한글문자 中文(簡体字)(繁体字) SPANISH 
                             

菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2008/11/21

政治倫理。年一回は指名願いに謄本の提出を求めるべし  村のあちこち村おこし

 議員など特別職を基準にして、二親等以内に村工事を請け負う人があってはならないということが、西原村の倫理条例に定めてあります。

 『西原村特別職職員の倫理に関する条例』です。

 私は平成18年度に一般質問で、ある建設会社のことを取り上げ、加藤村長(当時)に調査を要求し問題提起をしたのですが、あとひと押し足りませんでした。

 なぜかというに、当時私が用いた資料では代表取締役は二親等よりも遠く、役員の一人が二親等以内の一親等だったのです。

 しかし今回、あらためて住民の中から議会に提出された資料を見ると、なんと代表取締役は姉婿に切り替わっています。

 それだったら明らかな二親等であって条例違反は逃れようがなく、おそらくは今日の全員協議会で6人で構成する審査会を発足させることになるでしょう。

 役場に問い合わせると、指名願いでは代表取締役は依然として二親等よりも遠い人の名前になったままになっています。

 この事実関係を慎重に精査しなければならないのです。議員辞職勧告を出すかどうかはまだまだ先のことで、まずは審査会を発足させて調査に入れるかどうかが今日の焦点です。

 聞けば役員変更は自主申告にしかなってなくて、役場側も知らなかったようです。申告を怠っていたということになります。

 指名願いを毎年する際に、定期的に法務局に登録している役員名簿の謄本コピーを提出する義務を負わせなければならなかったんだと思います。

 自主申告を待つのではなく常時把握の体制へ、役場側がシステム改善をするように要求をしなければなりません。

 また、有権者も今回のように、特別職と企業代表者との関係に二親等以内にひっかかることはないかと、折りにふれて監視することは大事なことだろうと思います。

0

2008/11/19

陸と海のシルクロードの終着地点、朝鮮南部。鉄と稲作が九州伝来したシナリオ推理  村のあちこち村おこし

 韓流ドラマ・『チュモン』の最初の方をみました。中国漢代です。

 そこで感じたのは、鉄剣の鋼の堅さがいかに戦の勝敗に直結しているかということでした。

 漢の鋼鉄の方が堅いため、剣を激しく撃ち合わせている時に、プヨ兵の剣がボキッと折れて一巻の終わりです。
 漢に押され続け、ついに遼東平原から追われてしまったプヨ王は、古朝鮮の旧版図回復に執念を燃やし、漢に対するゲリラ戦を展開した英雄の子(チュモン)を我が子として引き取り、愛情を注ぎつつ次々と試練を課していくのです。

 堅くて鋭い鋼鉄を作れるかどうかが、漢帝国に対しての独立か屈従かのカギだとして開発に努めるも、漢は開発それ自体を阻止しようとする攻めぎあいがあるという訳です。

 私は、半島をどんどん南下していけば鉄の鉱山が見つかるのにと思いました。とことん沈んで底を打つことによってこそ反転ジャンブができるのではという訳です。

 鑪(たたら)にフイゴ。より高温を獲得する…焼き入れと焼きなまし。鉄鉱。

 さて朝鮮半島最南端には、陸と並んで、知られざる海のシルクロードの終着点もあったのではないかと私は想像します。

 なぜなら全羅道に実は朝鮮シルクの出発点があったとは、最近仕入れた知識ですから。蚕とは、天から授かった虫と書きます。オカイコサマとも呼び、最大の敬意が払われてきた家畜昆虫です。

 なぜにはるかインドの王女が伽耶の国の首露王のもとに船に乗って嫁ぎにきたのか…

 それはシルク製造のノウハウを得たいと考えたインド王による、一種の政略結婚ではなかったか…

 陸を通って高価なシルクがやってきたのを見て、海路で朝鮮半島南部との交易をすれば、莫大な富を得ることができるのではないか…そのためにはコロンブスの卵の発想で海の航路で近道をして縁戚になってしまうのが一番ということになったのではないでしょうか。

 余談ですがおそらくは、必死で鉄剣開発する際に鋳型を土を焼いてつくる作業をするうちに、より堅くて美しい色合いの土器ができたり…ついに朝鮮の優れた焼き物誕生の『その時動いた歴史』があったのではないでしょうか。

 朝鮮シルクの代わりに全羅道には何が入ってきていたのか、交易面で推理してみたいと思います。

 最初のうちは強くて折れない鋼鉄の製法は秦でストップされて届かなかったのではないでしょうか。その代わりに稲が、ついでその耕作法が届いたのかも…

 秦の滅亡時に、どこへ亡命しようかと検討した時、陸のシルクロードの最終地にたどり着けばなんとかなりはすまいかと、秦の遺民たちは考えたのではあるまいか…

 手引きをしたのは、恐らく山東省あたりから国を追われた斉の遺民。百済との航路が存在していたに違いありません。百済と斉。文字を解けば、海を越えた向こうのもうひとつの斉の国?

 済州島も斉の国との海のつながりがあったでありましょう。

 百済と金官伽耶の技術は技術を呼び、その技術はそっくり日本が受け継いだということで、技術立国・日本の歴史は、朝鮮・中国・インドも視野においてこそよく理解できるということでしょう。

0

2008/11/18

折り蟹・オリスカニとはどんなもの?  村のあちこち村おこし

 『オリスカニ』という名前はなかなか覚えにくいのですが、平和運動を志そうという人ならなんとしても覚えなければならない名前となりました。

 11月9日の「NHKスペシャル〜こうして核兵器は持ち込まれた」で、最近自沈されて最大の漁礁になった空母・オリスカニが、核兵器を積み込んだまま日本に来ていたことを紹介してくれました。

 アメリカの公文書館から得た資料を駆使して核兵器を載せていたことを特集していました。

 『折り紙オリスカニ』は、折り紙で蟹さんを400個折るところを想像して下さい。

 広島・長崎の被爆地には佐々木サダコさん以来、折り鶴がたくさん捧げられています。

 でも、核爆弾を400個も積み込んでこの日本の横須賀を母港にしてい続けたことを思えば、折り蟹・オリスカニ(蟹)を折って核廃絶を祈りたいと思います。

 オリスカニの忌まわしい空母の名前を二度と忘れず、核廃絶を実現しなければなりません。

0

2008/11/17

鞠智城から出土のケータイ仏像には孫氏の兵法の最上策『戦わずして勝つ』の思いが…  村のあちこち村おこし

 今回は、かつて朝鮮半島三国時代に一時は大きな勢力を持っていた百済が、熊本に大変縁があるということを書いてみます。

 九州とは、九つの州と書き、世界という意味かもしれません。まったくその通りで、五色人がやってきたという伝説があるぐらい、いわば民族の大移動の吹きだまりの位置にあるようです。インタナショナルなスケールの人材はこの熊本から、この西原村から出てくることを期待したいと思います。

…………………

 この現代に生きる私達が『ケータイ』と呼ぶ時は、携帯電話のことです。

 ところが、どうも8世紀頃の肥後人にとって『ケータイ』とは、携帯用仏像のことだったかもしれません。

 熊本県北の山鹿市と菊池市の境界あたりに、かつて鞠智(きくち)城があり、そこから最近発掘されたのが百済式の『ケータイ型仏像』でした。

 鞠智城は、福岡県の大野城、佐賀県基山町の基肄城に並んで、唐と新羅の連合軍からの防衛拠点になるように築城された…とされています。

 白村江(はくすきのえ)の戦いで日本水軍が、唐と新羅の連合軍による待ち伏せ攻撃で、百済再興の願いもむなしく全滅?させられたことは、相当ショックなことだったでしょう。

 以後、朝鮮半島との間の制海権を奪われてしまったのです。

 日本は列島に閉じこもって防衛をしっかりし、国家の制度を整備し強力にしようと考えたことでしょう。

 そこで、福岡県内に水城なども作ったりしたようでしたが、同時に太宰府に都護府に似た名前の都府楼を設けて唐の文化を一生懸命に学ぶという中華思想を満足させる迎合路線という、硬軟両用の二段構えにしたのではないかと、私は想像します。

 百済から九州への亡命者の中に、朝鮮半島において高句麗・新羅・唐との間で戦争と外交で非常にもまれてきた軍師みたいな人が、硬軟両用の構えを進言したのではないでしょうか。

 【孫氏の兵法明日に、最上の策は「戦わずして勝つ」ことだ書いてありますが、その神髄をしっかり理解していた人がいたに違いないと思います。

 太宰府から一定の距離に、隈府・別府・防府という、いずれも「府」の字がつく地名があるのは何か暗示しているようです。

 (別の府)とか(隅の府)だとか、(防衛の府)だとか、太宰府を中心においた名に見えます。

 さては太宰府に招いた唐の学者?あるいは進駐軍?を安心させるための欺まん的な意味がありはしないでしょうか。

 つまり、熊本の隈府・菊池市には、太宰府を守るための、唐からの出張兵が形ばかりいたかもしれない…そんな気がしてきました。

 では日本の九州地域は唐の植民地になっていたのか?いやいやそんな単純なものではなく、満ちれば欠けるのが世の習い。進駐軍に似ていても、それは周囲を囲まれた人質にいつでも逆転できるという訳です。

 将棋には振り飛車戦法というのがあり、居飛車側から攻めさせて、攻め過ぎを誘って伸びきったところを待って反撃を行うというのがあります。剣道で言えば後の先というのでしょうか。

 また囲碁にもサッカーにも、戦線を延ばしきらせておいて反撃をするという戦術戦法があります。

 別府・防府・隈府には、いつでも唐側を(人質)に逆転させることができる何らかの仕掛けが施されていたのではあるまいかとは、うがちすぎでしょうか。

 かなりしたたかな戦略が、鞠智城の池の中の【ケータイ】には潜んでいたのかもしれないと見れば、忍者漫画にみる巻物忍法帳に似ているような…

 755年の安禄山の乱すなわち、玄宗皇帝の時代に唐の勢力は周辺部からいっせいに減退したに違いないと思われます。

 でも唐の人々が九州に土地鑑があったとするならば、楊貴妃は殺されたのではなくて実は天草に逃れ住んだという伝説も、にわかに有り得る話に思えてきませんか。

1

2008/11/16

多民族の坩堝・融合の地としての九州  村のあちこち村おこし

 昨日は風邪のため、家で休みました。

 社会教育委員大会で福岡との間を往復して、人混みから風邪をもらってきたかもしれません。

 印刷輪転機の不調もまだ直らず、イライラしています。

 12月議会も接近中。一般質問の準備もしなければ…。

 福岡市に行ってみた感想ですが、率直に言って、行けば行くほど熊本はかなわないなと肌で感じさせられます。

 道州制になれば九州のほぼ真ん中に位置する熊本市が州都になるんだ…だからそのために、早く植木町や益城町や城南町を吸収合併して人口70万人の政令指定都市にならなくては…なんて言って、合併を推進しているみたいですが、福岡市は厚みが違います。

 たしかに明治・大正ぐらいまでは熊本が九州の中心地でしたが、帝国大学が福岡に奪われ、九州電力なども後に続きました。

 あれよあれよという間に福岡市が九州の中心地になりました。何より背後に北九州や筑後など工業的に厚みのある平野部を控えており、かつ東アジアに開けた(地の利)もありますから、九州の雄になるのは必然だったかもしれません。

 九州新幹線が全線開通する年には、同時に韓国新幹線(KTX)もソウルから釜山まで開通するそうです。高速船・ビートルで福岡市へそして熊本・鹿児島まで新幹線で往復するような流れも増えると、今以上に九州に韓国人が溢れてくる可能性がありますが、やはり福岡の十字路的役割が強化されることでしょう。

 これから紆余曲折を経ながら東アジア統合の方向に向かう…そんな未来を展望した時に、福岡の交通の要衝としての役割はますます強まっていくのではないでしょうか。

 政令指定都市ということが、州都になる条件だとしたら、無理をしてようやくなる熊本市より、ずいぶん早くから政令指定都市としての経験と人材を蓄積してきた福岡市に分があるのは間違いありません。

 熊本市の周辺地域は、州都論などに惑わされて吸収合併で自分自身をリストラする必要はまったくありません。

…………………

 さて話は急に飛びますが、ビデオ店から韓国歴史ドラマの『チュモン』を借りて、毎日少しずつ見ています。

 約二千年前の古朝鮮の情勢がだんだんに見えてきましたが、超大国・中国の辺境国は、常に中国との外交・交易・武力衝突を考えていなければならない宿命にあったんですね。

 諸民族は、周辺諸国からの圧迫により、玉突きみたいに移動を余儀なくされていたようすが見えて、なおさら福岡という位置が民族の大移動の終着駅に見えてきました。

 朝鮮半島を経由し、また中国から直接に、温暖化の時代には東南アジアやインドから、さらには地球寒冷化の時代には北方シベリアからと、四方八方から次々に民族大移動が押し寄せる終着地点です。

0

2008/11/14

中国には強い親しみを感じてきた熊本県人  隣国との友好と平和

 熊本県人は、中国に対して、強い親しみを感じてきました。

 なぜなら、郷土の宮崎滔天が孫文らを支援して中国革命のために活躍したことを、大変に誇りに思っていることもありますが、中国に発した儒教を朝鮮経由で深め取り入れた時習館の存在、儒教の中に民主主義的な要素を発見して、明治維新を民主主義革命に導こうとした横井小楠以来の実学党の経譜と伝統など、日中・日韓の友好と連帯を感じさせる歴史の宝庫だからです。

 中国人の留学生や農業実習などで働きに来ている人と親しくなって、ぜひ宮崎滔天の生家がある荒尾市の記念館や、熊本市の横井小楠記念館から益城町を通過して、西原村の竹崎茶堂の家塾跡まで案内し、儒教改革というものが日本の明治民主化を導こうとした裏の歴史があるんだということを、説明したいと思います。

 つまり、日中友好の源泉は幕末の横井小楠に端を発し、宮崎滔天につながっていることを説明できるようにシステム化ができれば、中国富裕層には大きな刺激になるのではないかと思いますし、西原村の地域おこしにもなるという寸法です。

 そのためには、積極的に中国人の留学生とはがき道を用いて個人から個人へと連絡をつけて、横井小楠記念館に案内することを、まずは私からやってノウハウを蓄積してみたいと思います。

 そうするうちに道ができてくるのではないかと思います。

 熊本観光文化検定が行われていますが、中国人観光客に対してこのような日中関係史、あるいは日韓関係史の観点からの試験問題はまだできていないと思います。これは直接に中国・韓国からの訪問客に熊本県人がこれまでいかに両国に親しみを感じてきたのかという解説ができるようになるということですから、鞠智城の一角から百済の携帯型の観音像が出てきたというニュースでタイミングがよいと思いますので、蒲島郁夫県知事に提言してみたいと思います。

0
タグ: 梅屋 孫中山 小楠

2008/11/14

高齢者と呼ばれることを嫌う団塊の世代  環境・教育

 昨日から福岡市に来ています。

 社会教育委員の九州ブロック研修大会が行われており、西原村の西山さんはじめ教育委員四名で参加しています。そのうち渡邉公男さんは熊本県の社会教育委員長としての参加です。

 なにしろ来年は熊本市で社会教育委員の全国大会が開催されますので、渡邉さんはその前段として、しっかりと務めなくてはなりません。

 昨日はそれぞれの分科会に分かれて参加して、今日は午前から全体会です。

 私が参加した分科会は、高齢者と団塊の世代をいかに社会教育の活動に参加してもらえるのかというテーマで行われました。

 報告と議論を聞いていて、高齢者と呼ばれるのを団塊の世代は好まないだろうし、感覚的にいつまでも若いつもりでいる団塊の世代は、これまでとはまったく違う接近をしていかないといけないのではないかという、いわば社会教育という点では未知の領域なのではないかと感じました。

 助言者が後でまとめられましたが、団塊の世代とは、ジーパンやミニスカートを穿いて闊歩した世代であって、戦後において常に時代の最先端を切り開いてきたのですね。

 きっと今までの老人というイメージを打ち破ってくれるだけのパワーを秘めているだろうし、そのエネルギーを社会教育の分野はしっかりと受け止めて熟成し、生きがいを生み出していくように対応していかないといけないのではないでしょうか。

 私は、団塊の世代は薀蓄の世代であって、求道の人生最後の仕上げをめざすのではないかと思います。

 しかしながら、ともすればこれまでサラリーマン・ホワイトカラーであった団塊の世代は、地域に溶け込むことができず、友達づくりも下手で家の中にじっと閉じこもってしまうという傾向もあるといいます。

 私はそんな時にこそ、はがき道の出番ではなかろうかと思うのです。つまりひとりひとりを点として連絡をつけていくということです。面としていろいろな催し物のお知らせをしていくのもいいのですが、孤独にひたっている人には届かないと思うのです。
0

2008/11/13

自然エネルギーの村づくり  村のあちこち村おこし

 西原村が、小さくても活力ある村にしていくためには、【自然エネルギーと環境の村】というテーマを前面に掲げて本気で取り組むことだろうと思います。

 そうすれば、具体的には何を取り組めばいいのかが見えてくるでしょうし、国や県に対して何らかの特区申請もする際にもやりやすくなるのではないでしょうか。

 今は、地球環境をいかに守るかが緊急テーマになってきていますが、実情はなかなか先に進んでいません。

 日本国内に、環境先進国ドイツみたいなお手本にするモデルが存在することが必要なのです。もちろん岩手県の山間地にはたくさんの人々が訪問している環境先進地としては存在しています。

 しかし、九州にはないじゃないですか。九州には韓国人観光客がたくさん訪れるという地の利があるではありませんか。

 西原村の10基の風力発電機を観光にいかすためには、村行政としてほかの面でもぎっしりとした環境対策を行っているという内容の豊富さが必要なのです。

 もう七回ほども西原村に韓国から農業の視察に来ていただきましたが、環境問題をテーマにした視察研修を受け入れることができるためには、風力発電だけではあちこちに見掛けるようになった現在、あまりインパクトがありません。

 しかし、例えば、畜産の臭気対策について、こんな対策を施しているとして 堆肥センターに案内した後に高遊あたりの豚舎に案内するというコースもいいかもしれませんし、開発規制条例を制定した暁には桑鶴あたりの湧水地の上に宅地開発が行われている状況を説明しながら【お池さん】にお連れしても、コースとして成り立つだろうと思います。

 木質ペレットを使ったストーブというものがあります。植物起源の燃料は、二酸化炭素の排出には算定されないものですから、これに大いに取り組んで、木質ペレット生産ができれば、森林の手入れにも役に立って、ひいてはそれが林業で食べていける産業の構築になります。

 それがまた、地下水の涵養対策につながります。

 木質ペレットは、役場や学校などの公共施設や、西原村のイメージアッブになりますからと、飲食店や誘致企業などの民間企業にも暖房ストーブへの採用をお願いしていけば、総合的なエネルギーの循環の村だというアピールができるのではないでしょうか。

 韓国からまで環境問題研修に続々とやってきて嬉しい悲鳴をあげるようになる日を夢にみたいと思います。

 韓国でみた住宅ビル群の屋上には、みなパンダの耳のような突起が付いていました。エレベーターを巻き上げるための機械が設置されているということですが、翻って福岡市内でも熊本市内でも見わたせば、まったくビルの外観が違うことに気付かされます。ビルの屋上がすっきりしているのです。衛星放送のパラボラと太陽熱温水器がついているぐらいで、ほとんど何もない単純な外観です。

 これはおそらく、九州という台風の常習地帯であることからで、できるだけ風圧を受けないようにするということでしょうか?

 であるならば、ビルの1つひとつに風力発電機が回っていてもよさそうなものですが、これまた風圧に吹き飛ばされない強度にまだ技術的な自信がないのかもしれません。

0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ