「おまえは競輪選手かっ!」と突っ込みたい程である。
思い出してはゲラゲラ笑いながら、
しかし、つくづく「自転車、乗らなくなったな」と思う。
自転車は体にも良いし、環境にも優しいし、
もの凄く良い乗り物だ。
東京は目黒に住んでいる時は、でも、よく乗ったな。
祐天寺のビデオ屋へ、林試の森へ遊びに行く時、
車なんかよりずっと楽だったから、自転車でゆっくり行った。
でも、アメリカでは全然乗らなくなってしまった。
乗っている人もいないし、乗ろうとも思わない。
自転車は子供達のただの娯楽で、
私が子供の時のように大切な交通手段でもありゃしない。
ある意味、れっきとしたスポーツの感覚さえある。
今でも日本ではおばさん達、自転車に乗ってるのかなぁ?
そういう事さえ、段々とわからなくなって行く。
日本に去年帰った時、どうだったっけ?
もう、乗る事もないだろうなぁ。
そう改めて思うと、ちょっと、寂しい気持ちになるね。

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