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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2008/11/30

湯たんぽの歴史と一般質問  村議会

 今日は、今月最終日ですから、赤旗しんぶんの集金に精力的に回りました。

 領収書の残りが少なくなってくるとだいぶ気が楽になります。冬の集金は車でないとやはりなかなか億劫になりますね。

 12月定例議会の一般質問通告が締め切られましたが、12人の議員中の3人(桂・山西・田島)が通告しました。登壇率の25%は、今期の最初の議会にしてはだいぶ低いのではないでしょうか。選挙運動の時の公約実現はどこへ行ったのか?
それとも公約なしで当選したのか…

 私にとっては65回目の一般質問になります。

 ひとつのテーマは、村長交際費のあり方についてです。

 日置村長は、加藤村長時の監査委員でしたが、警察との懇談会などに支出するような官官接待は、不適切な支出だとしてなぜ指摘をしなかったのか。

 官官接待は、この十年ほどの市民オンブズマンの戦いの結果、やってはならないこととして世間一般にはすでに定着している常識だと思うのです。

 監査委員として指摘をされなかったということは、今後もありうることだということを懸念させるのです。

 自民党や国会・県会の議員やその候補者の励ます会や新年の集いに出席して、村長交際費から支出したことも、思想信条的に中立でなければならない首長として、やはりやってはならないことだと思います。

 香典への出費にしても、どこまでの範囲に出すのか…際限なく出していては具合悪いでしょう。

 つまり、村長交際費の150万円の使い方には、きちんとした文章に書いたルールが必要ではないかと提起したいと思います。

 ところで山西議員は、かつて議会事務局をされていたことのある人で、また住民課長など議会には執行部側の雛段に座っていたことがある人ですから、今度は議席からの発言だということですから、本人もそうでしょうが私にとっても時の流れに感慨無量です。

 さて、これがデパートなどで売られている湯たんぽですね。

 このような偏平な湯たんぽだったら原付バイクのシートの下に敷いて寒風の中を走れば重宝ではないでしょうかね。

 (湯たんぽ)は、なんとなく火鉢などとともに江戸情緒や明治・大正を感じさせるアイテムなのですが、そもそも日本でなく中国で発明されたとははじめて知りました。

 それもはるか昔の唐代で、日本では大化の改新や菅原道真の奈良・平安の頃。

 おそらく陶磁器の壺が大量に作れるようになったからでしょう。中国では湯婆と書いて(タンポ)と読んでいたのではないかと…

 湯婆(タンポ)では日本語として落ち着かないし、イメージも湧きにくいので、前に湯をくっつけて湯湯婆(タンポ)になったのではないかという話は面白いですね。

 婆は当時、妻の意味だったそうで、妻の代わりに抱いて寝たからなんでしょうか?

 そう言えば、夏に籐で作った、中が空洞の人形をダッコして蒸し暑さを防ぐタイプのものもあるやに聞いています。

 それを「何とか…妻」というような呼んでいたことを何かで読んだことがあります。

 もし湯たんぽの中に水を入れたら夏に涼しい水タンポになるのではないでしょうか?

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2008/11/29

寒さとの戦いと健康度  環境・教育

 二酸化炭素排出を削減することと、高騰するガソリン代への対策として、寒い冬も原付で走りながら、体を暖めるためガス欠でもないのに押して歩いたりしているのですが、今度は肉体疲労によりコンビニに寄って何か口に入れたくなることに気づきました。

 つまり、ガソリン代は節約できる代わりに、今度は食費という形の人間のためのガソリン代が増えるようです。

 何ごとも過ぎたるは及ばざるがごとし…ほどほどにということは考えていないといけません。

 あまりに寒気がひどければ、その時は日和見主義もありえると考えておいた方がよいでしょう。

 でも極力歩いたり走ったりして、ランニングハイ・ウォーキングハイの段階までいく方が健康度は高くなり、医療費も削減できて太く長い人生が送れますかね。

 シベリアに住む人は、寒さのために寿命は長くはない傾向があると何かに書いてありました。寒気に身をさらすことによる健康に対する危険要因と、運動による健康改善とをプラス・マイナスしてみると、結局はどうなんでしょうか。

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2008/11/29

湯たんぽが大人気?バイクの尻に湯たんぽは?  村のあちこち村おこし

 寄せられた情報によると、東京では冷たい雨が降って、1月の天気だそうです。
 紅葉を楽しむ間もなく一気にダウンコートを着ている人のオンパレードだとか。

 それに対して熊本の山々は、あちらを見てもこちらを見ても紅葉に黄葉のオンパレードです。

 とくに西原村の芸術村・桑鶴地区や青少年の森キャンプ場がある大峯山が紅葉の見所です。

 東京では電気料金が大幅値上げの予定だそうで「湯たんぽ」が復活大人気。店頭にずらりと並んでいるそうですが、はて?九州電力も値上げするのでしょうか?

 一般的に原子力発電は故障が多く、安全な廃棄物処理をするには莫大な費用がかかり経費的にも問題がありすぎる未完成技術です。

 勢い二酸化炭素をたくさん排出する火力発電への依存が増えて、京都議定書の削減目標の国際的な約束からはどんどん離れるばかりです。

 風力や小水力発電など再生可能エネルギー開拓は、ドイツやデンマークなど環境先進国に比べるといまだに本格的な力を入れていないのが日本の実態です。

 この面でも自民党・公明党政権が続いていてはラチがあかないと、歯がゆい思いをしています。

 私は、ガソリン代を節約するために車を捨てて原付で走り回っていますが、途中バイクを押して歩いたり走ったりして体を温めたり、精一杯の厚着をしたり、寒さとの戦いのつらい日々です。

 たまに会議などで阿蘇市や菊池市にいく時には、温泉につかるようにしました。地獄温泉の雀の湯では、たまたま西原村の熟年女性と混浴でバッタリ会って話したりして、ホントに阿蘇の西原村に住んでいるってことは幸せだなあとつくづく思うのです。

 不思議なことに温泉から出たあとは体の芯から温まるので、バイクで寒風をついて走っても全然辛く感じず、むしろ心地よい冷たさです。

 湯たんぽの普及は、個人のレベルでの省エネ努力としてよい考えですから、私も買おうと思いますが、バイクのエンジン部分にパカッと当てて熱を吸収し、シートの下に入れた湯たんぽに熱を伝えるような、バイク用湯たんぽを開発できたら売れるでしょうね。

 寒さ対策さえしっかりできたら、車を捨てて燃費が格段に安いバイクに切り換える人が増えてくるのではないでしょうか?

 熱を放射する通常の湯たんぽと、熱を吸収する水冷湯たんぽです。

 エンジン空冷より水冷の方が少し重くはなりますが、冬の省エネにはなるのではないでしょうか?

 この構想を大津町のホンダあたりで研究してもらえたら、自動車産業をバイク優位に展開して不況を乗り切ることにプラスになりはしないでしょうか?

 湯たんぽを買ったら、温泉のお湯もいただいて帰るといいかも…

 バイクに乗る時には脚の部分に風が当たらないように魚市場の仲買人さんがしているような前垂れが、有効かもしれません。

 何もかもが値上げ値上げで、一般の国民は節約モードになっていますが、何ごともラセン階段状に発展していきます。

 ガソリン代が急上昇して後に下がってきてももはやガソリン消費は元には戻りません。燃費上昇の生活苦という試練を知恵と工夫で乗り切ることは、地球温暖化対策にもなりますから湯たんぽ大流行は歓迎したい現象ですね。

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2008/11/28

地上デジタルで語学の勉強。パソコンやケータイにワンセグ入れて  村のあちこち村おこし

 テレビの地上デジタル放送システムを導入できない場合には、ワンセグを契約する方がよいとのお勧めメールをいただき、ありがとうございました。

 西原村においては、まだワンセグ受像が可能になっていないかもしれませんが…どうでしょうか。

 テレビはスイッチをポンと押せばいいのですが、パソコンだったらカーソルやキーボードを操作しなければなりません。

 お年よりにはそんな操作は面倒かもしれませんから、超高齢社会の未来にはパソコンだってケータイだってスイッチオンの簡単操作でテレビ画面がつくようになって欲しいものですね。

 お年よりがテレビの水戸黄門さまを凝視されている光景をよく見ますが、パソコンが苦手な人は、ラジオ時代に戻って副音声付きの『水戸黄門』さまを、耳を傾けて喜んで聞いていただくことになるでしょうか…

 副音声だけでなく大活字本を揃えるなど、視覚・聴覚障害者へのボランティア活動は、そのまま高齢者向けにも転用し受け入れられる活動ではないでしょうか。

 テレビ受像器が身近なところから消えることで、ひょっとして想像力を養ったり読書の習慣ができたりと、お年よりといえど生き甲斐ある暮らしへのよい転機になるのであれば、消費者に無理に高いテレビ受像器の買い換えを迫る家電メーカーによる今回の地上デジタル戦略も、意外な社会教育的知的貢献をすることになりはしないでしょうか。

 パソコンもケータイも、家族の団らんやみんなで見ることはできない機材です。つまり、『個』で見るタイプですから、単純な図式の予測はできませんけれども…

 とにかくアルビン・トフラーが『未来の衝撃』で予言したように、家庭の中もひとりひとりバラバラにそれぞれの部屋で好きな番組を見ているような寂しい状態になるのでしょうね。

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2008/11/28

マダガスカルの農地を大宇が  村のあちこち村おこし

 韓国大宇が、マダガスカルの農地の半分を99年間借りたという話ですが、本当だとすれば植民地とどこが違うんでしょうか。

 イギリスが香港をそ借した時は、中国から統治権・裁判権を切り放した形でしたが、マダガスカルの農地の場合は統治権とか裁判権などは別に奪う訳ではなく、ただ農業のために借りるというだけなら問題はないのかもしれないなと思いました。

 マダガスカルの人々に農業のやり方を教えて、引き継ぐのであればよいことのようにも思えるのですが…

 地球温暖化時代に食糧の不足に立ち向かうためには、全地球的使命感に支えられてのことなのかもねえ。

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2008/11/27

唐の都・長安は、西域に近く、シルクロードの陸の港町か  隣国との友好と平和

 韓流ドラマ『朱蒙(チュモン)』の中のエピソードで繰り返し強調されていたことは、鉄剣の堅さの違いが勝敗に直接結びついてしまうことでした。

 互いに剣を激しく撃ち合わす時に、一方の剣が折れてしまっては、いくら剣技に優れていてもどうしようもないということです。つまり堅くて鋭い製鉄技術の優劣が民族の興亡を決定する重要な要素になるとして、開発競争が行われていたという訳です。

 その点では現代の戦争が兵器の開発競争であったことと何ら変わっていなかったということです。

 鑪(たたら)にフイゴ。より高温を獲得するには…

 おそらくは、鉄剣を作る時の鋳型をつくっているうちに、副産物として、より堅い土器ができたり、より美しい朝鮮の焼き物が誕生したりしたのでしょう。

 製鉄はヒッタイトが起源だと聞いていますが、はるばると高句麗・新羅・百済を経由して日本に到達しただろうことが、ドラマを見ていて想像できました。

 でもその前に、紀元前三世紀にそれまでの戦国の七雄から抜け出して、製鉄の高度な技術がシルクロードから流れて来るのを、砂漠の海に面した港とでも言える位置にある秦の国が、函谷関でせき止めて独り占めにしたことが、中国を統一できた本当の理由かもしれませんね。

 秦の始皇帝と鋭利な日本刀の関係。あるいは焼き物・茶器との関係が確かめられるかどうか、鉄に関するテーマで追い掛けてみるのも面白いかと思います。

 技術の伝搬は、王朝の滅亡の時に発生する難民によるというのが、私のもうひとつの仮説です。

 すなわち、秦が中国全土を統一する過程で斉の国や楚の国などを滅亡させましたし、秦が漢楚の戦いの末に漢にとってかわられる時に、朝鮮半島と日本に高度な製鉄技術が移転する、願ってもないチャンスがあったかもしれません。

 古代日本で秦氏という渡来人が、高度な土木技術を伝えたことはよく知られています。

 交易によってではなく、国家と民族の興亡によって初めて技術が周辺に伝わるということは、植物が花を咲かせ実を成らせ種をつけ、植物が死ねば土を肥やし、種を芽生えさせるという一連のサイクルを思わせます。

 つまり死は必ずしも忌むべきものではなくて、再生し発展・輪廻のサイクルの繰り返し訪れる通過点に過ぎないということでしょうか。

 朝鮮半島は、磁鉄鉱・赤鉄鉱・褐鉄鉱が昔から産出していたといいます。ここでできた鉄剣技術は、高句麗・百済・新羅の戦いの中で、百済の滅亡によって、生を終えた花の種が綿帽子のように風に吹かれて日本に移転しただろうことは容易に想像できることです。

 鉄剣に足が生えていてひとりで泳いだり歩いたりして日本に移動してきたとはとうてい考えにくく、民族ぐるみ難民となって集団移動してきたのかもしれません。

 西原村の河原から菊陽町の一部、それから益城町の杉堂など12の集落を一年一年十二星座みたいに循環する『お法師まつり』があるのですが、御輿を祭りの最後には手荒に投げつけたりする不思議な伝統があります。

 これは私が思うに、外来民族の勢いが衰退する時に、それまで押さえ付けられてきた怒りを爆発させる意味があるのかもしれません。

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2008/11/27

村民の声を力に、西原村の政治倫理条例を進化・発展させる契機に  村議会

 今、政治倫理条例に基づいて、30日以内の結論めざして慎重審査を6名の委員で断続的に行っているところです。

 今日議会事務局であらためて、条例制定した当時の平成8年(1996)8月議会の議事録を閲覧しました。

 すると意外にも大半の条例がそうであるような村長提案ではなく、なんと議員提案で作った数少ない条例のひとつだったことが分かりました。

 自分でも忘れていましたが、私も議案を共同提出した一員・賛成議員という立場であったとは…つまり坂本忠夫議員を提案者に私をはじめ4名が賛成議員として議案提案に名を連ねていました。

 その結果、全員賛成で採択されたのでした。

 1996年には村長は山本佐吉さんで、秋吉隆議長。宮田軍司さんは4期目でしたが最初の一年ぐらいですでに一身上の理由で辞職されていましたから、この条例制定の時には定数よりも1少ない13議席でした。

 平成8年(1996年)の9月村議選(私は残念ながら落選しました)を前にした節目にあたり、次の任期の議会からしっかり適用させようではないかと、この政治倫理条例を提案・可決させたのでした。

 まだ全国的にもようやく政治倫理条例制定の動きが広がりを見せ始めたかな、という走りの時期でしたから、当時は先進的なつもりでいましたが今の時点に立って見直すともうちょっと厳しくした方がよかったかなという点も感じられます。

 というのは、全国の政治倫理条例は時代を経るにしたがって徐々に進化発展を遂げているようなのです。

 二親等以内で同一生計、または直接利害関係にあるものは村の請け負いを辞退しなければならないという、適用対象をだいぶ緩和した規定になっていますから…まあ遠慮がちな規定になっています。

 二親等であっても同一生計でなければ、直接利害関係にあるかどうかを慎重に審査しなければなりません。

 審査結果がどうなるにしろ、条例を見直して疑問の余地がないようなもう少し厳密な規定に、検討しなおした方がよいかもしれません。

 なにはともあれ、この条例に定められた村民による審査請求の条項があったればこそ審査会が開かれて吟味を行うことができている訳ではあります。

 よく考えると、同じ5期目の日置篤徳議員はちょうど落選中でありましたから、この条例制定当時の議員で、現在も議員であるのは私だけだったことになります。

 村民世論の盛り上がりを背景に議員提案でできた、いわば住民自治の精華みたいなこの条例が、今また住民からの請求を受けて進化しようとしていることは、「Yes,we can.」「Change!」と叫んだオバマ候補が大統領に当選したような確信を与えてくれるかどうか?

 そのためには、村民に開かれた議論が必要です。

 ちなみに西原民報の発行に使用していた輪転機の中の配線を、なんべん修理してもかじって故障させていたネズミを、ネズミ取りを仕掛けてやっと捕えることができました。

 まだ一匹よりほかにネズミがいるかどうか、しばらく様子をみた上で輪転機の修理を呼びたいと思います。

 いつも西原民報で議会のことや村の話題などを知らせていたのに、田島は何をしているのだろうといぶかしんでおられた方もおありかと思いますが、このような次第です。

 もうしばらくお待ち下さい。

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2008/11/27

ラジオ映画というジャンルもありえるのではないでしょうか  環境・教育

 日曜日のラジオ『障害者の時間』で、映画に副音声をつけて視覚障害者が鑑賞できるようにするボランティア活動が話題になっていました。

 副音声ボランティアなんて初めて耳にしたのですが、ある映画のさわりの部分を聴いてみたところ、別に視覚障害者でなくても映画は映像なしで楽しめることが分かりました。

 つまり副音声がつけばドライバーも運転しながら、あるいは主婦(夫)も炊事をしながら、ラジオドラマみたいに想像しながら楽しむことができることになりそうです。

 テレビがなかった子ども時代に私は、全国の多くの子どもたち同様、ラジオから『笛吹童子』が流れて来るのを毎日楽しみに待っていたことを思い出しました。

 いろんな効果音やナレーションの声で空想をたくましくしていました。

 そう言えば山西小学校での紙芝居ボランティアの時、『孫悟空』の紙を途中までじらしておきながらエイッと気合いもろとも引き抜くと、子どもたちがドッと笑ったので何が受けたのか分からずびっくりしました。

 空想の中で期待していたイメージが、意外性で裏切られた時に笑いが弾けるのかもしれないなと思いました。

 ラジオも紙芝居も、テレビと違って子どもたちの空想を羽ばたかせる仕掛けなのかもしれず、またお年よりだって【水戸黄門】をテレビではなく副音声つきのラジオでお聞かせするサービスをやってみたら、想像力が刺激されて認知症にはなりにくくなりはすまいか…

 この仮説を証明できたら映画のラジオリメイク版づくりの太い流れができて面白いと思います。

 とくに、格差社会の進行で貧困家族が増え続けている中で、強引な地デジ化で高いテレビを買わされようとしていますが、ついにテレビを買わずにラジオで我慢しようという世帯も増えるだろうと私は予想します。

 映画館に通うこともなくテレビを見ることもなく、ただ部屋の中にはラジオだけという世帯はもうある程度の数増えているのではないでしょうか?

 昭和20年代・30年代のこうした環境は、団塊の世代が子ども時代に懐かしく経験したことです。

 ラジオ映画と名付けたいこの副音声付きの映画リメイクの流れは、将来当たるかもしれませんゾ。

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タグ: 聴覚 視力 ラジオ



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