2006/10/10
西原村の二次元コード 村のあちこち村おこし



西原村の公式HPの携帯版のURLを、QRコードで表現してHP上や「広報西原」や壁・ポスターなどに掲示することを提案してきましたが、有料になるのではないかということで、先へ進めてもらえないでいました。予算がからめばそれなりに承諾問題が難しくなるということで理解はできますが、阿蘇地域全域でQRコードを用いて地域情報を現地で簡単に取得できるシステムを模索している時にあたり、西原村としてもそれに対応した取り組みが求められてくるだろうし、うまくそれに乗っかってやっていけば予算的にも何かと都合がつくのではないかと思います。
しかし、無料でことがすめば話は簡単であるしと思い、もう一度QRコードの無料作成サイトを検索して探してみましたところ、上記の通りに本当に無料で作成することができたわけです。
どこの無料作成サイトのお世話になったということを掲示していただきたいと書いてありましたから、http://www.cman.jp/QRcode/というサイトを利用させていただきましたという、そこのところだけ礼儀を尽くして、お世話になってはいかがでしょうか。
今回ここに掲げましたのは、画像ソフトがこのティーカップのサイトに対応していなかったので、いったんプリントアウトした上で携帯で撮影してメールで送るという複雑な迂回を行なって掲示したので、少し斜めになったりしています。

2006/10/10
1838戊戌夢物語 村のあちこち村おこし
商工会議所主催の『熊本観光検定』というのを来年受けたいと思って参考書を買っていますが、肥後の歴史を覚えるためには小中学校で習ってうろおぼえの日本史・高校で勉強した世界史のなかでも韓国・中国の近代史をもう一度学びなおせば、関連づけることができると考えています。
年号を覚えるためには、壬申戸籍のように干支であらわす歴史事実が多く見掛けられます。
干支の干は10年で一巡しますので、戊がついたら下一桁が必ず8になるなど西暦の下一桁が簡単に推測できます。
日本史について戊がつくのは、高野長英が鎖国を批判して書いた『戊戌夢物語』と、明治初年1868の『戊辰戦争』と、1908戊申詔書がありました。
中国にも明治維新を手本に改革を進めようとした『戊戌の変法』1898がありました。
それでは問題です。
江戸時代の戊戌夢物語を高野長英が書いたのは、いつでしょうか?
1898-120=1778年か、それともさらに120を引いた1668年でしょうか。
答えは何と60を引き算した1838年。
それでは第2問。十干二支というのに何故60年で一巡するのでしょう?説明をして下さい。
歴史を学ぶためには年号暗記がついて回りますから苦手意識を持つ人が多いようですが、逆に言えば年号さえ覚えるコツをつかんだら面白くなります。
熊本にも横井小楠など、日本史を動かした人物がたくさんいます。熊本が変われば日本が変わるという感覚を肥後の歴史を学ぶことによってつかむことができます。
ですから日本史を学ぶことは肥後の歴史を学ぶことなのですね。
何のために歴史を学ぶのか→それは主権者意識をつかむことだと思います。
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年号を覚えるためには、壬申戸籍のように干支であらわす歴史事実が多く見掛けられます。
干支の干は10年で一巡しますので、戊がついたら下一桁が必ず8になるなど西暦の下一桁が簡単に推測できます。
日本史について戊がつくのは、高野長英が鎖国を批判して書いた『戊戌夢物語』と、明治初年1868の『戊辰戦争』と、1908戊申詔書がありました。
中国にも明治維新を手本に改革を進めようとした『戊戌の変法』1898がありました。
それでは問題です。
江戸時代の戊戌夢物語を高野長英が書いたのは、いつでしょうか?
1898-120=1778年か、それともさらに120を引いた1668年でしょうか。
答えは何と60を引き算した1838年。
それでは第2問。十干二支というのに何故60年で一巡するのでしょう?説明をして下さい。
歴史を学ぶためには年号暗記がついて回りますから苦手意識を持つ人が多いようですが、逆に言えば年号さえ覚えるコツをつかんだら面白くなります。
熊本にも横井小楠など、日本史を動かした人物がたくさんいます。熊本が変われば日本が変わるという感覚を肥後の歴史を学ぶことによってつかむことができます。
ですから日本史を学ぶことは肥後の歴史を学ぶことなのですね。
何のために歴史を学ぶのか→それは主権者意識をつかむことだと思います。
