北海道新聞の夕刊で『支笏湖(シコツコ)のユースホステル』のペアレント
吉川悦子(キッカワ エツコ)さんが、高齢を理由に引退された記事を
見つけました。
吉川さんは80歳
ペアレント(管理人)を通算約20年務めた名物女将です
吉川さんが支笏湖湖畔にやって来たのは、病に苦しむ娘さんを
救うためだったそうです。
吉川さんの次女明子さんは、1966年初夏に野外で友人とバレーボールを楽しんでいた時に膝下一面を虫に刺され、病院に駆け込んだが腫れが
全身に広がり、徐々に意識は薄れて視力は低下し、
虫さされによる菌が体内に入ったことが原因で
急性腎炎になり、薬の副作用で脳症を併発していました。
その後、回復もみせましたが、入退院を繰返し学校にも通えず
発祥から丸6年経とうとした時に母娘で支笏湖に移りました。
明子さんは湖畔から見る樽前山(タルマエザン)が好きで
「富士山よりステキ」と詩にも記していたそうです。
吉川さんのご主人が支笏湖YHの設立にかかわり
ご両親が管理人だった事で、支笏湖は明子さんにとって
子供の頃から、身近な遊び場だったそうです。
「支笏湖の自然に抱かれながら、ゆっくり治して上げたい」と
72年4月に明子さんを連れてYHの管理人になった吉川さん
ご主人と2人のお子様を札幌に残したままの一大決心。
しかし湖畔での新生活は4ヶ月で終わり、小康状態だった明子さんは
7月29日に亡くなられたそうです
その後、吉川さんは全国をバックパック一つで旅する若者達を受け入れて
当時、多い日は一晩で200名〜300名の夕飯の準備や清掃に追われ
明子さんの死を紛らわせようとした。と振り返っています。
86年には一度引退しましたが、2007年に再びYHに戻りました。
悦子さんの後は、明子さんの弟で湖畔で喫茶店を営む
英之さん(長男)が、引き継ぐ事になりました
このYH(ユースホステル)には『佐藤初女さん』の会で、度々泊めて頂いています。
赤い三角屋根のYHには2段ベットのお部屋もあって、学生時代を思い出させてくれます。
何故かYHの玄関をくぐると、ピュアーな気持ちになります。
このYHで出会った、九州のKikuちゃん・S先生・富山のSさん・音更のKさん・札幌のYさん・Sさん達と夜遅くまでおしゃべりして
小さいけど気持ちの良いお風呂(温泉)に入って、修学旅行の生徒のように笑いました
今年も7月14日〜15日に『佐藤初女さんの会』が
雪イスキヤ主宰で、
支笏湖YHで行われます

吉川さんも、きっと来てくれるでしょう

いつもお元気に、受け付けに座っていらっしゃった吉川さん
吉川さんの笑顔に迎えられると、思わず「ただいま〜」と言ってしまいます

9