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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2009/1/31

ツンガ塚での冬あかり、一支国で出土した弥生笛の音色  地上の星座

 冬のソナタならぬ西原村の冬あかりのイベントの1日目で、日がくれてから萌の里の前の広場に行ってみました。

 ビエントの演奏と夢運太鼓はすばらしかったですね。

 とくにビエントの吉川万里さんは、壱岐で発見されたとかいう弥生笛の複製を特注し、それを見事な音色で吹いてくださったのには感心しました。弥生時代の音色はこんなだったのか…一支国という題の音楽もとてもよかったですね。

 県立劇場や市民会館などでビエントの公演を聴きにいく場合には4000円ぐらい入場料が要りますが、『冬あかり』で野外コンサートを聴くのは寒いけれども無料ですから、お勧めです。西原村民はなんと幸せなんでしょうか。寒いと言っても屋外用のストーブがたかれていますから、案外それほどでもありませんでした。

 それから、ツンガ塚の全体を覆った灯火は、まるでそこに眠る古代の騎馬民族の王を弔うかのようです。不思議なことに頂上に馬頭観音が鎮座しています。

 これこそ牛族と馬族とがここ西原村の俵山の麓に来ているということを暗示しているように私には思えてならないのですが…

 『冬あかり』会場となっているツンガ塚の頂上にはもうひとつ、北斗七星とオリオンをかたどった明かりがともっていますが、どちらも海洋民族が方角を知るために重宝していた星座です。真東からのぼり真西に沈むオリオン座の星型は、見ているだけで安らぎを覚えますね。南インドなど赤道直下で方角を知るためには、北極星は地平線すれすれであまり役に立たないかもしれませんので、東西を知るためのオリオンは海洋民族にとっては重宝していたのではないかと思うのです。

 高句麗起源と南インド起源の民族が南部九州で融合してはいないかと推理してみたいと思っています。というのが、馬頭観音も『お池さん』の近くにある弁財天もインドの神様です。

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2009/1/31

俳句を連鎖法で覚えて…想起する練習  村のあちこち村おこし

 俳句鑑賞を実践し、覚える努力をしているうちに、いつのまにか記憶術に役立つイメージを描く能力を鍛えてくれのではと思います。

 そこで実験です。氷柱→羽根つき→教会→竈猫

 みちのくの
  星入り氷柱(ツララ)
  われに呉れよ  鷹羽狩行

 これは、取ってくれろと泣く子かなをすぐ連想してしまいますから、本歌取りの俳句版かもしれません。

 背中にだだっ子が夜空に手を伸ばしている時の温もりが伝わってきます。

 この句で陸奥の氷柱を要求しているのは、背中の子どもが青年になった時に作ったものと考えましょうか…今度は一茶ではなくて『馬のしとする枕元』の芭蕉の俳句をなぜか思い出しています。

 今年は、正月に武内一忠さんの案内で南阿蘇村の洞窟に行き、氷柱が下がっているところを見ることができました。

 落下してきたら頭に突き刺さるのではないかと心配でした。

 その洞窟は真北を向いているので、夜になれば北極星やカシオペアが見えることでしょう。

 氷柱もかすかに星の光を受けてキラキラする時、鷹も羽を休めているのかもしれません。

 氷柱の鋭い落下を羽子板で打ち返しましょうかね。

…………………

 羽子板の
  重きが嬉し
    突かで立つ
長谷川かな女

 羽子板は娘に買ってやったことはありません。

 【嬉し】だとか【楽し】だとか【淋し】【悲し】など、直接に感情表現を入れるのは俳句はあまり好まないのですが、敢えて【嬉し】の一言を入れたことによって「非日常感」が入り、きっと晴れ着のギュッとした締め付け感や晴れやかな気分も含めているような気がしてくるのです。

 晴れ着でないと羽子板は似合わないと思ったカナ?

…………………

 羽子板の羽根は教会の屋根に飛んでいき、枯れ木に引っ掛かりました。

 教会と
  枯木ペン画の
    ごときかな
 森田峠

 ペン画は風景を模写したものですが、画家が屋外で画用紙に向かってしきりに鉛筆を動かしたり、風景の中にある教会の縦と横の線のバランスを目測している場面が浮かんできます。

 【教会】は、縦横の線が直線であって投影法がいかしやすい立体的建物です。

 【枯れ木】の枝は複雑で教会とはまったく対照的です。【と】でつないだところに両者を六四ぐらいの黄金分割でバランスよく…などという構図の苦心まで浮かびます。

 【ごときかな】とか【のような】などの言葉も俳句は嫌うのですが、【ペン画】と組み合わせることによって、画用紙を前にして風景と視線を移動させている表情まで見えてきました。

 もちろん遠景に森と田んぼと峠を小さく描くのがペン画を引き立てるコツですね。

…………………

 教会と言えば銀の燭台を盗んだジャンバルジャンを思い出します。教会は日曜ではないためひっそりしていたので、そっと扉を開けて中に入るとそこに竈猫が見ていました。

 何もかも
  知つてをるなり
    竈猫
富安風生

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2009/1/30

狗奴国の狗は、高句麗の句にけものヘン  隣国との友好と平和

 古代朝鮮式の山城・鞠智(きくち)城が築かれたのは、菊池川をさかのぼった中流です。現在の菊池市のすぐ北隣にあります。革へんになっているところに、私は中国東北部にいた靺鞨(まつかつ)を連想するのですが…騎馬民族ですね。その菊池川の下流にあり、江田川との分岐点に位置しているのが江田船山古墳でありトンカラリンであり、ライオンが人間を食べているという、おそらく全国にほかに例があるだろうかという奇妙な狛犬がいる鶯原神社です。

 ほかにプヨ族のトーテムとされている鹿という字がついた地名が付近にはあちこちあります。山鹿・鹿本・菊鹿・鹿北・鹿央…

 私は前から熊本の菊池あたりに、狗奴国があり、福岡県の八女あたりに邪馬台国があったんではないかと漠然と思ってきました。

 そして邪馬台国は中国から人間と見られている『倭』であり、狗奴国は獣へんですから中国とは敵対している国だと思っていました。すなわち、漢帝国と戦っていた高句麗勢だとすればぴったりではないかと…

 しかし、今日初めて気づきました。なぜ今まで気づかなかったのかが不思議でした。犬という意味になる『狗』の字からけものヘンをはずすと何と高句麗の句の字になるではありませんか。

 去年、中国から日本に来ている人に高句麗のことを話題にしたら、現代の中国の教科書では高麗と書いていて高句麗みたいに句の字はつけないそうです。インターネットで調べても当時の高句麗人自身も高麗と称していたというではありませんか

 なんで日本では句の字をくっつけて呼ぶようになったんだろうと疑問が生じていたのです。狗の字を中国語で読めば(こう)ですから、ひょっとして狗とは高麗を中国が侮蔑して呼んでいたことがあったのではないかという気がしてきました。高句麗と日本で表記するのは、高の字の発音記号としての句(こう)がくっついていたのを古代の日本人が見たことがあるのではないかと…

 狗奴国の奴は『那奴国』とあわせ考える時、所有格の『の』という意味だったかもしれないという気がするので、『狗の国』すなわち『高麗の国』と解釈すれば、まさしくぴったりではないかと気づいたのです。

 狗の字のまん中に『白』を入れたら狛犬(こまいぬ)になりはしないでしょうか。扶余族はウィキペディアによると、貊族と言われていたようです。この字は狛の字に似ていますが、旁が百ですから百獣の王ライオンを意味していないでしょうか。まさしくエジプトを意識してつけた名前なのかどうか。けものヘンよりももっと獰猛そうなへんがついています。

 神社への入り口には必ず狛犬が置かれていますが、これはエジプト起源のスフィンクスではないか。出エジプトの経験があるんだという記憶のためのシンボルではないかと思うのですが、(こま)とは高麗という意味でありますから、高麗門が日本の神社には必ずあるということになります。これすなわち日本の神社は高麗がつれてきたということを暗示していないでしょうか。

 現代の韓国では犬は食用になりますが、高句麗で犬はどういう扱いを受けていたのでしょうか。
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タグ: 高麗 菊池 騎馬民族

2009/1/30

『蜘蛛の糸世界大恐慌』と命名したい。中谷巌さんの懺悔を聴いて  村議会

 昨夜、中谷巌さんのお顔を拝見しました。新自由主義的な改革を進めてきたことを懺悔されたことで有名です。

 見覚えのある人でしたが、中谷巌さんの顔と名前が初めて一致しました。
 中谷巌氏への特集インタビュー番組です。

 これだけ労働の規制緩和を押し進めた結果、内部留保は莫大に溜め込んでいるにもかかわらず我先にと解雇を進めていくために、一気に景気の底が抜けて、世界大恐慌の奈落に転落していきつつある現実を前にしてなお、竹中平蔵氏は平気の平蔵でおられるようです。

 海外投資家の顔色を見ながら、短期的利益のみを追求していくために配当は増やしつつ派遣労働者は容赦なく切り捨てるというようなやり方…人々を幸せにしないようなものは経済改革ではないとして、これまでの自分の主張は間違いだったときっぱりと過去を否定された中谷巌氏は立派です。

 今の世界恐慌は、芥川龍之介が『蜘蛛の糸』で描いているように、お釈迦様が蓮の間から地獄に垂らしてくださった一本の細い糸をおろしてもらったのに、カンダダが地獄から極楽に自分だけあがろうとして、後から上ってくる人びとを切り捨てようとした途端に自分もまたまっさかさまに地獄に転落してしまうという場面を思い出しました。

 今にして芥川龍之介が言いたかったことはこのことだったのかと気がつきました。
 そこで私は芥川の予見に敬意を表して【蜘蛛の糸世界恐慌】と命名することを提案したいと思います。

 労働者の大量首切りがあって公園で震えているとか、将来を悲観して自殺したり犯罪多発のニュースが聞こえてくるのは、もっぱら日本やアメリカからばかりではありませんか。ヨーロッパからはほとんど聞こえてこないことに気づきませんか…

 簡単には首が切れない労働者の命と暮らしを守る法体系と、社会的なセイフティネットが張り巡らされているのです。

 自由放任を最大限に広げたために、日本やアメリカの資本主義は人々を幸せにしない制度になってしまっている…やはり間違いが『なかった(中谷)』ことにはできないと懺悔をしておられる中谷巌さんでした。

 氏が経営者たちを集めて開いているセミナーで、そんなことを報告すると、資本主義を否定するのは行きすぎだとかなんとか反論が出ていました。わかっていないようです。

 極限まで規制緩和を進めたことがいけなかったのであって、何も資本主義自体を否定されているのではないでしょうが…

 ドイツの自動車産業が大量解雇に踏み切っているのかどうか?

 西原村のある経営者が言っていました。

 ものづくり国家のドイツの企業はドイツ国民に誇りを持っているようで大したものだと…いくら労働者の賃金を安くすることができるからと言って、自国の労働者の数を減らして(見捨てて)中国に工場移転するようなことはやっていないと…

 日本の企業のようにただ儲かりさえすればそれでよいとする考えではないようだと…

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2009/1/29

説得力ある八木荘司倍年暦説  隣国との友好と平和

 八木倍年説を唱える八木荘司さんの歴史小説を大津図書館から借りて読んでいますが、とても目に浮かぶように読ませてくれます。戦国や幕末の歴史小説はたくさんあるのに、不思議と飛鳥・奈良・平安の歴史小説が少ない中に見つけたのが八木荘司さんでしたから、名前はしっかりと覚えるようにしたいと思います。山羊さんがやってきて障子を食べてしまっても気づかないぐらい夢中になって読める本です。三匹の山羊のガラガラドンみたいのが山田牧場にいて道の掃除をしているのを見ながら読みましょうか。

 検索してみると、八木荘司さんはどうも右寄りの人みたいですが、神武天皇の船着場が熊本にあり、大津町に岩戸温泉もあるというようなことや、どうも高句麗勢が侵入してきたような気がする私としては、神武天皇の即位が181年だというのが高句麗建国との前後関係からしても説得力ありと思えてきました。

 右だ左だということにこだわるより、あっさり面白く古代史の人名やできごとを頭の中に入れることが私にとっての急務だと思いますし…

 さて、スリランカにも倍年法の年齢の数え方があるそうですが、日本語の起源は南インドではないかとする大野晋氏の説もあり、日本神話の天皇の長寿の謎は、南インドの数え方が採用されているからではないかと、思い当たることがあります。

 朝鮮半島南部に古代に存在していた伽耶韓国の首露王に、はるばるとインドのアユダ国の女王が嫁入りに来たという話が伝わっていますが、これはインドとの航路が存在していたということであって、九州にもインドからやってきていた可能性もあるということになります。大野晋氏が日本語との共通性があるというのはタミル語であって、タミルとはドラビダがなまった発音だというのです。ドラビダとはアーリア人の侵入以前に栄えていた古代インドの民族らしく、南インドからスリランカにかけて分布しているようです。ドラビダも征服されたあとは周辺にボートピープルとして四散したでしょうから、九州あたりに黒潮に乗ってやってきたとしてもちっともおかしくはないと思います。

 グーグルアースでインドを検索し経度緯度の線を出してみると、スリランカの南に赤道は通っており、北回帰線はインドの中央を通っています。

 狗奴国(注意:倭国がニンベンであるのに対して獣へんが使われていますから漢帝国との関係が敵対的ではないかと匂います)が邪馬台国よりも南にあって、インドから渡来した人々と高句麗からの人々とが、混血を進めていったと仮定したら、日本神話に登場する古代の王の寿命がなぜ長いのかの説明がつくような気がするのですが…熊襲だとか和歌山県の熊野だとかはるか南方から黒潮が人々を連れてきていたとしても何の不思議もありませんから…

 倍年法とは、赤道直下の年齢の数え方では

 インドなど赤道直下では、一年に二回夏がきます。すなわち春分と秋分の日に太陽は真上から地上を照らすのですから一年を二年と数えるのはわからないではありません。
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2009/1/29

農耕民族と遊牧民族とが交差した日本列島の歴史だったのでは  村のあちこち村おこし

 錯綜している日本史を覚えるのは、まさにさまざまな記憶術の実験場と言っても過言ではないようです。

 【使えない記憶術を使えるようにする 絶技】というこのブログで、記憶術のコツとして紹介されていてなるほど!と参考になったことがありました。(色々な問いを自分に発し整理し理解していく)ことだそうです。

 日本史には、江上波夫氏の騎馬民族説でさえアカデミーではまだ確定していないぐらいですから、発展途上の学問分野として自らいろんな問いを発して答えに接近していく楽しさはありますね。

 また卑弥呼の邪馬台国は九州なのか奈良県か?その南に位置しているという狗那国とは熊本(球磨)なのか熊野なのか?

 私は九州から近畿へと移動していったので(どちらとも言える)という説を唱えたいと思います。火の国・熊本県の球磨郡と木の国・和歌山の熊野に何らかの共通点がないか興味が湧いて来ました。

 朝鮮・中国史や歴史小説、【朱蒙】【テ・ジョヨン】【太王四神記】の韓国歴史ドラマもじっくりと楽しみながら、騎馬民族渡来説の後押しと邪馬台国の謎に取り組んでみたいと思います。

 これは多数の古墳や石室壁画を残している古代の熊本県人が、どこから来たのかという問いにもなりますから、熊本県や阿蘇郡及び西原村の地域おこしに直結する話でもあります。

 私の直感的な推理ですが、倭国大乱や壬申の乱、南北朝から戦国時代にかけての争乱には、中国系と扶余系との確執が見え隠れしていると感じます…

 「万里の長城」を境にして、南のシルクロード派が吉野が里のように有明海から北部九州に定着し邪馬台国を建国し、「万里の長城」より北の「草原の道」を通ってきた高句麗を代表とする草原派は、日本列島に後から入ってきたので狗那国から阿蘇など比較的冷涼な地域に住み着いたというストーリーが成り立たないかと思うのです。

 高千穂の峰に天孫降臨したとか神話には言いますが、鹿や猪なら朱蒙のように弓でもって取れるかもしれませんが、農耕民族には何の興味も持たないだろうと思える地方に降臨しているのですから。

 遊牧民族は、万里の長城の北側に広がる草原に似たところでないと生きる糧である牛や馬を維持することができないでしょう。

 なぜ阿蘇では山焼きをすることによって草原景観を維持しようと努力を続けてきたのでしょうか…まさしく高句麗勢がやりたいこと、やらねば生きてはいけないことではないでしょうか。

 神武天皇の東征伝説は、近畿に攻めこんだけれど、南の熊野から迂回したということですが、北の倭国に対して南の熊(狗那)国という図式は九州も近畿も維持されたのではないでしょうか。

 中国における南北の関係が日本列島に来て、南北が入れ替わったという説です。

 「壬申の乱」においても、「南北朝」においても熊野に避難するし、義経も熊野への逃避行をしました。

 農耕民族と狩猟牧畜民族とは、生き方・考え方が違いすぎて、最初は列島の中で棲み分けていたけれど、その後覇権争いと融合への模索の歴史に入っていったという構図ではないでしょうか。

 つまり「倭国大乱」も「壬申の乱」も南北朝も、あるいは大正時代から始まる民政党・政友会の保守二派に別れての壮絶な争いさえも、ひょっとして根っこのところでつながっているのではないでしょうか。

 現在の日本人の顔を固定観念を捨ててよく見ると、まったく融合しきれていない多民族国家だということが感じられます。

 やはり肌あいの違いで結婚も【類は類をもって集まる】法則があるため、明治以降も通婚はそれほど進んでいないような気がするのです。

 それが政治的なバトルにもなってこないのかなと思えるのです。

 室町時代の、北の【持明院統】と南の【大覚寺統】の争いがあり、一体どっちがどっちなんだと頭の中がモヤモヤしてしまう部分も、謎解きの要領で面白く勉強がはかどるかもしれません。

 【持】明院【統】と【大】覚寺統のこのふたつは、どういう訳か【持統】天皇と【大】海部皇子のペアを連想させます。

 持統天皇はもともと天智天皇の娘であり、天武天皇の妻となりますが、後また即位しているため二派の狭間で揺れ動いている非常に複雑な人物です。

 ですから最後は天智天皇がたになったと見なせば、何百年の後に北朝のことを持明院統と持統天皇をすぐ連想させる言葉で表現するのかもしれません。

 南北朝時代も壬申の乱の延長戦ではないのか、そして壬申の乱は倭国と日本の戦いの延長戦ではないのか?

 農耕民族と狩猟牧畜民族との確執の延長戦ではないのかと…

 韓国でも旧新羅の東側と旧百済の西側とは、互いに激しい選挙戦を展開するらしいですから、これも古代からの生活感覚の違いが反映している疑いがあります。

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2009/1/29

漢の四郡の位置はこう覚える  隣国との友好と平和

 『朱蒙』時代に、漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして以降、朝鮮半島には漢四郡(かんのしぐん)と称して楽浪郡のほか臨屯・真番・玄菟の郡が置かれて、中国文明が移植されていたようなのですが、高校の時に世界史で習ったので楽浪郡のだいたいの位置はピョンヤンのあたりだと覚えていました。

 玄菟(ひょんと)城(そん)は、『朱蒙』にしきりに出て耳にタコができるほどですが、なんとなく遼東に位置しているような気がしていました。しかし、このサイトを見ると朝鮮半島をウサギに見立てた時に首根っこをつかむあたりに位置しているようです。日本の出雲地方に因幡の白兎の伝説があるようですから、その対面は玄菟(くろうさぎ)と覚えるのは簡単なようです。

 臨屯は、臨時駐屯地という漢字がすぐ浮かびますから、だいぶ漢帝国の支配力は弱いという印象がありますから、半島のなかほど。真番は真の蝶番と連想すれば、現在でも38度線で分かれてふたつの国の境目のあたりと覚えることが可能です。

 高句麗のあったあたりを跳び越して、ピョンヤンの楽浪郡よりも南にまで漢の勢力が
及んでいたというこの地図を見て、意外でした。おそらく中国の漢帝国は緯度的に農業に適さない北方にはあまり興味がなかったのではないかと想像できました。そしておそらくは黄海を山東半島から直接押しわたって攻めてきたのではないかと。すると、そのさらに東にある倭国にも来たのではないかとはすぐに想像することができるではありませんか。『倭国』の倭にはニンベンが使われています。ひょっとして中国人の勢力がかかわって建国しているということはないでしょうか?

 
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2009/1/29

韓国ドラマは歴史の勉強になります。楽浪郡  隣国との友好と平和

 私は韓国ドラマの『朱蒙』を半分見ただけですが、いろいろと日本と東アジアの古代史についてのインスピレーションが湧いてきて、日本史の謎にも自問自答しながら楽しく挑戦できて、日本史の勉強にも中国・韓国の歴史の勉強にもなりますね。

 ヨンさまがパチンコ『冬ソナ』の宣伝に顔を出したばっかりに、すっかり疎遠になってしまいましたが、『太王四神記』はいつかDVDを借りてきてはまって見なければならないなと思いました。

 インターネットにはヨンさまファンたちがたくさんの古代史に関した話題を提供してくださっていますので、歴史が好きな私も、次々にブログを見つけてはコメントを書いたりしています。書けば書くほど印象深く記憶に残っていきますね。

 ホドン王子とナクラン姫の悲劇は、シェークスピアのロミオとジュリエットみたいですね。初めて知りましたが、韓国の人には『かぐや姫』や『桃太郎』みたいな誰でも知っている昔話だということですから、やはり隣国の理解のためには教えていただいてよかったと思います。
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