한글문자 中文(簡体字)(繁体字) SPANISH 
                             

菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2009/10/13

伊倉の駅は 出逢いの場面にて…  隣国との友好と平和

○ 逢ふも驛(えき) 訣(わか)るるも駅 いわし雲
 望月紫晃(しこう)

● 拾ふ子に 音して落つる 木の実かな
   柴田宵曲(しょうきょく)

 伊倉駅のあたりの家いえには、柿の木がたくさんの実をつけていました。この句のようにタイミングよくあの実が落ちてくれないかなと思いつつ小さな伊倉駅の駅舎に休憩のため入ったのですが…
 十台ばかりの自転車が並ぶ小さな駅舎は瀬田駅と同じでも、違うなと思ったのは、かなり頻繁に列車が停車し、十代二十代のおしゃれした若い女性たちが乗り降りすることです。

 豊肥線と鹿児島本線の格の違いと言うべきかもしれませんが、どこか駅は波止場に似ています。

 玉名市の伊倉は、わが西原村の布田で夫婦で家塾を開いていた竹崎律二郎が養子になって南関からきたところです。盧花による伝記『竹崎順子』に、竹崎家に養子に入った律二郎は木下家ともつながりあるように書かれてあり、木下家は胴田貫の日本刀を作る鍛冶屋を営んでいたとか…その跡は、道から1メートルばかり段上がりになった土地で、草が生えた空き地になっていました。

 (教育委員会)か(史跡を保存する会)か(町づくり委員会)かはよく見えませんでしたが、脚付きの説明文が立っているのを発見したのですが、その前にも隠すかの如くに背の高い草が生い茂っているのは何か現在の土地所有者が、史跡とされるのを喜んでいないかのように感じました。

 ここはよほど注意深く歩かないと見つけることはできないのですが、幸運にもたまたま声を掛けた熟年の方が、たまたま以前教師をされていた方で歴史に詳しかったのです。

 伊倉は、昔から中国や東南アジアに開けた港町として有名だったらしく、歴史を感じさせる地です。それこそ新幹線で玉名駅に降り立った人々が、ゆっくりと滞在して、かつての沈む夕日の海を想像しながら、アジアに雄飛した過去と海面上昇の近未来を考える場所になりはしないかと思います。

 今でははるか地平線のかなたの海岸まで、稲穂が黄金色に揺れているのですが、穂波を打ち寄せる波に見立てることができます。つまり6000年前に現在より6メートルの高さまで海面が上がった縄文海進は、次第に下がってきて、過去400年の間も着々と退きつつあったのでしょうか?それとも細川藩による干拓事業があったのでしょうか?

  四位官郭公(かくこう)という名前ですから、明の生まれ故郷のアモイあたりの竹林に【カッコー・カッコー】と鳴き声が響いていたのを懐かしんでいたに違いありません。

 【皇明】と墓には書かれており、しかも【四位官】と書いた墓碑は、江戸幕府初期の戦乱が収まって身分制が確立されていこうという時代にあたり、格式を強調しています。【四位官郭公】という墓は、恐らくは伊倉の地に根付いていった子孫によって大事にされたのではないかと思います。

 そもそも伊倉の竹崎家は、蒙古襲来絵詞を描かせた竹崎季長の末裔だといいます。あえて【皇明】と書いて伊倉の地に没したこの一族は、モンゴルと戦った竹崎家を慕って伊倉に定着したに違いありません。【国姓爺合戦】の鄭成功が、モンゴルならぬ満州族と戦い、まさに明が最後の決戦を行おうとしていた時代はまだ来ていませんでしたが、【皇明】および、【四位官】と墓碑銘に書いてはありますが、まだ清朝は成立していない時でした。

 伊倉は朱印船の港だとすれば、鄭成功由来の松浦氏の平戸とも何らかのつながりがあったことでしょう。

 木下順二が『夕鶴』の脚本を書いた家や『風浪』を書いた家も見つけることができました。えらく歴史がありそうな八幡宮が道を挟んで南北向かい合わせに立っています。北に『本村』という表札を発見しましたから、支配者交代による新旧の住民が住み分けたなごりではないでしょうか?八幡宮には巨大な楠が枝を張っていて、盃状穴(はいじょうけつ)のある石の階段を上ると、なんとなく鎌倉で暗殺された歌人将軍を思い出しました。

 【音して】は【落として】という言葉にも通じるので、次から次へと落ちるように感じられます。【落として】と聞けば、使役ですから、樹の上から猿か鬼が陣取って投げつけでもいるかのようにもとれるのですからなおのこと、その時の【音】はゴトッと突然な驚きがありそうです。猿蟹合戦の民話がこの句の背景に浮かんできます。伊倉の海岸にも蟹が昔は生息していたことでしょうから、伊倉北方の【伊倉駅】の風情は、こじつけではありますが、まったくこの句みたいでした。
 ○の【いわし雲】には、いわしも入ってきて賑わいを見せただろう伊倉にふさわしい言葉ですから、俳句の記憶術としてはこの2つをまとめて覚えましょう。

       クリックすると元のサイズで表示します

 これは、伊倉の港近い『唐人町』の一角で見つかったキリシタン墓です。
3
タグ: 朱印船 玉名市 伊倉



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ