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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2009/9/14

議会基本条例制定の必要性 改革を後退させないこと  村議会

 西原村議会では議会運営委員会で、議会改革を不定期で議論しています。その中で、少しずつ一歩一歩と議論しながら改革を進めているところですが、北海道の栗山町議会では、議会基本条例を作ることが大事なポイントだと学びました。

 その点をしっかり議論をする必要がありますが、そのためには、私自身がよく学んでいること、確信をもって説得する力を身につけておくことが必要です。

 御船町議会では、ホームページで調べてみると、議会基本条例制定に向けて特別委員会を組織しており、どうしても前進していく仕掛けになっています。西原村議会では、議会基本条例制定に向けた特別委員会ではなく、議運での議論ですから、どこまで進むのか腰がすわっていない感じでいます。

 もう一度栗山町議会の研修報告を読み直してみると、議会基本条例制定の意味について、数々の議会情報の開示などすぐれた前例や慣例が存在してはいたけれども、それらはあくまでも内規(慣習)であり、情報公開の対象にもならないということです。しっかりとした文面で表明すれば、後退するということになりにくいことになります。

 現に、前の任期の議会(日置篤徳議長)の時に、実は栗山町議会がやっている一般会議にあたることは二回取り組みの経験をしているのです。老人会役員のみなさんとの懇談・意見交換をやったりしていたのです。しかし、その後桂商店の二階において酒をかわしての懇親会になった時、議員にたいしての強い糾弾になったりしたようで、もう住民との懇談はこりごりだとなってしまったようです。私はたしか酒が飲めないため早々に退散したためか、そこらへんは記憶にないのですが…

 条例の制定をめざしながら改革を進めていくなら、後退をするということはなかったのではないかと、その後の栗山町議会研修でしっかりと把握をしなければならなかったのだと思います。

 研修をしたことを、しっかり把握をするために、研修報告を議会だよりに掲載したわけですが、特定の人が原稿書きの担当とされて、その議員は文章を書く過程で頭にはいっていきますが、原稿を書くという作業に携わらないそのほかの議員は、身につかないというきらいがありました。

 今回、その反省に立って、研修に行ったらともかく全議員が内容がダブルことがあろうとも報告書を議会事務局に提出して蓄えておくことになりました。議会だよりには、その中から抽出するということになったのです。

 自分ひとりで歌の練習をするよりも、一回でもコンサートを開いてみよ、そうすれば十倍のスピードで上達する。百回コンサートをするよりも一回リサイタルを開くことによる上達にはかなわない…そんな意味の文章をどこかで読んだ記憶がありますが、あえて自分の前に重大な試練を設けることだというふうに理解しました。

 御船町議会の改革の進行過程を、ガバナンスという月刊誌の去年10月号で読めば、住民に集まってもらって議会研修報告会を開催したことから改革が具体的に進んでいったということがわかりました。それぞれに誰も読まないかもしれない議会研修報告書を議会事務局に提出するよりも、住民を前にしてコンサートを一回開くことなのかもしれません。

 議会改革の原動力は、議会議員自身ではなくて、主権者住民自身がもっているということが、ガバナンスの特集を見てはっきりとわかりました。

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 議会報告におけるはがき道の意味は、音楽にたとえたらどのようなものなのかと考えてみました。これは、コンサートやリサイタルの成功をめざしての日々の練習にあたるのではないでしょうか。
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2009/9/14

ミスを減らすことができれば、それも省エネ・省資源・経費削減に  環境・教育

 先日テレビで、東海道新幹線を女性運転手が運転するさまを、乗り込む時から下車するまで紹介していました。

 時速300キロで上下線がガオーッとすれ違うのは、アッという間のできごとで何か考える隙もありません。

 華奢な女性運転手は、座席から遠方がよく見えるのかなと思わせるほどの体格でしたが、最初からしまいまで機器を指差していちいち『○○!ヨシ!』『▲▲ヨシ!』と、声を出すことの連続でした。

 私の日常で、何かを忘れたことに途中で気がついて家に取りに帰ることがあります。たまには配達する新聞を忘れたことさえあります。まったくバイクの燃料と時間の無駄です。

 指差し呼称のような、ミスを少なくするためのノウハウを取り入れて、例えば玄関を出る時やエンジンスイッチを入れる時に習慣化するなども、省エネ・省資源・経費節減になります。

 人間的なミスに学んで、二度と繰り返さないようにする研究もあるようです。

 イチロー選手が9年連続の年間200本安打を達成して、記念切手が発売されることになりましたが、イチロー選手は、ピッチャーに対してバットを立てる動作が有名です。朝起きた時から球場に入り、バッターボックスに立つまでにも、いくつもいくつもワンパターンで繰り返す【儀式】があるそうです。

 このやり方は、平常心を保つにも役立つでしょうが、ミスを防ぐことにもなるのではないでしょうか?

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2009/9/14

桃源郷に陶酔すれば天地も傾き…やがて家も傾いた。  俳句鑑賞

● 祖母山も傾山(かたむきさん)も夕立(ゆだち)哉

○ 菊咲けり 陶淵明の菊咲けり 山口青邨

 この2つの句を並べて鑑賞すれば、泥酔して千鳥足…天地がひっくり返るほどグデングデンになった状態がなぜか浮かびます。

 何べんも唱えているうちに、二度繰り返される(菊咲けり)の中に(酒)の薫りが隠し味になっているではありませんか…

 飲酒運転が厳しく取り締まられるようになった現代では、もはや見ることが少なくなった泥酔風景ですが、昔はへべれけになって酔狂を回して道端に寝込んだり、川に落ちたり…

 小学校の(こくご)の教科書に『菊の精』というのがあったように思います。菊の花に囲まれているうちに、桃源郷にさ迷い入った話だったでしょうか?陶淵明といえば『桃花源記』の作者で、桃源郷の語源となったことは、前提として知っていることを期待した俳句なのでしょう。

 異世界では仙人二人が差し向かいで、永遠の時間を囲碁に興じていると言いますが、大輪の菊には、異世界への入り口が潜んでいそうです。陶酔という文字が陶淵明から飛び出します。

 陶淵明という唐代の詩人が唐突に出てくることにも、酔っ払いを思わせる部分があります。
 恐らくはこの酔っ払いはカウンターに向かって大声で詩吟を始めたのかもしれません。大学の詩吟部に所属していたのでしょうか?

 白熱電灯にところどころ照らされた暗い夜道を歩きながら、まだこの人は詩吟を続けています。『おじさんおじさん!大丈夫ですか?』

 陶器の徳利と盃。いずれも傾けるものですし、傾けを何度も繰り返すうちにとうとう周りの景色も傾いてきました。

 熊本県北の菊池市は、昔から米どころ。酒の名前にも【菊の〜】というように菊の文字が使われてきましたからなおさら酒の匂いが俳句から立ち上ってきます。

 『傾山』の字がよく効いて、芳醇な薫りが漂い、悩み多き憂き世からしばし離れることを可能にする2句セットになりました。

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2009/9/14

九州はお釈迦様の手のひら…母は、おんぶした子に菊の花を見せようと身を傾けた…  俳句鑑賞

● 祖母山(そぼさん)も傾山(かたむきさん)も夕立(ゆだち)哉 山口青邨

【大は小を兼ね、小は大宇宙を兼ね】

 『九州』とは、9つの州つまり大陸…7つの海ではないけれど、『全地球』がギューッと凝縮しているところという意味に取れるのです。
 地図を見ていると、九州には古代ギリシャがそうであったように南から西から北から東から、海流と風に吹かれていろいろな民族が流れてくる吹きだまりになってきたであろうことが感じられます。

 しかしこの句を吟味するまでは、お釈迦様の手のひらの上に住んでいたことに全く気づきませんでした。長崎の半島部を親指としたら、右手を開き孫悟空をキャッチしようと差し出したお釈迦様の手のひらに見えるではありませんか?金斗雲に乗った孫悟空は沖縄でしょうか?

 阿蘇中岳の臍で茶沸かすお釈迦様の巨大な涅槃像も雲海に浮かび、いっそう【大は小を兼ねる】神秘性が増してきました。

 童話のふるさと・大分県の玖珠(くす)市には、巨大な楠の根株のような山があり、沈む夕陽に楠の影が四国まで届いたという童話的伝説の風景になっています。

● 祖母山も傾山も夕立哉

 父が誤嚥性肺炎となっている時ですが、私は祖母の顔を知りません。

 【祖母】すなわち父の母は、父を置いて早世してしまいました。さぞや子の未来を案じての他界だったに違いありません。

 産婦人科の体制が貧弱だった江戸・明治・大正時代は、女性にとって出産は命がけ。子の幸せをあの世からも案じ続ける母だったに違いありません…

 私は、大分県にはあまり足を運んでなくよくは知りませんが、いつも【祖母・傾(そぼかたむき)】とワンセットで耳にします。

 ギリシャ神話では神様によって夜空の星座に上げられるところでしょうが、子どもを置いて早世した母の強い想いが、温かい背中を傾けながら子をおんぶした形の2つの山になって残されたに違いないと想像するのですが…

○ 菊咲けり 陶淵明の菊咲けり 山口青邨

 【傾山も夕立哉】遠望する夕立は、時にそこだけ細く斜めに棒のように降り注いでいる姿を見せます。

 これをおぶい紐とチャンチャンコの間からクルクル回っている風車の棒を目に浮かばせると…

 『ほ〜らごらん!菊がいっぱい咲いとるバイ!きれいかねえ…』

 あの世からの母の加護ゆえセレベス島のメナドの基地より父は九死に一生を得て帰ることができ、私が生まれ娘が生まれたのかもしれません。

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タグ: 俳句鑑賞



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