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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2009/7/23

日食は私に西原村とインドを介しての新羅とのつながりがあるのではないかというヒントを与えてくれました。  隣国との友好と平和

 皆さんは部分日食が見えましたか?私は水に張った樽に映して、しかも木の葉に透かすようにして日食を見ることができました。

 部分日食であってもかなり眩しいのですが、反射光ですから目に悪い赤外線も紫外線も弱くなるだろうという考えからです。曇り空の薄い膜を通してだったので、テレビなどで直接見ないようにと言われていても誘惑にかられてチラと見ました。
 まさしく鋭い鎌が空中に浮かんでいるようでした。

 原始地球に巨大惑星が接近してきて、ついには衝突し、その破片がまた再結集して月になったという説がありますが、まさにその時地球に巨大な陰が迫っているような恐怖の(記憶?)までが甦るようです。

 どうして太陽と月という2つの天体が、まるで合わせ鏡のように地球からの見かけの大きさが同じなのか…偶然にしてはあまりにもよくできています。宇宙のどこの惑星にこんな偶然が存在しているでしょうか?子どもたちの中からこの謎を解いてくれる人が出てくることを期待したいと思います。


 さて、テレビで見たのですが、月の影は、インダス川文明のモヘンジョダロ・ハラッパあたりから始まり、お釈迦様誕生地ベナレス→重慶など長江文明→琉球(龍宮城?ニライカナイ?)と、帯に沿って動いて行く様は、私には何か人類の歴史を暗示しているように感じられました。

 思えば日食の前日に、西原村のツンガ塚の主は新羅から日本に渡ってきた神様ツヌガアラシト=天之日矛(アメノヒホコ)ではないかと閃いたのでした。

 (日置和彦)村長という、名前の彦は(日子)という意味に取れば(日)が2つも名前に含まれる人に会い、韓国との交流を深めるようにと申し入れた際、韓国への修学旅行は考えられないのかな?という言葉をいただいたのでした。これも日食にこじつければ、日食の前日のことでした。

 そしてさらには日食の前夜に、はがきを書いていた時にふと、(韓国に修学旅行)するなら、天之日矛(ツンガ塚の主?)の故郷である新羅の都・慶州あたりはどうだろうと思いついたのでした。釜山まで船で行けば従来からの奈良・京都よりも旅費時にかなり安くすむかのかどうか、旅行会社にはがきで問い合わせをしました。

 伝説の話ですが、天之日矛の子孫にタジマモリがいるらしい。多遅摩毛理という理屈を考えることが多すぎて遅刻したり散髪もしてなかったりというイメージに見えるすごい名前の神様ですが、何しろ私も田島なので他人とは思えず興味と関心があるのです。天皇に命じられて3年がかりでトキジクの国までカクノコノミ(橘?)を取りに行ったそうです。今で言えばビタミンCを補う必要があったのかもしれません。柑橘類の一種とみられるのですが、それゆえに果物の神様・お菓子の神様となったようです。

 トキジク(時じく)とはいみじくも皆既日食が開始された天竺(テンジク)に発音が妙に似ていると思いませんか?

 韓国の南部のカヤ韓国とインドとは婚姻による血のつながりがあることは三国遺事に書いてあるそうで、今でも初めての国際結婚だとして祝う祭りが行われているようです。後に新羅に吸収されたカヤ韓国を建国した金首露王に、インドから嫁いできた王女がいたというのですが、私は一族で集団移住するための誼(よしみ)を通じる目的の婚姻だったのではないかと想像するのですが…

 西原村の(お池さん)という腐らない水が湧く近くには、弁財天の巨岩が注連縄をされて鎮座されています。弁財天とは弁才天とも書いて、西洋ではビーナスまたは金星を意味するインドの神様ではなかったでしょうか?なぜインドの神様が西原村に鎮座しているのでしょうか?仏教やキリスト教、あるいはイスラム教みたいに世界宗教ではなくて民族固有の神様です。ヒンズー教の民族神は、他民族には布教はしないはずだと思うのですが…日本人がインドの土着の民族神をわざわざ輸入したというのは不自然です。それよりもインドからカヤ韓国や新羅と同じように民族集団移住を受け入れたのではないのでしょうか?その痕跡が弁財天ではないかと思うのです。空想はますます募るばかりです。

 インドといえばマハーバーラタだとかラーマーヤナという長編叙事詩があるようですが、しきりに空を飛ぶ話があるような印象を持っています。孫悟空の話に似ているというか…そんなインドにも天変地異か気候の大変動によって何か見切りをつけなくてはならない事情が生じたのでは?

 現在でもバングラデシュでは水没の危険があり洪水の常襲地帯です。

 2000年前の日本もかなり内陸部に貝塚が分布しているように、インドも海退期から海進期に移行中だったでしょうから、むしろ住むことができる土地はどんどん増えている時期だったでしょうに?

 不思議に漁業が盛んな地方だったりしますから、平和裏に集団移住するためには、何らかの技術を交換条件として提示したのではないでしょうか?

 西原村の弁財天が奉られているあたりは桑鶴という、まったくシルクを連想させる地名となっています。お蚕さんの食べるものは桑の葉っぱですからね。古事記にも蚕は出てきますから、日本に養蚕は存在したのでしょうか?陸のシルクロードと海のシルクロードの出発点は、実は西原村だったなんてことになったら愉快ですけれど。

 飛躍しすぎでしょうか?

 新羅にも弁財天あるいは弁天さまが奉られているかどうか?

 こう推理を進めていくと、新羅の王子が西原村に塚を築かれていても何も不自然ではないことだと、だんだん感じられてはきませんか?

 インドを介した韓国との壮大な結びつきが浮かび上がってくれば、新羅の古都・慶州への修学旅行が行われても違和感は全然ないのではありませんか。

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