花粉もやっと終わって、良い季節です。
新緑芽吹いてて何か爽やか〜久々窓あけて仕事してます(^−^)
早速次の個展のお知らせです。
今回は九州の「器の榮屋」さんです →
http://www.masatoya.net/index_5.html(オヅ、ファクトリーにもリンクはってます)
九州かぁ〜 行ってみたいなー でも今回は作品送るだけで自分がいけないのが残念っ
DMは↓こんな感じです〜 宜しくお願いいたします
ところで、最近息子君の保育園の遠足へ行きまして、ちょっと考えた事。
私は前職はトラックやバスの内装のデザイナーしてて、特にバスはよくやりました。
遠足でバスに乗ってみて「あれっ??!!」そういえば、私バスのデザインしていながら、あまりバス旅行ってしてない、という事実にぶつかる。
例えばヨーロッパに行って新型車両を見たりもする、けど、日本の観光バスには乗って実際に旅をすることはなかった。
じゃあ、私は何を礎としてデザインしてたんだろう??
思い返してみると、上記にもあるように、ヨーロッパの最新のバスの傾向を見ての日本としての方向付け(勿論デザインのみ)と、最新のデザイン雑誌とかから得た新しいデザインテイストを加味した 机上の空論を絵にしたものを具現化していってただけなのか??
う〜ん。
デザインって、例えば「現状の問題解決型デザイン」だと どうしても幅が狭まって、ありきたりな案が多くなってしまい、「飛ばしたデザイン」を求められた気がするな。
確かにそれで良いのかも、やっぱり新しいデザインってのはそういう「現状の問題解決型」だと生まれないのかも。
でも、やっぱりバスのデザインするのには、バス旅行位はすべきだった気がしてしょうがない気がしてしまい(今更ですが) なんだか背中の辺りがひんやりしたバス旅行遠足でした。
今の仕事にも繋がる話かもしれないなとちょっと思う。
器だからバスと違って自分で使ってみれるから、今の仕事は問題解決と新しいデザインの共存可能(なはず)
また、背中がひやりとしない様に、器はデザインだけを愛でるだけではなく多いに使ってみようと思うのでした。
自分のだけではなく、他の人のもね(^−^)
思わず、長々と駄文書いてしまいましたが・・・
上記の様に、愛でるだけではいかん!と思ったので、明日は陶器市で買って勿体無くってまだ使いあぐねてた稲吉さんのご飯茶碗(すてきなの〜)を使おう!!
おやすみなさい

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