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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2006/7/31

高遊開拓の恩人・竹崎政雄さんは、竹崎新次郎政長さんの孫  村のあちこち村おこし

 高遊の開拓史に残る竹崎政雄さんは、徳富蘆花が書いた伝記・『竹崎順子』の中に出て来る新次郎政長の孫にあたる方です。

 西原村にとっても、現在高遊地区は村の玄関口であるばかりか、南阿蘇全体への入口でもあり、住宅も増えユニークな店も増えて経済的にも大変活気のある地域となってきました。

 その基礎を作ったのが、かの蒙古襲来絵詞で描かれたようにモンゴル軍と奮戦した竹崎季長の末孫、竹崎新次郎政長さんのお孫さんであります。

● 竹崎新次郎政長さん・・・山西村の戸長を務め、常に沈着冷静で身辺を飾らず清貧に甘んじた仙人のような生活を送り、晩年は高遊原の荒地を開墾して、ハゼの木を栽培し、村の産業振興を図り、高遊原開拓を最初に指導された人。
『竹崎順子』には…布田の竹崎政長は、順子の没後老いてますます健に、朝鮮八道を下駄ばきで歩いたりして人を驚かしていましたが、…と書かれています。

● 竹崎隼雄さん…新次郎政長さんの息子

 熊本英学校の廃校に伴い、その付属の熊本女学校のも廃校になろうかという存続の危機にあたり、存続を強く主張する竹崎順子さんに賛成をした1人です。
 伝記『竹崎順子』には、隼雄さんが日清戦争に軍属として出征したことを励ます手紙を書き送ったことを、蘆花が次のように書いています。

 『布田の竹崎隼雄が軍属として出征軍について出ました。隼雄の妻が妊娠中でした。順子は手紙して隼雄を励ましました。医師の診断では、胎児は丈夫で、男に違いないそうな、嗣子は出来たし、後に懸念なく存分働いて討死せよ、というのです。手紙を見せられた隼雄の同僚が、驚いて眼を見張りました。』

● 竹崎政雄さん…明治29年1月1日生まれ 隼雄さんの息子

 昭和20年 満洲畜産開拓団長を経て帰国
 昭和21年 高遊原開拓団を創設、有志13人で入植
 昭和25年 水源のない高遊原へ国の助成を得て
       日向部落より水田の暗渠配水工事を完了し
       ヒューム管通水を行なう。
 昭和26〜29年 建設工事に従事、大津河原線・
       水前寺〜小森線の基礎工事を完成。
 昭和38年 医王寺地区より湧き水を導入、待望の
       水道工事を完成。各戸に配水した。
       高遊原開拓団員に出資を図り、公民館を落成
       昭和34年 熊本県の要請を受けアルゼンチン開拓団員
       の生活改善のため移住。
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2006/7/31

竹崎有斐さんとは  村のあちこち村おこし

 今、熊日新聞の夕刊に、竹崎有斐さん作の『石切り山の人々』という、大人の童話?メルヘン?みたいな小説が連載されています。

 この熊本の作家は、西原村の高遊開拓の基礎づくりや、幕末の頃塾を開いて教育をして下さっていた竹崎茶堂律次郎政恒・順子夫妻と何らかの関連があるのではないかと思っていましたら、ひ孫にあたることが分りました。

 すなわちその一人娘の節子さんとその養子に来られた吉勝さんの息子が熊本女学校の校長をされた竹崎八十雄さんで、その妻峰子さんとの間に生まれたのが有斐さんだということです。

 あらためて『石切り山の人々』や『まぼろしの4番バッター』『三まいのおふだ』の本を手にとって、しみじみとありがたいことだと感じています。やはり石切り山というのは、高野辺田のあたりの山のことではないかなと思いますが、まだじっくりと読んではいません。

 そのうち『竹崎家の人々』という本を読んでみなくてはと思います。
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2006/7/30

明治九年の熊本県会開始は、ひょっとしたらアジア初の議会であるかも・・・  村のあちこち村おこし

 明治3年から始まった実学党の県政は、大久保利通の中央政府によって後押しされて成立した面もあるとの記述が見えますが、急進改革にブレーキをかけようとして安岡という人を土佐から権令に派遣してきました。

 明治九年の神風連の乱で襲われる直前、安岡権令の下で全国に先駆けて県会ができましたとか。権令は、県会の決定には束縛されないという態度を取ったそうですし、どのようにメンバーを選んだのか?名簿を手に入れたいものです。

 アジアでの選挙としては北海道に独立国を作ろうとした榎本武揚を大統領に選んだのが初めてだと思いますが、熊本県会はアジアで初の議会と言えるのかもしれません。もしそうだということになれば、その時にはもうわが竹崎茶堂さんは、県の当局からは離れて日新堂塾の経営にあたっておられ、徳富一敬あたりがかかわったのかもしれませんが、竹崎茶堂のそもそもの主張が実ったものともいえます。

 ともあれ、日本とアジアの議会制民主主義の先駆者がわが村の関係者だとしたら、いっそう誇らしいことになりますから、少し詳しく正確に調べてみたいと思います。
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2006/7/30

韓国語に熱心に取り組む美紀さん  村のあちこち村おこし

 日韓友好コンサートと銘打つだけあって、ビエントのシンセサイザー奏者・美紀さんが、会場の前の席に陣取った50人の韓国ウル山からの家族ツアー客に向かって韓国語を用いて挨拶やら曲の紹介をしました。

 秋に韓国政府が実施する韓国語検定試験の3級をめざして猛勉強中とのことでしたが、全くの流暢なしゃべりであり、その熱心には感心させられました。

 彼女が3級なら、1級の私は2級をめざそう。刺激を受けました。

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2006/7/30

新聞広告しかなされなかったのに  村のあちこち村おこし

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 韓国のウル山市からの家族ツアー客が、市の韓日友好協会長の李さんに率いられて総勢50人ほども来村…それに加えて県内はもとより福岡県からまで場所を探しながらやってきた熱心なVientファンで、文化創造館の中は2階席までぎっしり超満員でした。

 加藤義明村長が挨拶の中で、日本が韓国から受け入れたよきものの中で、特に意義深いものは、儒教であると述べました。儒教がもたらした、親は子を愛し、子は親を敬うという伝統は、これからも力を入れていきたいあり方だというような主旨でした。

 私はこの挨拶を聞きながら、布田で漢学塾を開いていた竹崎茶堂と、そこへよく足を運んでいた横井小楠の姿を目に浮かべていました。

 藩校・時習館が重きを置いた朱子学は、朝鮮王朝時代の李退渓からもたらされたものだと本で読みました。

 徳川幕府と朝鮮との良好な歴史に今後目を向けていきたいと思います。

 韓国のお札には顔が出ているようですが、李退渓という人物があったからこそ横井小楠がありえたのであり、日本の江戸時代の儒教ばかりか明治の教育にも影響を与えたということが知らされれば、ずいぶん友好と信頼の関係に至ると思います。


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2006/7/30

ビエントによる日韓友好コンサート「風流(カザル)」で  村のあちこち村おこし

 今日午後、日韓友好コンサートが、西原村の文化創造館・風流(カザル)で行われました。

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2006/7/29

グリーンカレーがおいしい店を発見  村のあちこち村おこし

 西原村の『泉力温泉』の裏に、『トランキーロ・セムトゥ』というアジア雑貨の癒し系の店を見つけて入りましたら、コーヒーなどに加えてこのほどグリーンカレーを始めたそうで、早速試食をさせていただきました。

 タイには時々行かれるとかで、グリーンカレーの香辛料はタイから仕入れたものだそうです。名前の通りたしかに御飯にかける汁は緑色をしており、食べると涙が出るほど辛いのなんのって。

 でも暑い時にはこの空さはぴったり。暑さしのぎに効果的かもしれません。

 私は、熊本空港を飛び立っていく韓国人観光客が、キムチの国の辛いもの好きな国民なのになぜかおみやげにカレーを買っていくという、聞いた話をしました。

 韓国人にカレーは盲点になっているかもしれないから、グリーンカレーで韓国人旅行客が呼べるかもしれません。ともかく西原村に少しずつ食文化が豊かになりつつあるのは歓迎すべきことです。

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2006/7/29

明日は「風流」で韓国の歌コンサート  隣国との友好と平和

 新聞広告によって、明日西原村袴野の文化創造館・『風流(カザル)』で、ビエントによる韓国語の歌のコンサートがあることを知りましたので、チケットを買いに行きました。

 当日券はありませんということでしたので、ひょっとしたら誰か韓流スターでも来るのではないかと推理したのですが、どうもそうではなくて会場の席の数の都合だったみたいです。

 でも、この数年韓国語を勉強している私としても韓国語の歌にはなじんでみたいし、友好関係を構築する何らかのきっかけにもなるのではないかと期待して、明日は足を運ぼうと思います。
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