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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2012/5/20

アラビア文字は砂漠の蜃気楼の如くゆらゆらと立ち上がり…  村のあちこち村おこし

 『放送大学』でアラビア語の基礎をやっていました。

 駱駝の上のフードの間から見ると、おそらく、砂漠の地平線からはるかに遠くにあるオアシスや都会の幻影が、蜃気楼となってゆらゆらと空中に浮かんで見えることでしょう。

 この地上にある都会的な喧騒が、現在の地球文明だとすると、それはまったく幻のようにはかないものだと、問わず語りに語りかけてくるのが、私にとってのアラビア文字のようです。

 アラビア文字は、唐草模様にも似ていますが、私にとっては『月の砂漠』を行くキャラバンの情景が浮かぶ文字です。

 右から左に書くのが現代の日本人には奇異に感じられますが、実は、日本人もかつては右から左に書いていたことがありました。

 そんなに昔のことではなく、私の子ども時代まで普通に見かけました。

 街で見かけた看板文字の約半分が、右から左に書かれていた記憶があります。
 いつの間に廃れてしまったのでしょうか?

 アラビア語を勉強していったらそのうちに、違和感は薄れていくことでしょう。

 じっと見つめているうちに、夜空に光るどこかの星でも、たぶん似たような文字を書いているに違いないと思えてきました。

 文字はどこの星であろうが、書き順としては上から下に向かって書くか、それとも下からか、右からと左からとの4通りしかありません。

 アラビア文字の筆づかいには、下から上に向かっう部分もあり、漢字やひらがなカタカナ、あるいはヨーロッパのアルファベットになじんできた人間には、天の邪鬼のように感じられます。

 わざと反対の生き方をしてユニークさを強調しようとしているかのようで…


 下から上にという筆の運びは、私たちにはとても奇異に感じられますが、それは空気の乾燥と関係がありそうです。

 つまり水に溶かした墨は下に垂れますから、上から下に向かうのは当然でしょうが、乾燥した風土においては、墨は垂れる心配はありません。

 筆記具も毛筆のような柔らかいものは手前から向こうに押しやると毛先が痛みますが、竹やヨシを斜めに切って使う筆なら、向こうに押しやっても不自然には見えません。

 むしろ、地上から天に向かって差し上げる…あるいはこちらから他者に対して施しを与えるというような心持ちが、この運筆から湧いてくるように感じられます。

 発音は口をあまり開かず、くぐもった感じです。

 これはきっと砂漠の熱風が口に入らないように、口の中を乾燥させないためでしょうか?

 スペインはアルハンブラ宮殿やコルドバなどがあり、一時期イスラムの支配下にありました。

 アンダルシア地方はイスラムの影響が長かったようですね。インドネシアにも、イスラム教とアラビア語はかなり浸透していはしないでしょうか?

 日本には歴史的に影響は及んでいないように見えますが、果たしてどうだか?高麗時代のプサンにはイスラム商人が来ていたという記述を見たことがあります。

 かなり東西南北に広く長く影響を及ぼしたのが、サラセン文明なんですね。

 アラビア語といえば『異邦人』という歌謡曲が、
【チャーンチャーンチャーン、チャチャチャチャーンチャーンチャーン】
と、耳の中から反射的に響いてきます。 いつまでたっても耳にこびりついている歌謡曲ですから不思議ですね。


 確かにサラセンは、紙の製法を西に伝えたり、古代ギリシャの数学や化学…あるいは科学的考え方を中世のヨーロッパに伝えたりと、【異邦人】となって古今東西をつなぐ役割を果たしてきたことは明らかです。

 イスラム教の考え方を理解しておくことは、これからの国際平和を作り出していくためにおいても、絶対に欠かすことができません。

 『遠交近攻』は、春秋戦国の大昔から外交の要だと考えられてきました。

 この間、『テンペスト』3巻を読了して、琉球王朝時代の軍事力はもたないのにすばらしい外交力が発揮できた源のひとつは、中国の科挙制度から学んで取り入れた、科試(こうし)制度によって、高い語学力が伝統的に養われてきたということがありはしまいかと思いました。



 今回、沖縄県議選の支援に行くことになりましたが、その最大のテーマは、日米安保条約体制はこのまま存続させ続けていいのかという、根本的な問いかけをすることではないかと思うのです。

 琉球王朝の時代の外交力のもうひとつは、文化交流と交易によって遠くの国々とも等しくバランスをとりながらやっていたということかもしれません。

 掛け橋になることです。

 平和憲法を持つ日本で、これから日米安保条約を廃棄し、軍事力に頼らない国に移行してやっていくためには、琉球王朝時代の外交力は、大変参考になります。

 沖縄県では最近、中国や東南アジアと距離的に非常に近いことを生かした、未来の構想をまとめたと聞いています。

 その中にはもちろん、大学の研究機能を強化することも含まれていたと思います。アラビア語を学ぶ人を増やしていって、イスラム各国との友好関係を深く結んでいくことも、中南米やアフリカ各国との友好と同様に、国連の多数派形成に役立ちます。軍事力にかわる平和力構築のために【知の力】は非常に大事なことだと思います。
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