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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2013/9/23

月の直径は3476km。山の端に沈む中秋の名月にサヨナラと手を合わせて覚えましょう。  環境・教育

 先日のコズミック・フロントを見て、目をこすりました。


 アレアレなんとおあつらえに覚えやすい数字なんだろうと思ったからです。


 月の直径が3476km。世界遺産に登録された富士山の高さは、3776メートル。【みななろう】。あんな気高い人になろう。


 お月さま《サヨナラ!》また明日。あるいは左様なろう


 お月さまの直径の3476キロメートルは、地球の北極から赤道までの距離が10000キロだという尺度を知っていれば、感覚的にどの程度かのイメージがしやすくなります。

 つまり北極からエクアドルまでの約3分の1が、月の直径ですから、案外小さいですね。


 月の表面の面積は、アメリカ合衆国の面積か中国の面積と比べて、それほど大きな違いはないかもしれません。


 北海道の稚内から台湾までの距離ぐらいでしょうか。


 それにしても、原始惑星のテイアが地球に衝突したことを、マントルを溶鉱炉のようにかき混ぜるまでは、なんと地球の自転周期はわずか2時間と、高速回転をしていたという説があるとは〜


 想像するだけで目が回りそうです。昼が1時間で夜が1時間。####眠れるでしょうか?
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タグ: 静かの海 月面 kaguya

2013/9/23

1938年9月29日は、ミュンヘン会談 年号暗記は【三羽の烏がくっつく】会談と  村のあちこち村おこし

 今、【前衛】の不破哲三さんの連載論文が面白い。


 スターリンの誤りの歴史を、新たに手に入った資料を駆使して解明しています。


 歴史好きの私は、高校時代以来の【年号暗記】のやり方で、頭に入れながら読み進めています。


 10月号には、【ミュンヘン会談】あたり。


 1938年の929日。日付も一緒に覚えました。


 ヒトラー・ムッソリーニと、チェンバレン・ダラディエの4人が集まって会談し、チェコスロバキアのズデーテン地方を割譲したことで、ナチズムへの恐怖から一方的譲歩の融和政策・弱腰外交の典型的な例として、よく言及されます。


 三羽【38】くっつく【929】


 三羽の烏ではなくて四羽ではないかと思うかもしれませんが、4人が集まったことより、ヒトラーとムッソリーニの背後にスターリンがいると見て、【三派】と考えました。


 当時ソ連国内では、スターリンが大テロルを吹き荒れさせていました。


 ヒトラーにしてみれば、スターリンが大粛清をやっているかぎりは、東方の熊は安心です。


 しかし、英仏にすればドイツが東方に進出してソ連との緊張関係を強めてもらいたいと考えたものでしょう。


 しかしやがてヒトラーとスターリンとは手を結ぶという、大アクロバットを演じることになるのです。


 独裁者スターリンが、絶対的権力を行使して、何を考えてそれまで敵と見なしていたヒトラーと手を結んだのでしょうか。


 三羽の黒い烏が、やがてくっついていく力学の、そこのところをもう一度熟読して考えてみたい。

 三羽の三を、ミュンヘンの【ミ】のカタカナに重ねて映像化して覚えてみました。
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2013/9/22

モンサントの映画を見に大津町に。枯葉剤を撒いたアメリカは、それも廃絶化学兵器に含めて禁止すべし  村のあちこち村おこし

 大津町の文化センターで催されたモンサントの映画は、大盛況でした。昼の部も同様だったとか。

 このような関心の深まりを見せる、若いお母さんたちお父さんたちの姿に、頼もしい思いが湧きました。


 誰かが、アメリカはシリアの化学兵器を批判しているが、ベトナム戦争で枯れ葉剤を散布していて、よく言えるな…と洩らしました。


 私はハッとさせられました。


 今なお子どもたちが遺伝子を傷つけられて苦しんでいるのですから、全く当然な感想です。


 確かにアメリカがベトナムの密林をなくしてベトコンの隠れ場所をなくしてしまおうとした作戦の枯れ葉剤も、化学兵器そのものです。


 その場で直接、人を残虐に殺す薬剤ではないかもしれませんが、子々孫々にわたって長期に人間を苦しめるという点では、残虐兵器です。


 またさらに、イラクの戦争でアメリカが使った劣化ウラン弾も、核兵器に準ずる残虐兵器として、、禁止すべきではないでしょうか。


 シリア情勢が作り出した流れを、化学兵器禁止から核兵器禁止に発展させるチャンスとして、テコとして、核廃絶を求める私たち・9条の会員の私たちは、粘り強く運動していきましょう。


 オバマ大統領の、子どもたちへの化学兵器使用に対する怒りの感情を、そしてノーベル平和賞を受けた、核廃絶に向かって進むと演説した意欲を、私は信じたい。
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2013/9/21

宝塚市の手作り太陽光発電所の取り組みは、すごい!  環境・教育

 昨日の9月20日の新聞【赤旗】に紹介されていました。


 兵庫県の宝塚市の話です。京都からも近いところみたいで、漫画家の手塚治虫が生まれて育った町だと記憶しています。


 【手塚】という名前自体、歌劇団の夢のように華やかなイメージの、【宝塚】という地名をもじってつけた可能性はないのかなと、私はこれを書きながらふと思いました。


 【こんなに簡単 手作り発電所】という見出しに、目が引き寄せられました。

 ソラーパネルを設置している写真を見れば、屋根の上ではなくて空き地みたいな地面に、直接敷き詰める作業をしています。


 簡単に設置できる秘密は、パネルの角度がなんと【5度】でよしとしている点にあるというのです…


 『えっ!5度?』
 常識としては、太陽の光をできるだけ効率よく受けるために、パネルは20度から30度にします。


 そのため、どこかにソーラーパネルを設置しようとする場合、斜面はないかなと思考を巡らすのです。


 牢固とした固定観念でしょうか?


 その結果、空き地が目の前に見えていても、家の屋根しか思い付かないことになります。


 屋根に設置するなら、

 強度は大丈夫か?

 耐震補強をしなければならないのでは?

 台風の時の風圧は大丈夫か?
など、いろいろ考えることはたくさんです。


 考えるうちにだんだん面倒になってしまい…止めとこうとなるのです。


 その点、わずか5度の低い角度なら、平面にブロックに立て掛けて固定するだけで簡単に設置できます。


 保守点検も、地域のご近所同士で、毎朝の草取り感覚で、ワイワイ言いながら、日常生活の中でできます。


 台風が接近してくれば、取り外しも簡単。


 梯子をかけて、危ない思いをして屋根に登らなくてもよいのです。


 とはいえ、本当に5度で太陽光エネルギーはキャッチできるでしょうか?


 まあ光を反射する銀紙みたいなものを周囲に垂らしたら、少しはいいかもしれませんが…


 東日本大震災の被災者の中で、移住するなら市民手作りで太陽光発電所に取り組む宝塚市がよいぞ…


 『原発反対』というと同時に、『電気を作る』という合言葉も交わされる地域が宝塚となれば…住みたくなるのも無理からぬことです。


 市民手作りで発電所を作ろうとするなら、資金をどう集めてどう還元していくかという、お金の回転をスムーズにするための知恵とお互いの信頼感醸成が欠かせません。


 このような取り組みは…自然エネルギーの学習会が開かれて、同じ気持ちを持つ人同士が互いに知り合いになり、つながり合い…気心が知れてくるという良循環が結実したもののようです。


 イギリスの民主主義は…パブで出来上がったと言われます。


 古代ギリシャの民主主義は、『広場』で育まれたと言われます。


 日本の地方地方には焼酎あり日本酒があります。結構地方の田舎には、江戸時代より、自然発生的なノミニケーションの民主主義あるいは、自治の精神が育まれていたのかもしれません。


 でもアルコールにアレルギーを持つ私みたいな者には、ノミニケーションは辛いですから、それに替わる場が必要です。


 私は『韓国語講座』と、小学生への『絵本の読み聞かせ』ボランティアをしています。


 サークル活動をやっていくことは大事なことなんですね。

 まあ宝塚のソラーパネル設置運動のことは、神奈川県のソラー資金貸付システムとともに、じっくりとテーマを温め続けたいと思います。
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 ところで、ベトナム戦争が終わったのは1975年のことで、私が入党した年でした。


 先に1979年と書いたのは、ニカラグア革命のことでした。


 1975年は、旧正月のテト攻勢を皮切りに、どこが陥落した…次はどこが陥落した…と、次々と入ってくるラジオのニュースを聞くのが楽しみでした。


 『大人の基礎英語』という番組は、東南アジア各国を、旅行企画を考えながら探索していくシリーズになっていますので、ツアーコンダクターを目指す人には絶好の番組かもしれません。


 ベトナムでは、ベトナム戦争の爪痕に旅行者を案内したものかどうかと、考えるところになりました。


 父が応召して、戦闘機の整備兵をやっていた頃から、ベトナムは日本軍と戦い、次にフランスと戦いアメリカと戦い…永遠に戦争が続くんじゃないかと私の心は重かった記憶がありました。


 それがついにアメリカ軍を追い出す形で終わった時は、信じられない感じでした。


 思えば、1975年からもう40年近い歳月が経過してしまったことも、信じられない気持ちです。
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タグ: 宝塚 ソラー 発電所

2013/9/21

仲秋の名月特集番組を見て、ジャイアント・インパクトで月誕生の意味が理解できました。  村のあちこち村おこし

 【サイエンス・ゼロ】の仲秋の名月特集を、やっと録画で見ることができました。


 先日、仲秋の名月が出ていたことは、議会中だったために、全く知りませんでした。


 しかしこのサイエンス・ゼロを見て、地球の大事なパートナー・月のことが、私もだいぶわかってきました。


 やはり21世紀です。人類の科学技術が進んできたのは、ガンの治療法ばかりではなかったようです。


 原始惑星・「テイア」とのジャイアント・インパクト(巨大衝突)によって、月が誕生しました。なんだかジャイアント・パンダみたいな衝撃です。


 「テイア」という名前は、あまりにも奇妙過ぎて60の頭にはなかなか覚えこませることができません。


 そこで私は、「セイヤ・セイヤ」と掛け声を掛けながら、ジャイアント・パンダがティアラをはめてニッコリ振り返ったいる顔を思い浮かべました。


 これは相当インパクトのある絵になりました。これなら「セイヤ・セイヤ」と記憶できそうです。


 テイアの名前はともかく、原始惑星が、地球に衝突して月になったこと自体は知っていました。


 原始惑星は、合計10個が衝突合体して、今日の地球が出来上がったと、前に見たテレビ番組で言っていました。


 あれはBBC放送局制作の科学番組だったでしょうか?


 しかし、地球に生命が誕生する条件となった、海と空気の誕生までが、ジャイアント・インパクトによるとは…


 まるで旧約聖書の創世記みたいな光景です。


 地球内部のマントルが衝撃で揺さぶられて、短時間にガスと水を滲み出したことは、まるで人間のオナラみたいな話ですね。


 「セイヤ・セイヤ」言いながら、オナラの音をごまかしたかもしれませんね。

 コンピューター・シミュレーションによって、衝突前の地球は、遠心力で膨らむぐらい速い自転速度だったと推定されました。


 全くコンピューター・シミュレーションの威力はすごいですね。


 これまで私たちが普通にイメージしてきた衝突では、月の組成となるのはもともとテイアが持っていた組成になるはずだそうですが、アポロ月面探査機が月の表面から持ち帰った岩石の組成は、全く地球上の岩石の組成と同じだったという謎があったというのです。


 テイアとの衝突のお陰で、到底生命が誕生できそうにもなかった、それまでの荒々しい回転の地球が、ようやくゆっくりとした自転に落ちついたとの推測には、知的興奮を覚えました。



 この推測はまた、地球内部に、テイアの残骸が胎児のようにセイヤ・セイヤと残っている可能性を示唆しています。


 衝突は、斜め衝突だったようでしたので、それなら今も重心がいびつな場所になって、自転・公転がふらつく原因になりえるかもしれません。


 テイアの胎児は、太平洋だとか北米大陸だとかヒマラヤだとか、地球上の凸凹の説明になるかもしれません。将来の解明により、どこの地底深くにめり込んでいるなどと、地図上に示されることになるかもしれませんね。
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2013/9/21

シャープが中東にイチゴ工場建設計画 LEDの技術  村のあちこち村おこし

 【シャープ】は、瀬戸際なんでしょうか?


 朝日新聞の連載を読んで心配しています。


 そのシャープが、LED照明を用いた高級イチゴを、2009年から大阪府立大学と共同して、実験栽培を始めているそうです。


 今年の7月からは、アラビア海に面した砂漠の国・ドバイでイチゴを実験栽培しているそうです。

 もう2年後の販売を目指している段階だといいますから、かなり事業化に近づいているようです。


 【シャープ】の、時代を先取りする斬新な取り組みは、【植物工場】の時代が始まることを意味します。


 それにしても、世界で最もお金持ちの国・ドバイに着目したとは、さすがシャープです。


 ドバイは英語が通じるでしょうが、アラビア語を少しでも学習していたら、何かをドバイの政府や企業などに提案したり、あるいは交渉したりする時には、大いに力になりそうですね。



 新しい技術革新によるベンチャー企業を立ち上げるには、財力的な後押しをどこかから受けたい場合もあるでしょう。

 そんな時に、イスラム教やアラビア語を理解できる人材は得難い存在になりはしないでしょうか?

 これから非常に豊かになる可能性が高いのは、案外南米のベネズエラあたりではないでしょうか? 産油国ですからね。


 そうなったらスペイン語ができる人材が重宝がられるに違いありませんね。


 ベネズエラは今は国民が貧しいようですが、政権の教育重視の政策が効を奏して、知性的にはずっと向上していくんではないでしょうかね。
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2013/9/21

熊日にも掲載された西原村議会の決議。条例違反の山林開発反対  村のあちこち村おこし

 9月21日付けの熊日新聞に、以下のように西原村議会の決議採択の記事が出ていました。


 これは、全国の西原村出身者及び、下流域の益城町・熊本市の人々にも知っていただきたい記事ですので、このブログでも紹介しながら、少し詳しく論評したいと思います。


 以下熊日記事から
 …………………
 条例違反の山林開発反対 西原村議会
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 佐賀市の男性が所有する西原村河原の山林で、村条例に違反する開発が行われていた問題と、男性が開発を委任しているNPO法人理事長が村有地購入を申し入れていた問題で、村議会は20日、開発や村有地売却に反対することを決めた。

 定例会本会議で、開発の阻止を求める地元住民らの誓願を採択。緊急動議で開かれた特別委が、開発と売却に反対する方針を報告、全員一致で賛成した。


 村有地について、村は既に3月定例会で、売却しない方針を示しており、村と議会は連名で、売却を断る文書を理事長に送る。


 誓願書は、河原地区の全区長などでつくる「西原村を想う会」が村内外の3200人の署名を添え提出。届け出と異なる山林伐採で「土砂流出が起き、地滑りなどの災害の危険性を増大させている」として、一連の開発を村民一体となって阻止し、議会が男性に文書を送付するよう求めた。(西村日出子)

………以上熊日………


 佐賀市の男性とは、開俊久氏のことです。


 また、NPO法人とは、去年12月にできたばかりの【NPO法人 自然をまもる会】のことです。その所在地は、灰床の開俊久氏所有地。


 誓願には紹介議員として、私・田島敬一と、宮田勝則議員がなり、ふたりで紹介議員としての説明を行いました。


 9名の全員一致で(欠席は泉田洋一議員)、この「西原村を想う会」から出された誓願と、灰床地区の開発反対の決議を両方とも採択しました。


 また、村有原野の350ヘクタールを購入したいとの申し入れがあっていた件では、【駒城】に面積を縮小して引き続き貸すことが決まりました。


 面積縮小の村に返還された残りの村有原野(上あげ部分)についても、NPO法人には売却しないことを決めました。
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2013/9/21

1855年にも安政江戸地震が関東を襲っていた。1923年の関東大震災のわずか68年前のこと。  村のあちこち村おこし

 関東大震災は、房総半島の館山の海岸断層の間隔から判断すれば、200年周期と見られるのだそうです。私も防災の日にちなんでのテレビ特集で、海岸段丘の並びを初めて見て、目を丸くしました。


 しかし、実際の大被害をもたらした地震の記録は、200年ではなくて、もっと短い間隔で起きています。


 関東大震災からすでに90年。しかし関東大震災のわずか68年前の1855年には、壊滅的打撃を与えた安政江戸大地震が起きていたのです。


 だからそろそろ関東大震災の再来があるのではないかと、私たちは身構えなければならないと思うのです。


 何しろ東京とその周辺の狭い範囲に、日本全体の人口の1割が集中しているのです。友人・知人・親戚が東京にいるという人は、日本人のほとんど全てかもしれません。


 東京湾のオリンピック会場は、耐震・免震だけでなく、津波対策もがっちりやって、可能ならば防災に役立つ場にしなければならないと考えるのは当然です。


 日本はやはり大地震から逃れることはできない国だということを、安政江戸大地震で、あらためて知らされました。


…………………


 幕末・安政年間、紀州・和歌山の広村の津波被害から村人の命を気転で救った、濱口梧陵の話は、それだけに終わりませんでした。


 【BS歴史館】を見て、私は濱口梧陵の人間の大きさに圧倒されました。


 津波は引いたり押し寄せたりと、何度も何度も押し寄せるものです。


 第一波で命は救われたとしても、より高い波の第ニ波・さらに高い波の第三波…と、あとになるほど大きなのがやって来ると、田畑や人家がやられてしまいます。


 復興に立ち向かうよりも、村から立ち去る人がボロボロ出てくる事態となりました。


 トラウマからなかなか立ち直りができない、村人の心も救わなければならないという課題があったのです。


 商人としての財力を注いで、復興に立ち上がるとともに、900メートルの堤防を築いたのです。

 濱口家に家宝として伝わる、6年後の絵図を見ると、すでに900メートルの堤防は完成していて、村は復興を遂げていました。


 川と川の間の900メートルだけ堤防を作っても、その脇から津波が押し寄せるから、意味ないのではとは素人考えです。


 88年後に襲った昭和南海地震津波では、がっちりと村を守ってくれました。
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