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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2007/5/6

日本国憲法に触れてみる。ベアテさんの手のぬくもり  隣国との友好と平和

 あなたは日本国憲法のぬくもりに触れたことがおありでしょうか?

 私はあります。

 日本国憲法の草案づくりで、女性の権利を担当したり、資料集めや通訳にも携わっ て重要な役割を果たしたGHQのベアテ・シロタさんとは、熊本の産業文化会館に講 演に来られた時に、娘とともに握手をしてもらいました。その時の、大きくてふっく らとしたぬくもりの感触が、今でも忘れることができません。

 日本国憲法は、この、手のぬくもりで書かれたんだなと思っています。

 ベアテさんは、同じく憲法草案づくりで一緒だったゴードンさんと結婚して、戦後 アメリカに住むことになりましたが、もともと日本の東京に生まれ育って、女性の苦 しみを幼い頃から見聞きしてきた人です。

 外見では白人ではあっても、内実は日本女性と言っても過言ではないのではないで しょうか。

 外部から草案が与えられたような外見がありながら、その実は日本女性の苦しみと 無権利を知り抜いている日本女性の手でこの日本国憲法は書かれたのです。外から押 し付けられたのではなくて、内発的な要素の発展によって作られた憲法です。

 いわば日本国憲法の誕生は、卵から孵化する前にヒナが中から殻をつつく時に、母 鳥も外側から卵をつっついて割ってやる姿に似ています。

 いくら外からつっついても、卵の中にヒナが十分に成熟してないなら、当然ながら 卵からヒナが孵化することはできません。

 ベアテさんの存在は、日本女性の代表でありながら同時にアメリカ占領軍の側でも あるという、内外の要素を兼ね備えた、日本国憲法の権化みたいです。

 私は、ベアテさんの手のぬくもりを思い出す時に、いつでも日本国憲法の温かさを 感じることができます。

 今、日本国憲法の英文の暗唱に挑戦していますが、アジアと日本の二千数百万人の犠牲と引き換えの、大事な大事な形見のような平和憲法だと感じています。

『日本国憲法っていいなあ!』
 手に触れて繰り返し声に出して、歩いてみて、私はますます好きになってきました 。
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2007/5/6

改憲手続法の提案は、それを争点とした総選挙をやった上でやるべきです。  隣国との友好と平和

 現在の自民党の議席というのは、郵政民営化に賛成か反対かという争点でたたかわれた衆議院選挙による多数であって、日本国憲法を改定するという、国民生活と日本の国家の行方について根本的に問い掛ける内容の、改憲手続法を強行採決させるために得られた議席数ではありません。

 改憲手続き法のような重大な法案を審議するためなら、一度そのことを争点とした総選挙を行ってから新たな国会で審議するのが、国民主権の主旨からいっても筋ではないでしょうか。

 小泉総理と安倍総理と2代かけて、国民をペテンにかけているのではないか。トリックにかけているのではないか。郵政民営化賛成・反対で盛り上げて憲政史上かつてない大量の議席を得た上で、反対を言っていた元自民党員も復党させてさらに大量の議席数を確保しました。

 その場その場の現象を観察するだけでなく、1・2年の流れを宮本武蔵が言ったように薄目で眺めてみると、ひょっとしてだまされていたかもしれないなと感じることができるのではないでしょうか。

 郵政民営化を手品の種にした偽りの絶対多数を利用して、改憲手続法を強行するのは国民だましです。総選挙をやり直してからにせよ、と強く言いたい。
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2007/5/6

焼け跡から生まれた憲法草案  隣国との友好と平和

 今夜10時からのETV特集は、『焼け跡から生まれた憲法草案』です。

 いつもなら就寝している時間なので、十分に昼寝をして睡魔対策をした上で、筆記 具を用意して正座で見る予定です。

 たまたま明日は新聞休刊日なので、夜更かししても大丈夫。

 テレビ欄からは、「敗戦後7人の日本人が議論の末に生み出した憲法草案」「民権 運動を受け継いで」「占領軍将校の新証言」などの記述があります。

 これらからは、映画【日本の青空】で紹介された内容と共通性が感じられますが、 『鈴木安蔵』という名前はありません。しかし、おそらくは7人の集団の中のひとり だということで、より歴史的に述べられるに違いありません。

 また、植木枝盛ら自由民権運動と日本国憲法草案が、どのようにつながってくるか が、新証言とともに分かりやすく語られるかもしれないと思えば、ワクワクします。

 日本国憲法が、占領軍による押し付けであろうがなかろうが、それまでの日本人の 運動が影響したものであろうがなかろうが、どっちでもいいではないかという意見が あります。

 問題は憲法に盛られた内容そのものだという議論ですが、私はそうは思いません。

 日本の歴史の伝統に根ざしていると語ることができるのであれば、日本国民のもの として本当にしっかりと育てていくことが可能になります。

 ましてや憲法問題にはわが熊本・肥後藩との深い関連があります。

 自由民権運動は1874年の板垣退助らによる民撰議院設立建白書に始まると考えられ ていますが、その前に、横井小楠に発して坂本龍馬の【船中八策】に盛られた、新し い日本へ向けての設計書の存在があります。

 つまり、明治維新が本来めざしたけれども流産させられて復古主義と専制主義にと ってかわられてしまった、民主主義革命を、みずからの手で完成させるたたかいが、 現在の憲法9条を護るたたかいなのです。

 わが村に安政の頃に住んで塾を開いていた漢学者・竹崎律次郎は、横井小楠の弟子 となりました。儒教とは君主に従う思想であるのに、どこから発想したのか、札入れ 『選挙』で藩(県)の役人を選ぶべきという改革案を、徳富一敬とともに提案していま す。

 その師・横井小楠は、『尭・舜・孔子』の道と説きました。儒教には、君主の存在 を感じさせない鼓腹撃ジョウの理想郷が述べられており、ワシントンの政治にその理 想を見てとった小楠の理解力がありました。

 その後、宮崎八郎などが土佐から任命されてきていた保岡権令に働きかけて、県会 ができたのは、1876年の明治9年のことでした。

 明治政府がフランスの憲法を参考にしようと、やはり肥後出身の井上こわしをフラ ンスに派遣したのに、小さな頃から骨身にしみて儒教の上意下達の君主制度的側面を 身につけていたために、フランス革命を経た主権在民思想になじめず、ついにドイツ 憲法に学んだ体系に転換したところに、民主主義革命の流産がありました。

 江戸期に儒教をどのように解釈し教育を受けたのかに、民主主義の種を見い出した のか専制政治の種を見い出したのか、そのふた通りがあったことがうかがわれるので すが…。 民主主義とは、与えられるものではなくて、たたかいとるものであると思 います。これまでに非業に倒れた人々・努力は、すぐには実りを結ばなかったとして も、かならず次の時代にバトンが引き継がれて、見えない歴史の部分に蓄積された量 が一定の臨界を超えた時に成就するものだと確信しています。

 まだまだ日本の民主主義革命は完成していない…そんなことも考えながら、小楠が 歩いた四時軒から西原村までの道を歩いてみるのもよいものだとオススメしたいと思 います。
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2007/5/6

川の水面に近い道を歩ける秋津川  村のあちこち村おこし

 横井小楠が住んでいた家の前に流れている秋津川というのは、親水性が日本一の川 かもしれません。

 ひとりで歩いて五感と第六感を総動員したからこそそういう感想が言えるのです。

 案外地元の人には身近すぎて魅力が見えていないかもしれません。

 川面と人が歩く道とがこんなに接近している川というのは、おそらく日本全国探し てもよそにはないのではないでしょうか。

 益城町の人々は、ウォーキングに最適なこの秋津川の魅力をどれだけ生かしている のでしょう。どれだけ世間に知らしめていることでしょう。

 土手の道も低いし、せせらぎみたいな川に降りていく斜面もなだらかな傾斜です。 さらに木製の杭を打ち込んで、小さな生物たちが巣をつくりやすいような横穴がほげ ている自然護岸になっています。

 その岸辺から数十センチ、川面からほんの手の平で触れることができるほどな高さ に、川中歩道があります。

 これは、全く江戸期まで行われていたであろう曳き舟の道が残っているのではなか ろうかと感じられます。

 昔の木山というは、加藤清正に滅ぼされた豪族の拠点であって、そこには城祉公園 もあります。
 矢嶋楫子ら四賢婦人の生家があった木山の手前の宮園には、川べりに小さな石柱が 立っています。その近くに唐物改めの役所、すなわち今日の言葉で言えば税関が置い てありました。

 こんな小川のせせらぎみたいな小さな川に見えますが、意外にも嘉瀬川から緑川へ と下って有明海から中国にも通じていたことを感じさせる歴史ロマンの川の道です。

 横井小楠がなぜ沼山津の川辺に居を構えたのか、決して釣りがしたいから猟ができ る山に近いからだけではなさそうです。
 西洋情報は、漢訳されたものなら苦もなく読み下すことが可能な読書家である横井 小楠にとって、ひょっとして漢訳書籍を手に入れやすい『図書館みたいな川』を期待したのかもしれません。

 神社にしても、ころほどの内陸部にありながらどこか海を意識したかのような匂い が、直感考古学の嗅覚をそなえた私にはかすかに感じられるのです。

 それもそのはず、海面が今よりも6メートル上がっていた6000年前には、この あたりまで海面が来ていて、港がそこここにあったに違いなく、さしずめ神社がある あたりがあやしいと思います。

 広々とした田の風景は海に見えてしかたがありません。

 歴史を偲ばせる史跡の宝庫でもあります。実は『益城町史』を持っていますから、 西原村の歴史にも『海と聖なる山』の関係があったはずで、決して無関係ではないの で、もう一度熟読精読してみたいものです。
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