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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2007/1/9

横井小楠と西郷隆盛を結びつける、勝海舟と蘇峰  村のあちこち村おこし

 菊池市役所に寄って、津留今朝寿さんに表敬訪問をし、『横井小楠と 維新の群像』のCDを差し上げました。

 西郷隆盛は菊池源吾だったということで、奄美大島との交流シンポジ ウムを2月下旬に七城公民館で計画されているということですから、 西郷さんにますます風貌が似てきた菊池市議の東裕人さんあたりもかけ つけた方がよさそうだと、私は思いますね。

 私は、横井小楠研究家で文学者でもおありの堤克彦さんが、シンポジ ウムの基調提案をされるということですから、横井小楠ウォークを企画 している私としても行かなければなるまいと思いました。

 そして堤さんには早速ハガキで、西郷さんと横井小楠を結ぶものは勝海舟だと 強調してほしいと要望しました。

 明治の遅くまで長生きした晩年の勝海舟を、益城町杉堂生まれの徳富 蘇峰が国民新聞の取材に訪れました。

 『オレは自分の人生でおそろしい怪物にふたりあったよ。ひとりは西郷隆盛で、も うひとりは横井小楠だった。横井の説を西郷が実行したら別の日本ができていたろう 』

 表現は違っても大意はだいたいこんなところです。

 勝海舟は、日清戦争には反対でした。日清戦争に至ったのは西南戦争 が起きて西郷軍が敗北した結果から一連の流れであるとするなら、横井 小楠が明治2年に殺されなかったら、おそらくは対外侵略に突き進む日本 とはならなかったのではないかという無念の思いが、勝海舟の胸に常時 よぎっていたのではないかと私は推察します。

 また、『竹崎順子』には、西南戦争で撤退を始めた薩軍が、益城町杉堂を 通過する際、避難をしていた横井小楠の弟子・矢島の長男が 『一も一だが吉も吉だ』 といって、西郷吉之助・隆盛が屯営していると思われる木山まで説得に 出かけるけれどもいなかったため、東京の大久保一蔵(利通)を訪ねに 出発するという場面が出ています。いいかげんに戦はやめないかと言い たかったのだろうと思いますが、やはりここにも横井小楠ありせば、西南 戦争自体もありえなかったのではないかという悔しさが文字面の裏側に 透けて見えるのです。

 ですから、西郷さんおよび薩摩の若者たちが命を散らした植木・玉名・ 山鹿の古戦場は、横井小楠と勝海舟をもってくることで、真の意味で悼む ことになりはすまいかと、私は思います。

 つまり菊池源吾の話に必要なのは横井小楠であり、逆に西原村まで 『幕末・維新の道』を作るなら、勝海舟と徳富蘇峰と西郷どんを登場させ ると、『幕末・維新・平和の道』になると思います。

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タグ: 菊池源吾 奄美 七城

2007/1/9

東海道五十三次の展示にQRコードを利用する方法を方法  村のあちこち村おこし

 川端忠義さんの家の近くに、個人で作った阿蘇古代の郷美術館があります。アゼリアの近くで仙水峡に向かう道路沿いです。

 一階には阿蘇家伝来の宝物が展示されていますが、二階には安藤広重の東海道五十三次の浮世絵を全部見ることができるようになっています。

 しかし、参勤交代で行き来していくらかなじみがあった江戸時代と違い、現代は飛行機で東京まではひとっ飛びなので、東海道の地名のひとつひとつがよくわからないため、五十三次への人々の興味はあまりないように思えます…  浮世絵画法の特徴をテープで解説してもいいだろうし…美術的な鑑賞法です。

 でも『東海道中膝栗毛』という面白い江戸時代の洒落本があります。  宿場宿場でヤジさん喜多さんが、どのような珍事を繰り広げられたか、笑いながら江戸情緒が味わえようにしてあるならいいなあと思います。

 また、横井小楠の江戸のぼりの際のエピソードなど旅行気分が味わえる解説をつけることも興味が広がっていいかもしれません。

 水前寺公園が東海道を表したものであるので、その撮影をした画像を展示して連携をとるなどもいいかもしれません。

 QRコードという解説をコンパクトに表示して、携帯で読み取らせる方法もありますから、活用したらいいかもしれません。

 欲を言えば、韓国語でも解説をつけたらいいと思いますけれども。

 色々な阿蘇観光振興策を考えていけば、連係で西原村にもいい影響がもたらされるに違いありません。

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2007/1/9

堤先生の家がわかりました  村のあちこち村おこし

 菊池市在住の歴史家で、横井小楠の伝記を出版された堤克彦さん宅が、本の裏に書いてある住所をたよりに探し探ししてやっと探しあてることができました。

 残念ながら堤先生は犬の散歩に出られていて会えませんでしたが、奥さんには会えました。

 『横井小楠と維新の群像』のCDを差し上げることができました。

 このCDは、西原村と風力のイメージ・ソングである古家建雄さんの作曲ですが、東海大学名誉教授・高宗昭敏さんが実質的に監修されています。

 高宗昭敏さんは、熊本城東の千葉城高橋公園にできた、海舟・龍馬・春嶽公・護久公という横井小楠を囲む維新の銅像をプロデュースされた方であり、また去年三月に全国から約千名を集めて行われた【海舟・龍馬・小楠ウォーク】を企画立案し、総指揮された方です。

 今回のCDもその名のとおり、その『群像』をモチーフにしていますから、明治維新の方向性を北斗七星のようにさし示し続けたにもかかわらず全国的にも福井以外では知名度が低い横井小楠とはいかなる人物か、音楽で解説する入門編に仕上がっています。

 しかしながら、血をたぎらせ、心の深部をゆさぶる力がある曲です。

 勝海舟が晩年、取材にきた徳富蘇峰に語りました。
 『オレはこの人生で恐ろしい怪物を二人見た。ひとりは西郷隆盛であり、もうひとりは横井小楠だ』

 鹿児島と熊本。どちらも九州が生んだ巨人ですね。
 しかも西郷さんの先祖は菊池一族の出であることを考えると実に感慨が深いものがあります。

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タグ: 細川 春嶽 堤克彦



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