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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2007/12/22

冬至湯には西原村の温泉に入ろう  俳句鑑賞

冬至湯の 身に覚えなき 痣ひとつ
(とうじゆの みにおぼえなき あざひとつ)
黛まどか
<季語/冬至湯・季節/冬>

 今日が冬至だと、黛まどかさんが(俳句でエール)で教えて下さいました。

 風流な習慣がなく、季節感乏しく暮らしていた私でも、このようにタイミングよく その日その日ぴったりの季語を教えていただけるのが、新しいメディア・メルマガの すばらしいところです。

 私は寒さの中も原付バイクで走り回っていますので、出先で温泉があればつかるこ とができるようにいつもタオルを入れています。温泉につかればその含有成分が皮膚 の穴に蓋をして寒さから守ってくれますからね。西原村の温泉に入れば柚湯に恵まれ るかどうか、今日は取材をかねてつかりに行ってみたい。

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 龍神の湯に入りました。期待していた柚子はみつかりませんでした。残念。

 露天はあいにくの曇り空でしたが、一緒に入っていた人に話し掛けてみたら、山口県の厚狭からはるばるとこの西原村に初めてやってきたとのことでした。ずいぶん遠くからこられました。さすが空港の傍だけあっていろいろなユニークでよさそうな小さな店がたくさんありますね、と語って下さいました。

 温泉をあがると、やはりバイクで風を切って走っても全然寒くはありませんでした。温泉効果ですね。さて、今度はどこの温泉に入ろうかな・・・南阿蘇の雀の湯にはもうずいぶんの間ごぶさたしていますから、あの泥沼のような白濁した湯がイメージの中で手招きをしているようです。

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2007/12/21

太平洋の島々は5mも海水面が高かった縄文海進期には海の下だった・・・  環境・教育

 今まで思い込んでいたことが間違っていたのではないかと、ひとつ気づいたことがあります。今日のことです。

 それは、南太平洋の島々の国で、地球温暖化による海水面の上昇によって、国ごと沈んでしまうとされていることについてです。

 実は日本では縄文時代に貝塚の分布などから1万2千年前には現在よりも海水面が5から6メートルも高かったということは、私も常識として何ら疑問をもっていませんでした。しかしふと今日気づいたのは、縄文時代の海水面上昇というのは日本に限ったことではなかったということです。認識の盲点でした。

 ということは、南太平洋のツバルやキリバスなどの島国は、一万二千年前には海の下に沈んで存在していなかったということですね。今でもニューギニアから南米に至る太平洋を地球儀で見ると、海ばかりに思えますが、縄文時代にはおそらく、取り付く島がないぐらい茫漠とした正真正銘の海ばかりだったといえないでしょうか。

 数千年前からの海退の時期に、少しずつ船に乗って 部族が移住して海の上に浮かび出た島々にたどりついたというわけですね。比較的新しい民族の大移動だったのでしょう。そんな意外なことに全く気づいていませんでしたね。

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2007/12/21

大津町の広報誌には、図書カードが五人にあたる『広報クイズ』が掲載されている  村議会

 大津町の役場に寄った機会に、玄関入口におられる案内の女性に、大津町の広報誌と議会広報を頂いていいでしょうかと尋ね、よいということだったので頂いて帰り、いまつぶさに見ているところなんですが、これはよい企画だと感心したことがあります。

 それは、『広報クイズ』が掲載され、正解者の中から5名に図書カードがプレゼントされると言うのです。今回の12月号のクイズは、『今年のカライモフェスティバルは何回目の開催でしょうか』というもので、記事の中をしっかりと探せば解答が見出されるということになっています。

 クイズを解こうというつもりになって読めば、目を皿のようにしてしっかり読むことになりそうです。とくに予算決算の規模など数字はしっかりと覚えるつもりにならないとなかなか頭に入ってはこないものですからね。

 これは西原村の広報や議会の広報も見習っていいことではないかと思います・・・

 一度このことも含めて議会改善や役場の広報活動の改善についてまとめて提言書にしてきちんと提出した方がよいのではないかと思います。

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2007/12/21

高遊に隣接した大津南部工業団地概要をつかむために大津町役場企業誘致課を訪問  村議会

 高遊が生活圏に含まれると思われる、大津町の南部工業団地について、大津町は最近、すべの用地に企業が誘致できたというニュースに接しました。

 先の12月定例議会において、加藤義明村長が、もっとも最近南部工業団地に進出の企業起工式?に出向いて挨拶をしたと聞いたのです。すなわち、企業の税金は大津町に入るかもしれないけれど、そのほかのお金?は全部西原村の方にお願いしたい?とか。言葉は正確でないかもしれませんが・・・

 そこで、村内の皆さんにいったいどのような企業が西原村の隣接地に進出してきたのかという情報を提供させていただこうと考えて、大津町の役場を訪問して何か資料をいただけないかと申し込みました。

 でも、まだ資料というのはまとめていないという返事でした。そこで口頭でもメモでもいいですからと言ってお願いしました。

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2007/12/21

昨日の住基ネット地裁公判の様子  村議会

 昨日の熊本地裁での住基ネット問題公判を傍聴して・・・

 傍聴人は13人。ただしうち2名は遅刻して入場せず。

 前回もそうでしたが、今なお奇異に感じているのは、法廷が円卓になっているということです。裁判官が2名と国側弁護士が女性1名を含んで数名、円卓の右側に座り、共同法律事務所の弁護士が2名着席します。

 小さな円卓ですから、ぼそぼそとした小声で裁判長も弁護士も話しますから傍聴席にはよく聞こえにくいのです。裁判所というものは弁護士が堂々とした口調で満場いっぱい声を届かせる場面が、テレビドラマなどでイメージとして頭に牢固と刻まれているために、円卓でぼそぼそとというのは、納得できません。傍聴席を無視していると言っていいのではないでしょうか。

 聞けば、民事事件だから円卓なのであって、刑事事件ならイメージ通りであるということでした。

 さて、進行状況についてですが、裁判側も判決を下す前の準備にかかっている状態であると感じました。原告側も資料を出せるだけ出していますが、次回公判は最高裁判所の結果を見てからということで3月13日の11時半からに決まりました。

 いったい最高裁の何の結果を待つというのでしょうか?

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2007/12/21

たしかに韓国人観光客は多い・熊本城  隣国との友好と平和

 熊本城内の西大手門は、薬研堀を渡る県立劇場につながる大きな駐車場が、二の丸公園の芝生を北に見ながら広がっていますが、観光客がバスの中からぞろぞろと降りてきました。

 見るとどうも韓国人ではないかと感じられました。どことなく日本人とは違うと感じるのはいったいなぜでしょう。どうも何となくファッションがねえ。耳を傾けるとはたして韓国語が聞こえてきました。

 高い木にとまった鳥を指差して『カマギ』と言って、女性数人が見上げていました。

 観光バスの正面ガラスの隅に、韓国語でトクビョル・ヨヘン(特別旅行)と書いたカードが掲げられていました。韓国語で話し掛けてみてもよいのですが、今回は急ぐのでそこまではしませんでした。

 いずれ、私も熊本城をはじめ阿蘇や県内の案内を韓国語でできるようになりたいものです。もちろん社会進歩の先頭を切ってきた熊本の歴史を誇りをもって・・・

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2007/12/21

熊本城の西向き正門というのは、たいていの神社の向きと同じ  隣国との友好と平和

 ひさしぶりに熊本城に行き、その一角の県立美術館を訪れたのですが、子どもの頃からスケッチ大会などたびたび慣れ親しんでいたはずなのに、あらたな発見があったりして・・・

 というのは随分復元工事が進んできたために、以前は無かった塀があったり門があったりと勝手が違う思いがしました。ただ唯一復元されていないのは藩校・時習館ではないでしょうかね。私は、細川重賢公による宝暦の藩政改革が、その後のかの有名な米沢藩の上杉鷹山の改革につながるなど、全国的にも本来注目されてもよさそうだと思っているのですが、その中でも藩校を建てたことに示されるように文武両道の教育の重要性を認識していたことが大事だと思うのです。そうなれば、復元工事の中に時習館が復元されていないというのは、画竜点睛を欠くというべきではないでしょうか。つまり形は復元されてもその精神がどこにあるのかというものです。確かに城内地図には示されていますが、現地に『ここか』と思わせる風船でもほしいところです。

 話は変りますが、西にある駐車場の方向から熊本城を見ると、三つの天守が並んでいます。この配置は西のほうから見られることを意識していると、私は感じました。西の中国に正対しているとも言えるし、菊池神社などのように東の方にご神体があり、西の方にある鳥居をくぐって参拝するという神道系の伝統を踏襲しているような気がします。

 つまり、江戸時代の熊本というのは新町・・・あるいは有明海に面した百貫港が表玄関だったという、いわば、海運を中心に都市づくりを構想していたのでは。すると、ずいぶん熊本の印象が違っていたことが想像されます。

 司馬遼太郎の『翔ぶが如く』にもありますが、薩摩藩の参勤交代は、熊本城の西から入って城内を通した街道を北へ向かっていくのを通例としていたそうな。石垣や銃眼をあけた塀に囲まれた谷のような通路を行くときには、さしもの薩摩の侍たちもおっかなかったに違いないと思います。そんなことを思い出しながら歩いていました。

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タグ: 清正 佐々成正 肥後

2007/12/20

西原保育園の発表会で  村のあちこち村おこし


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