きょうは母方の、祖父の命日です

大好きな

大好きな

祖父で
今でも思い出すと涙がこぼれます
昭和44年5月18日に、心筋梗塞で突然倒れて亡くなりました。
77歳で、当時は「長生きして天寿を全うしたね」と大人達が
言っていました。
今なら、77歳は未だ未だ現役ですし、第一『心筋梗塞』で倒れても
もしかしたら医学の発達で、一命を取り止めていたかも知れません
生まれた時から一緒に住んで、私は初孫だったので
とても可愛がられました


でも私の弟や妹は「自分が一番可愛がられた」と
言うかも知れません(笑)
それほど優しい人でした
とてもダンディーで、真っ白な白髪はいつもキチンとしていて
出掛ける時は、茶色の中折れハットを被っていました
遺品には、マックスファクターのFor a Menがあり
その香りを嗅ぐと、おじいちゃんの香りがして
お仏壇の扉の中にある、それを嗅いでは
祖父を懐かしがっていた時期がありました
最近その匂いを嗅ぐことも無く、あれから数十年経っているので
香りも飛んでしまったかも・・・
祖父は私達家族と同居していたので、亡くなった時は
札幌のお寺に納骨しました。
現在は京都のお墓に納骨され、お位牌だけが札幌のお寺に
祭られていました。
毎年、彼の命日には其処に行ってお参りしていました。
でも私の両親が亡くなり、そのお寺を引き上げました
(お墓なら『墓仕舞い』)
その為、より所がなくなり祖父の好物だったオレンジ色のサイダーや
食べ物や、お花を上げる事が出来なくなりました。
それで祖父を偲んで、ブログに思い出を綴る事にしました
祖父は背が高く、いつも優しい人でした。
ただ一度、祖父にとても叱られた事があります。
滅多に怒らない祖父だったので、とても驚きました
高度成長期の頃で、新しい建物が次々に建っていた頃です。
小学校の低学年だった私を、近所の幼馴染が誘いに来ました。
「新しいビルのオープンで無料のジュースを飲ませてくれるから
行こう!」と言うのです。
丁度出掛けようとしていた時に祖父が「何処へ行くんだ

」と
優しい口調で聞きました。
私が「タダでジュースを飲ませてくれる」と弾んで言うと
「チョット待ちなさい

そんなタダだからと言って、卑しい真似をするんじゃない

飲みたかったら、いくらでもお金を出して買ってやる

タダのモノに群がるような、そんな根性じゃダメだ

」と
とても叱られました。
祖父が会合から帰った時、家族に
「タダ酒だからと卑しい飲み方をするのは見苦しい」と
話していた事がありました。
ボロは着てても、心は錦〜って言うのも好きだったなぁ〜
むかし『エルム』という映画館があって、そこに私の手を引いて
時代劇映画を二人で、よく観に行きました。
当時、映画は二本立てで、合間に売り子さんが入って来て
ソフトクリーム

を売るのです。
それを買ってもらうのが楽しみで付いて行ってたように思います
チャンバラ映画なので、必ず悪い人が成敗されるのです。
映画を観終えて映画館を出ると、晴れ晴れとした顔で
「美根子わかったかい

正義は必ず勝つんだよ


」
と言っていました(笑)
祖父は、お米とお茶に拘った人で
お米は新潟からコシヒカリを取り寄せ
お茶は電車に乗って、札幌三越近くにあった
『杉山茶舗』というお店に買いに行っていました。
私は当時、電車に乗って通学していたので
中心街の4丁目で乗り換えていました。
なので祖父が杉山茶舗に行った時は待ち合わせをして
一緒に帰ったものです。
当時のお茶屋さんは奥行きがあり、大きな茶箱が積まれて
沢山の若い女性も働いていました。
そこで試飲したお茶を買うのですが、祖父はオシャレだったので
若い店員さんに人気がありました(*^-^*)
帰りには祖父と近くの狸小路に寄って
クリームソーダを、ご馳走になって帰って来ていました
今なら、下校途中でそんな事をしたら問題になりますが
昭和のノンビリした淡く懐かしい思い出です

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