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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2009/9/30

空気ほど旨きものなし豊の秋 成田千空…堀内豊秋大佐の気持ちを表現したような句ではないでしょうか?  隣国との友好と平和

 インドネシアのセレベスに落下傘で舞い降りた堀内豊秋大佐は、終戦後日本の家族の元に戻った後に、オランダに呼び出されB級戦犯として、ほかの誰かがやった残虐行為(事実関係はよく吟味する必要がありましょうが)の罪を被って処刑されたと聞いております。

 この句は堀内豊秋大佐が戦争から戦争、戦闘から戦闘、猛訓練から猛訓練への人生からつかの間、熊本北部町の実家に帰郷した時、ホッと吸った平和な空気が何と旨かっただろう…としみじみ回想しながら、処刑の日を待つ牢の中で詠んだ俳句…と仮に想像するなら、実に味わい深い反戦句となります。

 【空気】とは、ただの空気ではなく、戦のない平和国家の【空気】と読むのです。

 また【豊の秋】からは、黄金色に染まった一面の稲穂が、美しい平和な日本の象徴のようにありありと目に浮かんできます。

 私は二本木の家のすぐ近くを幅の広い道路が建設されるに伴って、池田町に引っ越したのですが、熊本電鉄の【韓々坂】停留所から今の崇城大学あたりにかけて、稲穂を垂れた黄金色が山の際まで広がっていた光景がありありと浮かびます。

 当時、東京オリンピックを見たばかりで、日本期待の飯島選手にかぶれていました。100メートル短距離競争の【位置について】でラインに両手をついて、【ドン】で前傾姿勢のまま走り出すスタートダッシュの練習を、道を歩きながら時々思い出したようにやっていたものでした。

………………

ケータイ速打法の提案

 句読点

【、】=【わた】=【04】
【。】=【わな】=【05】

と単語登録しておけば、【0
♯♯♯♯♯♯…】と何度もキーを押し続けなくてもよいのです。

一回【04】と打って【、】を出した後は、【0】の1打か2打だけで【、】や【。】はケータイの学習機能が働いて出てくるようになりますから、入力し始めだけの打数省略にはなりますけれど…
 
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2009/9/30

西原民報を慣れないWordで作成しようと四苦八苦。でも毎日少しずつ『習うより慣れろ』  村のあちこち村おこし

 私は21年前からずっと手書きで西原民報の原稿を作り、印刷し村内全戸に配布してきました(その大部分で両親が一緒に配布に協力してくれたことに感謝)。

 しかし、去年の選挙後、字が汚いからこれからはパソコンで作ってくれという声が私の家内を始め、数人から強く寄せられるようになりました。

 ブログはせっせとケータイから親指入力で投稿しているのに、パソコンで民報作るのが嫌いとか苦手だとか、皆さんもおそらくは理解できないだろうと思います。

 私も自問自答してみました。ワードの編集作業が嫌なのか、時間がかかるのが嫌なのか…キーボードをいじるのが苦手なのか、はたまた文章を何べんも手直しすることが嫌なのか?

 私は、このままでは『ガラス張り』の公約に反するだけでなく、議員として国保税の値下げや議会の改革など、粘り強く世論づくりと運動を作り出さねばならない問題を前に進めるためには、西原民報の発行がどうしても欠かせない…何とかしないと…

 実は先日、【人のふり見てわがふり直せ】という標語がぴったりなことがありました。

 議会改革をテーマにして、議運で討議した時のこと。インターネット上の西原村議会の議員名簿を名前だけではなく、隣接の大津・菊陽の両町議会並みに、住所と電話番号を加えてはどうかと議論した時に、そんなことしたら全国から『あれ買ってくれ、これ買ってくれ』だとか『抗議の電話』などがかかってくるからなどの消極意見を克服して、ついに全員協議会で決定することができました。

 まったく西原の議会改革の進捗状況は非常にのろいと呆れる方もおられるだろうと思うのです。名前と議員番号だけとは誰もがおかしいことだと思うことですから…

 ところがふと私が個人として作っているブログを見たら、意外や意外、私自身が住所と電話番号を載せていなかったことに気づいたのです。

 まさにこれこそ【人のふり見てわがふり直せ】を地でいくことでした。

 議会改革はまず自分から…そしてこのブログから…そのことがよくわかりました。

 でもブログだと何人が村内で見て下さっているのか…アクセス総数は確かに6万にはなりましたがこの数字は全国で、さて村内のアクセスは?と考える時、村内世論の形成はブログだけでは不十分だとわかります。確かに速報性と網羅性という利点はあるにせよ…

 『人のふり見てわがふり直せ』と口の中で何度も唱えて、なるほどなるほどとうなずいているうちに、ふと連想が働いて思い出しました。『習うより慣れろ』…

 『そうだったのか…』
 嫌だ嫌だという感情は、たんに慣れていないだけかもしれないぞと。

 つまり慣れてないなら慣れる努力をすればいいだけではないかと…

 Wordは、毎日の流れの中で少しずついじることを習慣化して、とにかく慣れていくようにしたらどうだろうかと…

 いっぺんに民報の完成品を作ろうとしないで、【今日の西原民報つくりかけ】をブログにリンクの形で掲載することにしました。

 子犬の脚は人間の脚の4分の1しかなくても人間よりも速く走れるのは何故なのか?歩幅は小さくても回転が速いからですね。一回の文章量は少な目にして、少量印刷・少量配布で、チョコマ・カチョコマカ路線で西原民報のワード版もやっていったらどうかと…

 かえってその方が赤旗読者へのサービスになるかも…

 早速ひとつができましたが、できてすぐ次に取りかかることが肝要です。イチロー選手のように…

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2009/9/29

脳内カメラの俳句記憶術。ケータイ・メモリーを買って写真を撮りまくりたい…フォト575も脳内アルバム  俳句鑑賞

○ 名月や 畳の上に松の影 其角

 この句を読めば俳句とは、まったく脳内カメラだとお分かりになるかと思います。鮮やかに写真のように浮かんでくるではありませんか。…自作しなくてもこれまでにできた古今東西有名無名の俳句の数々を自分のものとして蓄積していけば、まるで自分の生涯を映し出す鏡またはアルバムができてしまいます。それはさらなる知識を貯蔵する記憶術の倉庫ができたことを意味しないかと思うのです。

 例えば、今日の赤旗に日本共産党の志位和夫委員長がカザフスタンのかつてのソ連による核実験場・セミパラチンスクを訪問して、核廃絶を語り合ったという記事がありますが、ヒロシマ・ナガサキとともに【セミパラチンスク】も決して忘れてはいけない地名だと思いました。
 なかなか覚えにくいと思えばどうするか…セミが腹を上にして転がっているイメージを浮かべながら何回もセミパラチンスクと唱えたらいいのです。

学校へ来ない少年秋の蝉
 藺草慶子

 蝉の句だけでもたくさんありますが、そのひとつひとつが人生のある日ある時ある場所を鮮明に思い出させてくれます。

 カザフスタンの国の形は、蝉が羽化しようと樹木の上で懸命に反り返っている姿にも似ていて、そうすればセミパラチンスクはまさにセミの目に当たらないでしょうか?
カスピ海・アラル海・バルハシ海は、雨に濡れた樹の幹に見えます。

 少年が学校に来ない理由は、白血病が発症して入院してしまったのではないかと想像するのです。

○ 名月や 畳の上に松の影 其角

 これはまた煌々と照る仲秋の名月にぴったりな俳句ですね。
 はがきの文字も読める明るさです。

 二本木で住んでいた小さな家は、夜になると街灯もない時代ですから非常に暗かった印象が残っています。

 それだけに満月の光が土間にまで差していたことを鮮やかに覚えています。そこには煮炊き用の薪やら木炭に炭団などが置いてありました。

 柱には【火の用心】と赤い貼り紙。マッチ箱。団扇で扇げば竈の火が眩しく燃え盛り、煙にむせました。

 最近はフォト575というのが存在することを耳にしますが、ケータイのメモリーを増やして写真をたくさん内臓できるようにしておいて、待ち受け画面にしてとっかえひっかえすれば、それも俳句に劣らぬ脳内アルバムになりはしないでしょうか?

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携帯入力速打法の提案

『ところ』と『心』を『78』、つまり『まや』で単語登録をします。

 なぜなら、テンキーの配列を自分の体だと見なせば、左下の『78』あたりに心臓がありそうな感じがあるからです。

 恋をすればこのあたりが痛むような…

 『ところ』を『心』と同じところに持ってきたのは、発音が似ていて位置を覚えるのに好都合だからです。なにしろ【心があるところ】ですからね。

 『ところ』は『ところが』や『ところで』『ところでした』などと頻出です。

 『ところでした』は『ところ』+『でした』ですから、『78』『47』と打てばいいのです。6文字を4打数で出力できるのですから愉快ではありませんか?

 

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2009/9/28

名月や 雨降り暮るる松と杉  俳句鑑賞

○ 名月や 畳の上に松の影 宝井其角

● 雨降れば 暮るる早さよ九月尽 杉田久女
 ○と●の2つを並べてみれば、どちらも秋の夜長という季節の特徴を明と暗で示してくれているようです。

 それに杉田久女の【杉】と、畳の上の松の影の【松】とが、山鹿から荒尾・大牟田方面に向けて斜めに抜けていく道を、なぜか思い出させます。

名月や 雨降り暮るる松と杉
 田島敬一

 これが、両句を融合させて作った私の句ですが、松と杉と並べることで、長い長い道のりをひたすらバイクで走り続ける時の両側を後ろへ後ろへと通りすぎる松と杉の山の暗さを示したつもりです。

 雲間から漏れる名月も、私と同様に黒い雲の中を走っているみたいです。

 一回福岡まで自治体問題研究所の総会兼学習会に参加しようと原付で走って行ったことがありましたが、長距離をバイクで走ると、『まだかまだか』とうんざりするぐらいの単調の中を行かなくてはなりません。

 この句はそんな感覚を込めたつもりです。

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2009/9/28

政党への個人献金がこれからは主流にならなくてはなりません。オバマ大統領がやったように  政党助成金は国民の税金にあぐらをかいた政党貴族をつくるもの

◎ 雨降れば暮るる早さよ九月尽 杉田久女

 今回は、現在と近未来の政局は、明治維新期の数年間に匹敵するように急な展開を見せるだろうということをお話ししたいと思います。1853年のペリー来航の時点で1867年の明治維新が見えるのが歴史家だと思うのです。はたして2005年の小泉構造改革・郵政民営化の自民党大勝の時点で2009年の民主党を中心とする政権の誕生が見えた人が何人いたでしょうか?そして2009年の今日に立って、たとえば2012年がどうなっているのか見える人が何人いるでしょうか?

 政党への政治献金ですが、日本共産党は党員が直接友人・知人や読者・支持者あるいは街頭からあるいは演説会場でカンパを呼びかけ、少額な個人献金を積み重ねてやっています。

 しかし他の政党は、一年間に何十億・何百億という大口の政党助成金は国から受け取りながら、さらに経団連が取りまとめた献金を政策的な通知表をつけられながら受け取っています。いわば紐付き献金です。

 企業献金を受け取っていない日本共産党だけが、大企業に派遣切りをするなと堂々と言えたり、二酸化炭素排出削減25%などと強い抵抗をはねのけてもの申すことができる立場にあります。

 民主党の総選挙マニフェストによれば、【政治資金規正法】改正後、3年後から企業団体献金を廃止しますと書いてはありますが、先の総選挙では廃止のその日までは、よろしく…と頼んだのだそうな。

 しかしよく考えてみると、政治資金規正法の改正自体が国会審議に何年かかるかわからない上に、それが制定された後3年も経過してやっと廃止するということは、少なくとも最長4年しかない今回の衆議院任期中にはやらない、やれない(やる気がない)という意味ではないでしょうか。マニフェストとは裏の裏までしっかり熟読精読をしなければならないというのはそこなんですね。

 アフリカのある地域で、猿を捕まえるのに人は面白い猟のやり方を編み出したと…やっと手が入るぐらいの小さな透明な瓶に猿たちが大好きな木の実を入れておくと、つかんだ手をグーの形に握り締めたまま、逃れられず捕まるのだと、何かの本で読んだことがあります。つまりパーの形に手を開いて木の実を離しさえすれば逃れられるのに・・・という話です。欲を捨てるところに脱出の路が開けるという寓意でしょうか。 このお猿さんを笑えるでしょうか?

 企業団体献金をやめて個人献金に移行するという政治改革も、握ったその手を放さなくてはいつまでたっても実現できないのです。

 本日自民党総裁に選ばれた谷垣氏が、そこを思い切ることができるかどうかです。できなければ企業団体献金禁止の先手を民主党から打たれた場合に、壊滅の事態が予想されます。

 日本共産党の私が他党のことをそこまで心配しなくてもよいのですが、心を宇宙に置いて目を細めながら現在と近未来を見下ろせばそうなります。

 民主党を中心とする政権も、企業団体からの紐付き政治献金を思い切ることができなければ、あと国民が頼りにできるのは日本共産党しかない事態が到来するということになりはしないでしょうか?

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2009/9/27

表音文字のハングルにルビが欲しい…盲点でした。カタカナと漢字でルビをふってはどうでしょうか?  隣国との友好と平和

夜の風にこの白萩の乱れやう
 桂信子

 『白萩』の一文字で、遠くの空港の照り返しを連想し、ハハン西原村のために作って下さった俳句なんだなと勝手に思って鑑賞しています。

 川土手の散歩が夜でもできるのが白萩です。木山川の日向・多々良あたりに見たような…
 イメージの中では俵山の端からまん丸の名月が上がっています。

 さてハングル文字はこの句でいう、強風のためにしばらく横を向いた人の口の形になぞらえることができましょうか。

 PTAでよく足を運んだ西原中学校の階段の壁のポスターに、『うがいをしましょう』と書いた解剖学的な喉の図がかかっていたような気がするのですが、それを頭に浮かべながら喉と舌の形になぞらえて覚えたら比較的簡単に覚えてしまえます。

 例えば口をムグッとつぶる形の【口】が出てくればそれはアルファベットのMの発音だし…アーと大きく口を開けて声を出す形は横向きに【ト】と書けばいいし…反対に少し引っ込めた感じで声を出せばオーだから逆向きに『┤』と書けばいいのです。しかしそれでもやはり慣れない文字の形ですから、最初は取っつきにくいことでしょうね。

 そう言えばABCでさえ、古町小学校の頃、なんて変な文字の形だろうと思いながら、幼児向けの学習積み木の板を見ながら何度も何度も書いて慣れる努力をしたことをすっかり忘れていました。

 ハングル文字にルビがほしいとの要望は全く盲点でした。

 日本国内でも近年かなりの数、ターミナルや観光的な説明の看板の中にハングル文字が増えてきています。

 私はご意見に触発されたのですが、いっそのこと説明文の【ハングル文字の下に、カタカナでルビをふり、さらに漢字のルビをつけるというのはどうだろうと思います。

 バスが来るまでの間、人々は穴があくほどハングル説明文を見つめることができる訳ですから、
『なんてヘンテコな文字なんだろう!』
で終わるよりも、見つめているうちに、ハングルは多分こんなふうに読むんだろうなという謎解きの快感が味わえるのではないかと思うのです。数独のようにパズルを解く面白さが、時間つぶしにはほしいものですから。

 古町小学校の頃、英語なんてまだ習いもしないけれど、看板の英語をなんとか読みたいと思い、目に焼き付けながら街を歩いたものです。

 私は日韓両国民が仲良くしていくことが、東アジアの平和と安定の要の鍵を握っていると思うのですが、ハングル文字の取っつきにくさが壁になっているようです。そこで小・中学校の義務教育でお隣の国の文字ですから、せめて基礎的な部分ぐらいは教えてはどうかと、民主党政権の【国家戦略局】によっぽど提案しようかと考えていたところですが、嫌韓流もあることですから…何か自然な方法があればいいがなと…

 私は今では、ハングル文字にすっかり慣れていますが、実は韓国語の語彙はまだまだ非常に少ないのです。それなのにどうにか新聞が読める訳は、ハングルの背後にある漢字が推理できるからなのです。

 日本人なら『ヤクソク』と読めさえすれば『約束』のことだとすぐわかりますし、『ヒョンジェ』とくれば、中国語で『シュンディ』ですから『兄弟』ではなかろうかと、パズルのように日中の知識を生かして簡単に意味が読めてしまうのです。

 逆に言えば日韓では漢字を用いて筆談が可能ですから、言いたいことをまず漢字で頭に浮かべて、多分韓国語ではこんなふうに発音するだろうなという音を口に出してみるなんてことも可能なのです。

 カムサハムニダと何度唱えても覚えられませんが、【感謝】という漢字が浮かんだら【カムサ】と口に出せばいいのですから覚えるのも簡単です。

 韓国語では、日本のように同じ漢字が場面によって違う読みをするなんてことは基本的になく、漢字はみな文字にひとつの発音です。

 そのうち大体の漢字読みの音韻的な癖が呑み込めると、現地に行ってもかなり重宝します。

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2009/9/26

名月や 畳の上に松の影 其角  隣国との友好と平和

○ 名月や 畳の上に松の影 其角

● 流木に敬老の日の父母憩ふ 関森勝夫

○●2つの句は連想により、タイムマシンのように一挙に宮崎大学在学中の1973年の私に連れて行ってくれます。

 最初に間借りしたのがユウレイマンションと勝手に命名した神宮の参道から少し西に入ったあたりの木造二階建ての間借り屋に住みました。ユウレイの名をつけたのは何か根拠があったかどうかは知りませんが、どこか遊郭のような雰囲気が漂っている建物でしたから、何か曰くありげでした。

 階段を上がる時にギシギシと音がして、少し揺れる感じがありました。

 畳は本間。夜はあたりは街灯もなかったので、本当に幽霊が出そうな感じがしましたが平気でした。

 ここにはひと部屋ずつユニークな性格の人間ばかりが集まってきており、政治的な激論を戦わしたり、1日中ギターかき鳴らしていたりしていました。

 北のガラス窓から、松の枝越しで名月が煌々とした光を畳に落としていました。

 大学まで行かせてくれた両親には感謝です。父は大阪電気暖房の配管工として、母は掃除婦をしたりボーリング場にパートに出たりして…
 元気に勉強をやっているかと思って、はるばる人吉から加久藤峠のクネクネした難所を5時間もかけて車を運転して見に来てくれました。
● 流木に敬老の日の父母憩ふ
 一つ葉海岸には、砂浜を歩いても流木などは一つもなく、深呼吸したくなるきれいな緑の松林と真っ青な太平洋が広がる海岸でしたが、なぜか両親を松林の太い根っこに座らせてイメージの中で憩わせたいと、今は思います。

 私には志がありました。水俣病のような公害が起きないような社会にするということと、そのための具体的な技術を開発すること。本当は文系の人間でありながら、敢えて工学部の応用物理科に進学して、苦手な数学と物理と格闘していたのでした。しかし、図書館に通って歴史の本を読み漁ったり、小林多喜二の全集を読んで涙したり…進路を間違ってしまったのかもしれません。

 しかし一旦入り込んでしまったのですから、これで行くしかない…焦燥感を募らせながら、日本共産党にひかれていきました。

 研究室は、核廃絶の運動をされていた永田忍先生のもとに入れてよかったです。

 肺炎となった父はとうとう介護施設を卒業して、病院の中が居場所になってしまいました。

 戦争に次ぐ戦争の時代に多感な少年期・青年期を過ごさなくてはならなかった1923年生まれです。終戦の年はまだ22歳だったんだ! 瞼の裏に兵士のカーキ色の服と軍帽をした写真が焼き付いています。引っ越した時に処分してしまったのか、失われたセビア色の写真。

 復員してから一時郵便配達員から配管の自営、そして大阪電気暖房へ。残業残業の人生でした。

 私が山口県宇部市の教育文化社に就職すれば宇部市まで、小倉に転勤すれば小倉まで、佐賀市に転勤すれば…

 そのたびに夫婦で高速道路を長時間走ってきてくれました。私は父にとっての希望だったのかもしれません。

 『日本共産党にだけは入らんように』『終戦後郵便局に勤めていた時に、上司がいい人だったのにレッドパージされて、とうとう紙芝居ばしよらしたばい』『敬一は純情かけん』
と言っていましたが、まさか入党したとは、聞いてさぞびっくりしたことでしょう。

 なぜ日本共産党に入ったのか、手紙を何本も書きました。

 西原村に移住立候補し当選したら、西原民報を夫婦でやってきて一緒に配ってくれたのも忘れられない思い出です。隅から隅まで村内は歩いて知っています。

 それがある時に、急に歩が進まなくなり、アメリカンなどの変わった形の郵便受け箱の開け方がわからなくなってしまいました。一軒に30枚ぐらい突っ込んで、『ビラ配りはもうすんだばい…』

 だんだんあの世への別れ、墓場が、卒業式の日を待つ子どものように一歩一歩近づいてきました。

 堀内豊秋海軍大佐は迎えにきてくれるでしょうか?海の底の戦友たちは迎えに来てくれるでしょうか?幼くして死別した父の母も迎えに来てくれるでしょうか?

 今だからこそ、枕べにいて、父の元気だった頃の思い出を俳句の力を借りながら、ひとつひとつ掘り出してアルバムにしたい時です。

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2009/9/26

葛の葉の吹きしづまりて葛の花正岡子規  俳句鑑賞

       秋の燈の いつものひとつともりたる 木下夕爾(ゆうじ)

 この句は、アルコール依存症の人の気持ちになって作ったのではないかと想像します。テレビコマーシャルで、酒類の宣伝が真っ昼間から女性が美味しそうに飲んで見せているのは、西洋並みに規制をして欲しいという運動があると、赤旗に紹介されていましたが、パチンコ広告規制運動にもつながる動きとみることができ、好感が持てます。

 『秋の燈の いつものひとつ』というのは、酒屋さんの暖簾の向こうから漏れている黄色い灯りではないかと思うからです。

 まるで誘蛾灯のように惹き付けられますが、酒が好きだからだけではなく、そこに話をじっくり聞いてくれるアノコがいるからでもあるでしょうか?

 毎日毎日同じ作業の繰り返し…帰宅途中にいつもの灯が見えてきただけでホッとするのです。

 パチンコ依存症で苦しんでいた、かの人のことが目に浮かびます。

 私は、学生時代に北九州市議選の応援でビラ配りの要請を受けた時のことを思い出しました。

 葛の葉の吹きしづまりて葛の花
 正岡子規

 ビラ配りをしてみれば、家いえの並びが隅々までよくわかります。北九州市には、炭住みたいな家が集まった地域もたくさんありましたが、そこらへんに葛の葉が風に揺らめいていた様子が、日射しとともにスクリーンに出てきました。

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