第42回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会を終えて、3日経った。
いろいろな媒体でエスパルス日本一という言葉を目にする度に、目元が緩んでしまい、
記事の内容によってはそれぞれのシーンが浮かんできては、涙腺を緩めてしまう日々も、やっと落ち着いた。
「至上最弱」という言葉が一人歩きをする中で、結果的には発奮要素となったようなので結果論としては良かったのかもしれないが、
チームの近くでずっと2005年からエスパルスの育成を見てきた自分の目から見て、
決してそうではないんだよ、ということは改めて記録に残しておきたいという思いから久しぶりにblogを更新しようと思う。
決勝の西が丘に、リアル最弱世代のキャプテン滝戸諒が来てくれた。
彼らの世代はそれこそクラ選の全国大会にも出れず、プリンスリーグ東海1部からも降格するという本当に苦しいシーズンだった。
もちろん、当時の選手たちの構成の部分とか、本当に課題が多かった時期だけに、彼、彼ら世代が悪かったわけではない。
そんな過去を見てきた人からすると、プレミアリーグEASTで現在4位という成績で迎えた今大会、
もちろん昨年に比べての選手層であったり、個人のレベルの部分で比較したら見劣りすることは致し方ないが、
決してダークホースだったわけではなく、特別にセンセーショナルな部分がないチームだったエスパルスが、
短期決戦を勢いで勝ち上がったが故に、妙なワードで取り上げられてしまったのかなと個人的には感じている。
一見、一昨年のクラ選での準優勝が今の平岡エスパルスユースの分岐点となり、
その後のモチベーションやプレッシャーとなっている部分と見られがちだが、
遡ればその前年の村松航太・立田悠悟によるセンターバックコンビが大車輪の活躍を見せた大会、
そして立田悠悟の外したPKが翌年の活躍に影響を与えたシーンであったと思うし、
さらに遡れば大榎監督がトップチームに連れていかれ、急遽コーチから昇格し、
平岡さんが監督に就任した年のJユースカップで北川航也世代がベスト4で敗退したことの経験も繋がってきている。
本当に歴史が複雑に絡まりいろいろな経験をしてきたことがしっかりとエスパルスの育成部として、
財産を積み重ねてきていることが結果的に今大会で花開いたということだと感じている。
関東の進学組はもちろん、関西への進学したOBまでも応援に駆けつけてくれ、一緒に勝ちロコしてくれたのがこのクラブの財産だと思う。
もちろん、誰もが昨年のプレミアEASTでの優勝目前で手元からすり抜けていってしまったことが記憶にも新しく、
あの悔しさをバネにステップアップしていったこと、さらに下級生たちがJY年代で大きな成績を残し、
今年チームを支えるレベルで活躍できていることが大きいのはもちろん優勝への大きな要因であることは間違いない。
勝ち方を知っている、勝者のメンタリティーは経験からしか得ることができないからだ。
決勝戦後に某ライターさんから、最高のキャプテンですね。とお褒めの言葉をいただいた。
チームから監督から絶大な信頼を得ている聖七。
決して村松航太のように圧倒的なキャプテンシーでチームを牽引するタイプではないが、
周囲への気配りや自ら率先してプレーで引っ張り、背中でチームを支えるタイプの男が、客観的に最高のキャプテンだと評価されたことが嬉しかった。
準々決勝で拓歩が不在の中、しばらくスタメンを外されていた隆斗が抜擢されたものの、
結果的にミスから失点を招いてしまい、すごく不安定な状況の中、自ら建て直し後半にはしっかりと落ち着いてプレーできていた姿。
決勝戦でも終盤、洋介の代わりにLSBで起用されるもしっかりとゲームをクローズすることができたのは個人的な成長を感じた。
今シーズン一番苦しんだ時期はクラ選の東海大会。
1年生ながら開幕からチームを支える大車輪の活躍をしていた輝瑠が代表でチームを離れていた時だった。
準決勝進出のタイミングで、今回も代表のため輝瑠はチームを離れ、再び陸人がCHに落ちてプレーすることになったが、
東海大会とは違い、前線でのプレーの経験で得た推進力と、もともとのゲームメイクの才能を中盤で爆発させた陸人がハマり、大活躍。
結果的にエルゴラッソのベスト11にCHで選出された。
メディアでもとりあげられた天野の出場。
天野のプレーで印象的だったのは、中学2年生時にU-15の試合(東海リーグだったかな?)の磐田との試合で、
天野のミスで失点したあとの直後のプレーでビッグセーブをしたシーン。
2年生ながら上の世代でGKとしてプレーするのはJYでは怪我以外では個人的に記憶にない、初めてのケース。
その試合で自らのミスで失点したあとのプレーで挽回する強いメンタリティーに感動したのを思い出す。
普通のGKならあのミスで潰れ、失点を重ねていてもおかしくなかっただけに、天野は本当に凄かった。
JY最後の高円宮杯あたりで透吾が頭角を現すと、透吾はぐんぐん成長し、2年生ながらエスパルスユースの絶対的守護神へ上り詰め、
日本代表でU-17W杯に出場するまでになった。
過去、昇格1名、外部加入1名のGK2名体制を敷こうとした時もあったが、結果的に流れ、
エスパルスユースでは初の同学年GK2名体制となった世代。この2人が常にお互いをリスペクトし、
お互いに切磋琢磨していたことはメディアで取り上げられていた通りだ。
決勝の試合前ピッチウォーミングアップ終わりに、一人ゴール裏に歩み寄り、登録外選手たちとハイタッチを交わしてロッカーへ戻る姿は本当に漢だった。
試合後、ピッチの選手たちが表彰式を終え、大宮ゴール裏からメインスタンドと順に挨拶を終えエスパルス側ゴール裏にやってきて、
駆け寄ったのはメンバー外になった選手たちのもとへ。
メダルをかけたり、抱擁したりと喜びを噛み締めあう中で涙した駿と友哉。亜龍は泣いてるようには見えなかったけどw
彼らはメンバー外ながらもスタンドで上下ユニホームにソックス、スパイクでスタンドで一緒に戦っていた。
このチーム、この大会の中だけでもいろいろなものが見えていた。
もちろん選手を支える父兄さんたちの熱も素晴らしかった。
だから決して、「至上最弱」なんかでは決してなく、育成部が重ねた経験と、新たに取り組んできているアスリート育成プロジェクトがしっかりと機能した結果、
そこに選手たちの才能と努力、スタッフの細かなマネージメントがしっかりと重ねあい、非常に大きな力となり、結果として優勝を掴んだということであったと思う。
本当の戦いはここから。
ここからは世間の見方はどうしてもクラ選チャンピオンという見方をしてくる。
このプレッシャーにしっかりと向き合い、残りのシーズンも「JOY」の気持ちで一緒に戦おう。