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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2006/6/23

このドラマは?  村のあちこち村おこし


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2006/6/23

ヨン様のミニチュアセット  村のあちこち村おこし

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2006/6/23

菊池市の『夢美術館』には人力車がある  村のあちこち村おこし

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2006/6/21

福井の横井小楠  村のあちこち村おこし

 菊池市の『夢美術館』に足を運び、徳富愛子さんを紹介した本を読みました。

 そこに書かれている年譜には、1905年に廬花が80歳の竹崎順子を見舞ってから心境
の大変化があり、急に女性に優しくなったとありました。

 今、廬花が書いた【竹崎順子】をまさに入力しているところですが、80歳から81歳
で亡くなるまでの短い期間を延々と書いています。

 ここが廬花の人生観を変えた、死を前にした竹崎順子の姿・生きざまの部分ですか
ら、丁寧に読まなくてはなりませんね。

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2006/6/21

携帯で読み込める二次元コード(QR)を利用した案内方式  村のあちこち村おこし

 今朝の熊日新聞の四面下の、中原功一朗記者の記事によると、阿蘇デザインセンターが企画した携帯電話を使った案内システムを、九州地方整備局と九州運輸局が、観光客のまち歩きを支援する新事業『まちめぐりナビプロジェクト』に指定したといいます。

 その範囲には当然この私たちが住んでいる西原村にも適用されるのであります。

 携帯電話で読み取れる『二次元コード』を各商店街に導入して、観光客が位置情報や路線バス自国、観光案内を入手できるようにするもので、今年の秋に開始する予定だそうです。

 いったんこの方式が定着した時には、たとえば地元の観光協議会などの独自の発案で、二次元コードへのより新鮮な情報を提供するシステムを作ることも将来は可能になってくることになります。

 二次元コードは、自然景観を邪魔するけばけばしさが全然ないので、阿蘇のような景観を大事にしなければならない観光地にはためになるシステムではあります。
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2006/6/21

夢運来風(ムーンライフ)をRKKラジオにリクエストしよう  

 夢運来風の歌のCDは、RKKラジオのミミーキャスターの平野裕子さんがプロ歌手でないのに、一生懸命練習を重ねて吹き込んでいただいたものです。

 たいへん感謝しています。

 西原村のいろいろなお店でCDが買えるような状態に早くもっていって、こんな歌なんだということをできるだけ広く知ってもらい、その上でみなさんにRKKラジオへのリクエストをしていただくように呼びかけたいと思います。

 さらには、ユーセンに西原村のご当地ソングを登録して、みなさんにリクエストをしていただくように考えています。そうすれば、もしリクエストがある一定の数あった場合には一斉に全九州にそのチャンネルで歌が流れるようです。そうすれば、こんな歌がありますよという宣伝になるし、西原村のイメージアップに大いに役立つことになります。
 ただユーセンに歌を登録するためには、どこかのまだユーセンに加入していない店をユーセンに紹介しなければならないそうです。

 そこでみなさんにお願いです。まずはユーセンに新しく加入できるお店などをご紹介いただけないでしょうか。
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2006/6/21

久しぶりに夢運来風(ムーンライフ)を唄った  村のあちこち村おこし

 昨日は、『萌の里』出荷協議会の懇親会だというので、『外輪』に行きました。

 ずいぶん生産者のみなさんの目が生き生きと輝いて、元気のある懇親会だということがはっきりと感じられました。

 消費者の立場からどのように『萌の里』のサービスについて感じるのかということを、よく買物に来られるある方が講演をされました。
 また、酒を酌交わす中で聞いたのですが、ある人は減農薬を徹底するためにいろいろな努力をしていることを語って下さいました。今は食品への残留農薬に対して非常に厳しい時代となりました。環境問題のとりくみに関する先進地である水俣市まで行って、アブラナの油から作った石鹸を利用して農薬の代わりに使うということもされているとか。

 私は、夢運来風(ムーンライフ)の歌をみなさんに紹介するために、唄わせていただきました。残念ながら持参したCDを入れる機械がなかったため、伴奏なしのナマオケで唄いました。アカペラともいうのかな?
 歌が好きな人が来ておられることに気づきましたので、ぜひこの歌を練習して愛唱してはいただけませんかとお願いしました。
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2006/6/20

何故西郷軍は熊本城攻撃にこだわったのか  村のあちこち村おこし

 来年は熊本城四百年。何か西原村に関連づけて村おこしに生かせないでしょうか。

 西南戦争と西原村とのかかわりはないかと考えてみましょう。

 『竹崎順子』の伝記によると、益城町の杉堂に矢嶋・竹崎・横井・徳富家中の人びとが戦火を逃れて避難していた時に、ついに西郷軍が木山から西原→高森→高千穂という退却ルートでやってきました。

 益城の木山会所や杉堂での薩軍の行動を読むと、途中の会所など行政の要所を制圧し協力させながら進んでいるようです。道案内は熊本協働隊など地理に詳しい人間にはことかかないようで…

 すると布田にさしかかれば当然会所に陣取ったことでしょう。

 黒田清隆中将の率いる部隊が、熊本城攻略に手間取る薩軍の背後をつくべく八代・日奈久に上陸し、ついに四月一四日、食糧・弾薬が尽きかけた熊本城に入城しました。

 もしこの熊本城の落城の方が早かったら、あるいは加藤清正築城の熊本城がもう少しもろかったら、薩軍の士気があがり、九州各地・日本全国にくすぶっていた士族の反乱を誘発して、あるいは民権派の宮崎八郎らが夢見ていた人民主権の国づくりの方向へ、進んでいったのかもしれません。

 今日の感覚でいうと、どちらが右なのか左なのかよくわかりませんが、少なくとも実学党は局外中立の立場をとりました。
 国会開設も大日本帝国憲法制定も遠い将来のことでその陰もまだ見えない時代に、熊本ではいちはやく県会を発足させた、実学連ですから、西郷の軍の武力に訴える行動は、おろかなことだと考えていたに違いありません。

 4月14日の黒田清隆部隊の熊本入城=その時、歴史が動いたようです。

 しかしそもそも西郷隆盛が尊敬する横井小楠が暗殺されずに生きてありせば、士族の反乱はありえたのでしょうか?富国有徳の国際秩序=殖産興業と、今日の国際連合のようなものを構想していた横井小楠ですから、きっと士族のエネルギーをそちらにむけようと力を注いだに違いありません。

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