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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2006/11/11

松代大本営もすぐ近くにある長野市  村のあちこち村おこし

 地図を見て、長野市というのは、今まで頭の中にあったよりもずっとずっと北寄りにあるんだなと感じます。

 その隣の、山がちなところにあるのが松代市です。

 終戦間際に、天皇を避難させて本土決戦も考えて、朝鮮人も大動員して作ったのが、松代大本営だというのですが、山また山のそのまた山の中を攻めていかなければならない場所だと、地図をながめながらあらためて実感できました。

 長野駅前のバス停の後ろに、『在日本朝鮮人無事帰還を記念して』というようなことを刻んだ小さな碑がありましたが、そこに秘められた思いは、松代大本営の巨大地下壕建設で倒れた無数の朝鮮人のことを重ね合わせて考えてみると、実に深いものがあるのではないでしょうか…。
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2006/11/11


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2006/11/11

持ち上げられた亀さんに似ている長野県   村のあちこち村おこし

 娘から、『金魚の形をしている県はどこでしょう』と質問をされました。答えは静岡県だというので、地図を見てみたらホントに金魚の形をしていました。地理の勉強も、都道府県やら島の形などを、何かに似ていないかなとじっくりと考えてみると、また面白さが湧いてきますね。私が前から思っていたのは、沖縄県は今にも波の下に潜っていきそうな潜水艦の形をしているということです。また、熊本県は天草を鼻風船にして宇土半島をとがった鼻に見立てた人の顔です。熊本市が目にあたり、阿蘇カルデラが耳に似ており、噴火口がある阿蘇五岳は耳の中にあるでこぼこと見なすのです。球磨川河口のあたりが口。彦一とんち話に出て来るまぬけな天狗の顔と言ってもいいかもしれません。

 この前議員研修に行った愛媛県も熊本県とは違った表情をした左向きの西洋人みたいな横顔です。宇和島あたりのリアス式海岸が口を大きく開けているところ。佐多岬半島がまたとがった鼻です。高知県が扇の形をしているというのは、あまりにも単純すぎますね。

 このように何に似ているかということを想像したら、人に説明をするときに、イタリア半島の長靴のつまさきにあります・・・なんていう位置の説明が簡単にできてしまうという利点があります。

 長野県の形は、だいぶん見つめていてやっと浮かんだのが浦島太郎が助けた亀さんに似ているということです。

 内陸部の県なのに、海亀とは…どうして?

 でも、縄文時代や鎌倉・室町・江戸までは、日本海側の方が、大陸との環日本海交易が盛んに行われてきた表日本だったと言いますから、新潟県の直江津から近い位置にある長野県は、海とは意外となじんでいたのかもしれませんヨ。

 首のところにある長野市と松代市。首が長く真っ白な亀さんは瑞兆でしょう。

 背中の上高地には『ほのお』の穂高・乗鞍・御嶽があります。カチカチ山ではないけれど、亀さんも熱かろう。

 しかし川中島の戦いが亀さんの首の皮がめりこんだ中あたりに位置しているとは、覚えるのに好都合です。

 諏訪湖はスワスチカの卍に通じるとも言いますが、甲羅の右下あたりに傷があると見なしましょう。きっと浦島太郎が助け出す前に、さんざんにいたずら小僧どもに棒でたたかれた傷痕に違いありません。

 浦島太郎が持ち上げた時に、手でつかんだ甲羅の右肩あたりに『軽いわあ』(軽井沢)があるのです。

 『女工哀史』で糸繰り娘たちが越えていった岐阜県との境にある『野麦峠』は、乗鞍岳と御岳の間を通り、野尻峠を越えて諏訪湖のほとりの岡谷まで歩いていったと言いますから、ちょうど長野県の中央部を横断する形になりますから、この道の位置を子ども達が亀さんをいじめる時にむすんだ糸にイメージして覚えましょうか。この道は明治日本のシルクロードと言えるかもしれません。お隣の群馬県の富岡製糸場との位置関係はどうなっているのでしょうか。

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2006/11/11

長野県は明治の日本財政を支えた製糸業の地   村のあちこち村おこし

 長野市内を地図をたよりに、今朝も四時過ぎから歩き回りました。

 長野駅入口に、県内の地図と日・英・韓・中・ポルトガル語?での観光地説明が掲げられてありましたので、勉強のため、韓国語の一部を書き写しました。

 おやっと思ったのは、中国語を簡体字・繁体字の両方で書いてあったことです。
 よくみると、同じ文の表現が微妙に違いますから、やはり大陸と台湾は言葉が違うということなのでしょうか?

 長野県と群馬県という内陸両県は、日本史では川中島の合戦以外にはあまり目立たないようです。

 しかし明治の両県の製糸業が、日本の産業革命への多大な貢献をしたことを忘れるわけにはいきません。

 群馬県の富岡製糸工場には、熊本からも緑川製糸から実学党に連なる面々が技術を習いにきたそうですから、地図をながめて感無量です。
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2006/11/11

点字の暗記法  村のあちこち村おこし

 長野新幹線のホームで車両の到着を待つ間、点字ブロックをじっとみつめて、点字を簡単には忘れないですむ覚え方はないものかと、考えました。

 かつて点字を勉強したことがありますが、もううろ覚えになってしまって、壁に掲げられた点字が読めない状態に戻っているのに気づいて、愕然としたからです。

 しばらく考えてやっと思い出すことができましたが、そんなことではとっさの役には立ちません。

 やっとできた工夫がこれです。

 『握りとハサミで、愛を得るよ』

 『握り』とは、人と握手をすること。オニギリを作ってピクニックに行くこと。

 『ハサミ』とは、チョキチョキ古着を裁断して子どもの成長に合わせて再生利用する。そんな質素倹約な暮らしです。

 ジャンケンのグーとチョキで仲良く楽しく暮らすことはいいけれど、くれぐれもパーっとお金を使ってしまって、何もかもご破産にしてしまう人生にだけはならないようにしましょう。そんな戒めも込めました。

 オニギリ・オニギリ。チョキチョキすれば〜ハートのマークのあーいを得るよ〜
 と唄いながら、手遊びをすれば、子どもたちも楽しみながら点字が覚えられます。

 点字の6点を次々に押さえながら唄うのです。

 本格的にインターネットで点字を学ぼうとするならば、
http://www.asahi-net.or.jp/~JX1T-UED/ten_menu.html
がいいでしょう。

 私は数字の点字がなかなか覚えられずにいますが、1234567890を

あいうるらえりるれろ

 と、繰り返し唱える方法しかとりあえずないのかなと思います。
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2006/11/11

ハングル文字とアルファベットを表形文字として頭に入れる  村のあちこち村おこし

 表意文字である漢字が、すぐイメージに直結できるのに比べて、ハングル文字やアルファベットは、目に入ってからいったん頭の中で音声言語になおしてから意味を取るという2段階があるために、読み取りスピードが少し遅れがちになるというハンディがあります。

 しかし、アルファベットだろうとハングルだろうと単語を画像としてイメージに直結して脳裏に焼き付けるようにして覚えておけば、意味をとりスピードは速くなるに違いないと思います。

 例えば、twister という文字の連なりからつむじ風のすごい風をイメージとして重ね、cleanupという綴りからcleという部分をちり取りの形にしてanupの部分を紙くずというふうに絵にするのです。

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2006/11/11

健軍商店街から沼山津までは【龍馬の道】  村のあちこち村おこし

 高知市から梼原町を抜けて愛媛県の海岸まで、【龍馬脱藩の道】があります。

 四国は弘法大師の昔から、お遍路さんの道という、今でいえば【うまい過疎地活性化策】が行われてきた場所です。

 お遍路とは、遍在している道という意味ですから、交通の不便なところということは、字づらを見ただけでわかります。しかし、このお遍路さん、すなわち【四国霊場八十八ヶ所巡り】が海岸に近いルートをとって歩くのに対して、【龍馬脱藩の道】は、さらにさらに歩きにくい山道をとります。梼原町は熊本県でいえば小国町という感じの山の中の県境の町です。

 何しろ藩境が関所で閉ざされていた封権時代のこと、脱藩とは土佐藩の役人の目を逃れて進む関所破りであるため、険しい道を歩いたのは当然です。

 封権時代のくびき・掟を打ち破り、土佐一国の人間から【日本人】へと脱皮したという歴史的な意味がピーアールされるからこそ、人々はありがたがって、この脚が弱った自動車時代にわざわざ徒歩で歩く人がいたりするのです。

 熊本市にも実は【坂本龍馬】が歩いた道があります。それは【龍馬・開国への道】とでも名づけたい道でありますが、今年春の【海舟・龍馬・小楠ウォーク】で初めて全国から集まったたくさんの坂本龍馬ファンとともに一緒に歩くというイベントが行われたのです。

 【健軍電停】を【健軍・横井小楠電停】に改名してどうするのか、秋津町沼山津(ぬやまづ)までは歩いて何十分でしょうか1時間はかからないかもしれませんが、現代人の普通の感覚ではそんな距離を歩く人はいません。

 しかし【龍馬・開国への道】と銘打っただけで全国の熱烈な坂本龍馬ファンが、わざわざ高い旅費を払って歩きに来ることが証明されました。

 日本史上もっとも人気がある英雄は、軍隊を指揮して戦争を勝利に導いた将軍・武将ではなく天皇でもなく、徒手空拳で新しい世の中を説いてわずか三十三歳で非命に倒れた坂本龍馬であります。

 その坂本龍馬が歩いた道が、健軍電停から沼山津までの道のりなのですから、一歩一歩を踏みしめて歩きたい人が全国から集まってきて、乗客が少ないと苦しんでいる熊本市電の経営難が解消して、市電の延進にも弾みがつこうというものです。

 『それが西原村とどんな関係があるかって?』

 坂本龍馬が横井小楠を浮上させ、小楠が育てた西原村の竹崎茶堂・順子を浮上させるのです。

 今は何の痕跡も残されていない下布田バス停の前で塾を開いていた、夫婦。竹崎茶堂は日本の議会制度の父であり、妻・竹崎順子は日本の女子教育の母であります。

 竹崎茶堂の県政改革の提言を受けて、日本で初の議会『県会』ができたのは1976(明治9)年です。

 テレビで国会討論を見る時、国会ができたのが1890年。それよりだいぶ先輩の熊本県会を作ったのが、ほかならぬわが西原村の布田塾の先生だったとは、たいへん愉快なことです。

 そんなことが、坂本龍馬の道が小楠とともに西原村まで連れてきてくれるのです。

 そうしたら何とかお金を稼がなくてはならない障害者の共同作業所が(坂本龍馬まんじゅう)や(小楠グッズ)を作っても西原村にいながらにして売れるわけです。

 歴史発掘がもたらす地域おこしが、障害者の自立にも役に立つところまで、夢を見て歩きたいものです。

 これは西原村民の誉れだと、私は子どもたちに教えたいのです。

  
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