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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2007/5/21

熊日夕刊に連載中の『逃げだした兵隊』も竹崎茶堂律次郎と順子との曾孫・竹崎有斐作  隣国との友好と平和

 九条改憲がなされて徴兵制が実現されたら、若者はどうなるかということを、拾った野良犬を名脇役にしながら、活き活きと軍隊内の生活を描いた作品に、竹崎有斐(ゆうひ)さんの『逃げ出した兵隊』があります。

 今、熊日新聞の夕刊に連載されていますが、図書館に行くたびにまとめて読むのが楽しみです。

 実は、竹崎有斐さんという熊本出身の作家に深い興味を抱くのは、去年亡くなった木下順二氏と同じく、西原村に幕末・安政の17年間住んで塾を開いていた竹崎茶堂・順子夫妻の曾孫にあたる人だからです。

 奇しくも木下順二氏も竹崎有斐氏も、竹崎茶堂・順子の思想に深く影響されたかされないかわかりませんが、いずれも反戦平和の地球環境をつくっていかなければならないというような気持ちがあふれている人だと私は受取っています。

 考えてみれば、竹崎茶堂律次郎は、『何ぞ富国に止まらん、何ぞ強兵に止まらん、大義を四海に布かんのみ』と諭した横井小楠の弟子であり、儒教の中にある尭・舜という中国古代の聖王による徳のある政治に、ワシントンに象徴される共和制、すなわち国民主権の民主主義社会との共通性を見出していたのではないかと思います。

 また、大義という簡単な言葉の中には、国際政治における道徳的なルールを確立しようという意図が含まれていると私は解釈しており、現在の国連や平和五原則、絶対平和主義にも通じると考えるならば、9条を守る会の先達としてきっと天上から私たちの努力を見守って下さっているに違いないと思います。

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 このようにかつての西原村民といってもいい、竹崎夫妻について、ずっと以前、熊日新聞のコラム『新生面』に以下のように竹崎有斐さんのことが紹介されていたので、引用してコメントをしてみたいと思います。ただし切抜きした時に日付を記入するのを忘れていたので、いつの掲載だったかは不明です。

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 【新生面】 父祖の地を遠く離れた者にとって、故郷に残された土地が時に厄介に感じられる。処分してしまえば簡単だが、そうもいかない▼東京都東村山市に住む児童文学者竹崎有斐さんは、九州に台風が上陸したというニュースに接する度に「ご近所に迷惑をかけていないか」と気をもむ。そこには巨木が茂っていて、大風のときなど髪を振り乱すようになる▼遺族相続の際、兄姉たちと分け、竹崎さんの持ち分だけが緑地で残っている。「住宅地として分譲したら」とすすめられるが、頂に曽祖父母の竹崎茶堂・順子ら一族が眠っている。順子を「校母」とする熊本フェイス女学院の生徒らが命日には清掃奉仕にやって来る▼肥後の維新に功績のあった茶堂が藩主の細川護久から与えられた土地だ。敗戦後、復員して来た竹崎さんは畑を作り、仮住まいをした。桑をふるったら、見慣れない草が揺れた。アスパラガスだった。茶堂が西洋から種を取り寄せ、試験栽培をしていた名残だった▼一帯は石山でもあった。石工たちの家族が住み、竹崎さんはそこを舞台に『石切り山の人びと』を書いた。サンケイ児童出版文化賞などを受賞、会社を辞めて、作家として独立した竹崎さんに勇気を与えた▼竹崎さんは子供たちの了解を得て、熊本市に寄付することを決めた。市は茶堂の旧居跡を含め、その好意をどう生かそうかと検討を始めた。高野辺田にあるその土地を訪ねたら、見晴らしが良く、ツツジが盛りだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、熊日コラムからの引用おわり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 平和主義と国民主権とは、西原村から発祥したとまで言おうとすれば言えないこともない、とまで考えて、徳富蘆花による伝記・『竹崎順子』を入力作業をしている私としては、西原村のみなさんに民報に書いて紹介をするためにも、一度じっくりと高野辺田の竹崎夫妻の墓参りに行って見なければならないでしょう。

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