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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2006/7/29

政争激しい熊本県は幕末・明治の昔から  村のあちこち村おこし

 私は今、熊本の明治・大正時代における自由民権運動の推移をたどっています。

 私は保守王国熊本に埋もれた輝かしい自由民権運動を受け継ぎたいと思います。

 この最近、西原村の布田会所横にかつて存在した竹崎塾のことを調べるうちに随分熊本の歴史が見えてきました。

 自由民権の源流は何と言っても横井小楠ですね。そして植木学校でしょう。でも熊本は泥試合のような党派間の争いが激しいところとして有名で、それがどうも幕末の学校党と実学党との争いまで遡りそうなのです。しかし当初は敬神党と宮崎八郎を先頭とする民権党も含めての4つ巴の争いでした。

 それらが複雑に絡みながら、基本的には2派の争いが続き、明治の(国権党と民権派)→(民政党と政友会)→(民主党と自由党)と変遷し、ついには戦後の保守合同で与党の自民党になってしまったのです。AとAダッシュの二大政党で小選挙区制というキャッチボールをしようとしていますが、同じようなもののどちらになってもそれ以外の選択肢が排除されるという見せ掛けの民主主義になってきました。

 本来の自由民権の輝かしい流れは、与党に吸収されてどこかへ消えてしまったのでしょうか。いやいや、これからは日本共産党や社会党、それに日本国憲法を活かす県民の会など、大義を四海に布かんのみという横井小楠の精神をまっすぐに受け継ぐ勢力が登場してきました。
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2006/7/29

巨石文化研究会  村のあちこち村おこし

 5000年前にシュメールから海洋民族によって伝えられ、栄えた巨石文化。その痕跡がこの阿蘇の俵山でも確認できるという。

 3回目のテーマは、『ヘブライ人と日本人つながりは?』

● 8月10日(木)午後7時から9時
● 初参加は1500円。2回目以降は1000円。
● 場所は、西原村袴野の文化創造館「風流(カザル)」電話279-4444
● 講師は 巨石文化研究所長 武内一忠さん
(手打ちそばセット予約注文あり・6時前から7時前・千円)
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2006/7/28

イスラエルが国連基地を執拗に攻撃  隣国との友好と平和

 イスラエルによるレバノン攻撃は、拡大の一途をたどっており由々しい事態です。

 まっこうから国連の精神に反しての攻撃ですから重大です。そしてレバノン南部に設けられていた国連レバノン暫定軍の基地がイスラエルによって攻撃され、4人の監視要員が殺されました。

 それにたいしてローマで行なわれた国際会議で『即時停戦をもとめる』議長声明を採択することが、アメリカの抵抗によって、『イスラエルに最大限の自制をもとめる』にとどまってしまいました。

 これを受けて、イスラエルのラモン法相はレバノン攻撃に事実上のお墨付を得たとの考えで、さらなるレバノン攻撃を続行しています。

 イスラエルの横暴の背後にアメリカの陰に陽に支持ありという構図。

 こうなるとアメリカ国民の意識改革なくして世界の平和はもたらされないといわなくてはなりません。

 今、日本の教育界で小学校から英語を習わせようという動きがあります。私は大いに賛成です。英語力をつけてアメリカ人と議論をする力が、平和を愛好する日本国民には必要なのです。

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2006/7/27

坂梨の園田太邑は竹崎茶堂の日進堂で先生やっていた  村のあちこち村おこし

 阿蘇市坂梨・東外輪山に近いあたりに、説明看板が立っていました。

 よく見ると、園田太邑という人が家塾を開いていたということですが、文面に竹崎茶堂の名前が見えます。

 熊本市本山の日新堂で漢学をともに教えていたそうです。

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2006/7/27

高橋春圃先生の墓はこちら  村のあちこち村おこし


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2006/7/27

石碑に書かれている文字は?  村のあちこち村おこし

 これが肥後で初めて長崎のシーボルトから種痘など西洋医学を導入した高橋春圃さんの墓です。

 碑文の撰は竹崎政恒(茶堂)だという話ですが、やはり石碑というものは、墨を塗って托本とらないと簡単には読み取れません。

 さてそうして天然痘が退治できたかわりに、当時の医学の未熟から肝炎を拡げてしまった可能性は、仮説としてあるかもしれませんね。

 しかし肝炎という知識もなかったでしょうから、明治・大正・昭和初期は病死であっても寿命とみなされたようなこともあったかも…


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2006/7/25

山室機恵子という女性  村のあちこち村おこし

 徳富蘆花による女性の伝記『竹崎順子』(大正12年)より早く出た女性の伝記としては、はりす夫人・山室機恵子・松井須磨子のものがありました。そのうち、山室機恵子をインターネットで検索してみると、この女性も熊本と関係が深い同志社関係者であり、その後、救世軍に加入し、廃娼運動に献身しています。

 この運動に、矢嶋楫子も運動の仲間として一緒に活動している様子が伺えます。廃業したいという娼妓を直接受取りに行って、さんざんに暴漢に打ちのめされたりと、大変緊迫した場面も多くあるようです。

 しかしこうやって女性の伝記を並べてみると、須磨子は例外として、いずれもキリスト教に関連した猛女であるのは偶然ではない気がします。竹崎順子以後も続々と猛女の伝記が続いて感心させられますが、そもそも女性の生き方に視点をあてるという指向自体、儒教や仏教、神道にはなかっただろうし、やはりキリスト教というのは社会の前進方向にあっているのかもしれないと考えさせられます。
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2006/7/25

布田会所跡  村のあちこち村おこし

 『西原役場前』の1つ木山寄りに『下布田』というバス停があります。

 そのあたりに、熊本の文明開花をもたらした竹崎茶堂・順子さんの塾があったというのに、標柱1本、説明文1つもありません。

 熊本市本山の日新堂に掛図を用いたもっともハイカラな教授法を東京直輸入で真っ先に導入したのも竹崎茶堂さんだし、牛乳を飲む習慣を始めたり、人力車でさえ彼が東京から熊本に持ってきたのが第1号なんだそうです。

 菊池市や山鹿市・熊本市などでスローな観光・明治の情緒をかもして走る人力車を見掛けたら、熊本県における文明開花の推進者・わが竹崎茶堂先生を連想していいのです。

 下布田バス停に、徳富廬花の文学碑・塾跡を示す説明・造り物・おしどり夫婦の銅像などが欲しいものです。

 また竹崎茶堂・新次郎親子が植えたハゼの木や茶畑が、下小森の方にほんの少しでも残っているなら、散策コースをバス停基点に設けたら面白いのではないでしょうか。

 ハゼの木は蒙古襲来絵詞で有名な竹崎季長のの血を引き継ぐ息子・竹崎新次郎が、はるばる柳川から運んだ【壱岐】という改良種だという由。

 柳川藩には立花壱岐という幕末の名家老がいたそうですが、横井小楠との関係が深く、福井の松平春嶽公から招かれる際にも仲介しているし、横井小楠の弟子である池辺という人の紹介で櫨の壱岐穂を譲ってもらうことになったそうです。


 【高橋春圃先生伝】によれば、戦国末期に、島津の大軍を相手に壮絶な死を遂げた高橋紹雲との縁が、柳川藩の立花家と春圃先生との間にあるようですが、加藤清正が朝鮮のウル山篭城のピンチに立花宗茂がかけつけたり、立花宗茂のピンチに清正が降伏説得にかけつけたり、肥後藩と柳川藩と越前藩との間には縁が何かと深いようです。竹崎順子さんの熊本女学校の舎監後継ぎとして登場したのも柳川出身の十時さんでした。熊本の歴史にはここぞという急場に、柳川の人が登場してピンチを救うという例がよく出て来るのは不思議です。

 西原村には観光推進協議会もできたし、文化財保護委員もいます。この辺のことをしっかりした裏付けして、案内人を養成できれば、県内ばかりか福岡県からも郷土史に興味をもって人々がどっとくるのではないでしょうか。

 案内人は、西原村検定を設けて級がもらえる資格制度にすれば、村内外から挑戦する人が増えるでしょう。知識をもつ人間の厚みができれば西原村の子どもたちにも波及し、大志を抱く契機となりえましょう。

 そのためには、焦らずまずは私自身がしっかり西原村の歴史を学ぶことが大事でしょう。

 布田塾の竹崎順子おばさんを母と慕っていた徳富廬花という、全国区の文学者に、縁が深い西原村民として、もう少し親しんでみなければなるまいと思っています。

 廬花は京都の同志社で、山本久栄という娘と失恋し放浪のはてに、持ち込みのよい(包容力がある)竹崎順子伯母から

『よかよか』

と受け入れられて初めて自暴自棄になっていた心の傷を癒すことができました。
『私には母が3人います。(実母の久子・横井小楠の妻津世子・心の母竹崎順子)』とまで言って母として慕うようになったらしいのです。

 そんないきさつが、【黒い眼と茶色の目】に詳しく書いてあります。まさしく文学の香り豊かな西原村というべきでしょう。

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