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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2007/4/23

小国町長選で惜しくも落選した武宮憲之元町議  村のあちこち村おこし

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2007/4/23

山吹色に誘われて 天ヶ瀬町 Teaching  村のあちこち村おこし

霧立ちて バイク分け入る 春の山

天ヶ瀬の 浮き橋よぎる 春の霧

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古ずい道 山吹色に 誘われて

山吹けば 古ずい道に 誘われて

 昨日は、熊本市内の産文会館でオンブズマンの会議に参加した後、菊池市と中津江 経由で小国町までバイクを走らせました。

 これはその時に作った俳句です。

 俳句を鑑賞したり作るということを西原村の俳句指導者・矢野越子さんに投句をせ かされ、始めてから、次第に俳句の効用に気づいてきました。

 俳句を作ろうとすれば、たしかに周囲をじっくりと観察するようになりますね。

 ものごとを凝視した分、人生を2倍に生きるぐらい、密度に高めることができると 言えるかもしれません。

 One night the Lord spoke to Paul in a vision: "Do not be afraid; keep on speaking, do not be silent.

For I am with you, and no one is going to attack and harm you, because I hav e many people in this city."

So Paul stayed for a year and a half, teaching them the word of God.

Crispus, the synagogue ruler, and his entire household believed in the Lord; and many of the Corinthians who heard him believed  and were baptized. While Gallio was proconsul of Achaia, the Jews made a united attack on Paul and brought him into court.

"This man," they charged, "is persuading the people to worship God in ways contrary to the law."

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2007/4/23

昨日はオンブズマン総会に熊本市内の産業文化会館に行った後、長駆小国町にかけつけました。  俳句鑑賞

 昨日はバイクで2〜300キロは走ったんではないかなと思います。何しろ原付です。とてもきつかった。

 早朝配達と西原民報配布を午前中にした後、熊本市内の産業文化会館まで『くまもと・市民オンブズマン』の総会に行きました。

 ちょうど選挙の投票日ということもあって、オンブズマンの会員のみなさんも委任状を出してすました人が多くて、会場へ足を運んだ人が少なかったことは残念でしたが、記念講演に立たれた森武徳さんの『下筌ダム建設反対闘争の思い出』の話が面白かったです。森さんは、室原知幸さんと一緒に司法分野で活躍された方です。

 私は睡眠不足のためにコックリこっくりしてしまったのが残念ですが、小国地方の歴史を少し学ばせていただき興味をおぼえたのは、北里さんとか河津さんとかいう山林地主がどのように誕生したのかということです。江戸時代には土地は藩主の管理下にあって、地域の人々は共同作業をしていたのだけれども、明治新政府になってから、土地の登記をするにあたって、共有地という所有形態を政府が嫌ったため、右代表として名前を書かせたのだという。そして一時期までは地域住民の間には共有地としての意識は残っていたのだけれども、いつのまにか右代表の所有になってしまったというのです。

 少し寝ぼけて聞いたのでこの通りではなかったかもしれませんが、大略がこのような話でした。よく昭和二十年の敗戦後、農地解放で大地主が持っていた土地は小作に分け与えられたけれど、山林についてはそのまま大地主の所有として残ったという話を聞きますが、もとを正せば大地主が江戸時代から所有していた山林ではなくて、明治になってから右代表でいつのまにかせしめたものであるということなら、また田舎の実力者である大地主に対しての見方も変ってくることになります。

 下筌ダム闘争は、戦後の建設省の問答無用の進め方を変えた、歴史的意義があるといわれます。

 そんな講演の内容を心の中に反復してバイクを走らせているうちに、いつもの曲がり角で曲がりそこなってまっすぐ進んだものですから、間違えて下筌ダムの湖の方へ出てしまいました。

 でもよかったのは、下筌ダム反対闘争が日本史を変えるぐらい有名で重要なできごとが、熊本県を舞台にして起こって  
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