「ぱにぽに」というマンガ作品を以前はあまり好きではなかったのだけれど最近はちょっといい感じかも、とか思い始めていて、いちばんツボなのは白鳥鈴音なんだけどそれはともかく(たぶん少数派だろうなあ)、キャラはたいていみんな可愛いですね。
で、例によってアニメ版は観ていなかったんだけど
Wikipediaの記述を見て、やっと8巻第103話の意味がわかったなあと。予備知識なしにこのエピソードを読むと、しつこい繰り返しがうざったいだけで意味不明の、まったく面白くない話なんですけどね。キャラの魅力やらは別にして、
狙いはわかるけど滑ってるなあというエピソードはけっこうあるので、あまり気にしていなかったのですが。
文化人類学における呪術的世界観とか構造主義的神話論とかユング学派精神分析における物語原型とかいう話になるんだけど、神話や伝説の中にはたとえば「
黄泉の国の食べ物を口にする」というタブーが存在し、タブーを犯すと元の世界に帰れなくなるというモチーフが存在し、多くの場合は親しい者から与えられたアイテムによって難を免れるという展開になります(イザナギの場合はそのへんに生えていた桃がアイテムになったけど、これも興味深い暗合)。
で、「
オブジイヤー」という言葉がアニメ版における6号のキャラ付けのための設定だったと上の記述で知って、なるほどと思ったわけです。その言霊を口に出してしまうことは、原作における鈴木さやかにとっては、おそらく6号というキャラクターのアイデンティティに関わるタブーであり、それを言ってしまうと同時に別の存在になりかねなかった――つまり作者にとって、(全体的にはともかく)
アニメ版6号のキャラクターは、存在してはならないものだったのかと。それを指摘するために第103話が描かれたことは明らかですが、意識的に呪術的世界観を取り入れたのか、集合無意識としての物語原型が作用したものなのかは、今後の研究を待ちたいと思います。たぶんとっくに指摘されているんだろうけど。

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