한글문자 中文(簡体字)(繁体字) SPANISH 
                             

菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2009/2/5

魏志倭人伝。中国では三国志の時代、崑崙船が南インドから西原村にも来ていたのでは…  村のあちこち村おこし

 【邪馬台国】の女王・卑弥呼がいたのは、中国の魏・呉・蜀の三国志の英雄激突の時代です。霧がかかったようにイメージが湧きにくかった邪馬台国や狗奴国でしたが、これから三国志の世界にじっくり親しめば倭国の姿も自然と見えてくるのではないでしょうか。

 今まで私は、倭国と、三国志演義の世界とはまったく別のアチラの国の話だと思っていました。しかし、伽耶韓国の首露王のもとに南インドのアユダ国から船に乗って王女が輿入れをした(許氏)という記事を見て初めて、九州と中国だけでなくインドまでもが実は一衣帯水だったんだという認識が芽生え始めました。

 シルクを中国または韓国から仕入れてローマに売れば莫大な富が得られたでありましょう。

 はるばる南インドから伽耶韓国に王女が輿入れしたのは、それ以前に十分に交流・交易が存在していたということであり、ひょっとして富の源泉である養蚕のノウハウを手に入れたかった政略結婚だったのではないかとも思うのですが…

 桑の葉っぱの形をしている九州ですが、半島南部の狗邪韓国を経由して高句麗勢が狗奴国に集団移住したとすれば、魏の国と友好関係を結ぶ倭国を迂回した熊本県あたりがあやしいことになります。

 西原村に桑鶴という、芸術家が不思議と集まる地域があります。南米ふうのオリジナルのフォルクローレをオカリナとシンセサイザーで癒し系の音楽活動を展開し、この4月からいよいよメジャーデビューを果たす【ビエント】も、弁財天のすぐ近くに根拠を持っておられます。 まったく【桑鶴】なんて桑の字がついた地名も珍しいのですが、桑はお蚕さまが食べるものです。養蚕が古代の西原村で行われていたということはないでしょうか?

 そもそも蚕とは天国の虫と書きます。自然界に放したらたちどころに死んでしまうぐらいに家畜化が進んでいる唯一の動物だそうですから、かなり人間とのお付きあいの歴史が古いのではないでしょうか。ひょっとして超古代?

 家畜と言えば、牛でも山羊・羊でも農業・牧畜が始まったメソポタミア地方でほとんど発祥しておら、私は農業ビッグバンだといいたいのですが、はたしてお蚕さんはどこからきたのでしょうか?【天国】?

 ともあれ、高句麗勢が菊地川沿いに上陸したとすれば、まず、鉄剣が作れる砂鉄を含んだ川を必要としたのではないでしょうか。

 稲作に適したところであるとともに、富の源泉である養蚕のための桑の栽培適地も欲しかったのではないかと思います。

 南インドのタミル人が崑崙船を仕立てて、中国の沿岸部にしきりにやってきたなら、西原村の「腐らない水」は、いつ嵐に襲われて漂流しなければならないかもしれない遠洋航海をする者にとっては貴重だったのではないでしょうか。【お池さん】のすぐ近くにでっかい岩の弁財天(インドの音楽の神様)が祭られているのは偶然ではなく、まさしくインド人がここに来ていたことを示しているのではないでしょうか?

 奇しくも西原村の高遊には真っ黒い肌のインド人が調理する本場インドカレーの店があるのも、2000年前の過去の記憶が引き寄せたのかもしれませんね。

 【赤壁の戦い】を見ても、呉の造船能力はかなりのものだとわかりますから、たとえ外洋向きでなくても、嵐でもあれば九州まで風に吹かれて簡単に漂流してきたであろう位置にあります。

 辛いカレーにヒイヒイ涙を流しながら、だいぶ弥生のイメージがリアルな緊迫感とともに描けるようになってきました。

 30メートルもの長さの崑崙船が、『敵の敵は味方なり』『遠交近攻』という常道により、まるで挟み将棋を見るような国際関係が展開されていたことでしょう。

 水戦を得意とした呉は、八代に上陸したという8000匹のカッパのモデルではなかったかと思うのですが…

 お池さんの近くに塩井神社があり、益城町の杉堂にも潮井神社があります。塩と山の幸との物々交換が盛んに行われていた様子が目に浮かぶようです。

 こうしてみると、日本は単一民族国家なんかではなくて、多民族融合途上国ですから、戦争放棄の憲法9条を唱えながら、世界の平和に貢献するべき位置にもともとある国なのですね。

0

2009/2/5

狗邪韓国には狗奴国の狗の字がついているのは  隣国との友好と平和

 狗邪韓国は、いわゆる魏志倭人伝の記述に基づいて邪馬台国がどこにあるのかをたどる時に拠点となる場所ですが、まったく文字面だけで解釈すれば、狗の字が高句麗で、邪が邪馬台国の邪です。

 とくに狗の字は狗奴国という邪馬台国の南にありそうな国の名にもついていますから、これもどうも高句麗勢なのかもしれないと思えるのですが。

 ケモノへんを付けるのは、中国とくに魏から見て敵対的な勢力なのだろうと感じるのです。倭国の倭にはニンベンがついていますが、邪馬台国の邪もよこしまなということですから、最初のうちは人間並みに見ていなかったのかもしれないのが、文明化?中国化?が進んでくるうちに人間並みになってきたということかもしれません。

 狗邪韓国は、いろんな勢力が雑居していた地域だったのかもしれないですね。
0
タグ: 狗奴国 狛犬 匈奴



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ